いちばん大切なことは生きつづけるってことだぜ。
新潮文庫 ヘミングウェイ『誰がために鐘は鳴る』下巻
121ページ
承前。
ゲリラ隊の長であったパブロははじめからロバート・ジョー
ダンとそりが合わなかった。パブロは橋の爆破そのものに
疑問を持っていたし、辛辣な反対意見を述べてたびたび風
紀を乱した。最後には重要な爆弾の一部と雷管を盗み捨て
てしまう。
パブロは間違いなく重要人物であり、ロバート・ジョーダン
の「影」のような存在だ。ロバートは何度か作戦遂行上障
害になるという理由で、パブロを殺そうと考えた。仲間た
ちもそれに賛成した。しかし彼は最後までパブロを殺すこ
とが出来なかった。それはある意味では当然のことだ。
「でも、ここじゃ、たいして才能がありそうにも見えない
がね」
「そんなことがあるもんかね。たいした才能がなかったら、
ゆんべ殺されてたはずだよ。おまえさんはどうも政治のこ
ともゲリラ戦のことも、よく知しらねえらしいな。政治で
も、ゲリラ戦でも、いちばん大切なことは生きつづけるっ
てことだぜ。ゆんべのあいつを見なよ。よくも生きつづけ
やがったじゃねえか。おれからも、おまえさんからも、あ
れだけさんざんやっつけられたのによ」
(121ページ)
ロバート・ジョーダンはパブロが馬鹿ではないことを知って
いた。彼の橋爆破作戦が無意味であるという主張は実は正
しいということを、彼も認めているのだ。ただこの時点で
はロバート・ジョーダンにとって、橋を爆破することと生き
つづけることは同義だった。
作戦遂行上で犠牲者が出る。そうするとメンバーたちの間
で様々な動揺が走る。当然のことだ。誰かは誰かの落ち度
のせいにする。誰かは作戦そのもののミスのせいにする。
そうだ、雪だ。雪のしわざなんだ。この連中は雪のしわざ
だと思っているんだ。ひとたびこの連中が考えるのと同じ
ように、おまえも考えるなら、そして、ひとたび、おまえ
がおまえの自我を追いだしてしまうなら――。戦場では、
つねに自我を追放しなければならないのだ。戦場では自我
があってはならないのだ。自我は、まさにうしなわれるべ
きものなのだ。
(431~432ページ)
橋は爆破される。しかし、ロバート・ジョーダンは致命的は
負傷を追って動けなくなってしまう。彼は当然ながら死を
覚悟する。そもそも作戦の命令が下ったときから死を覚悟
していたはずだ。しかし差し迫った問題として、敵に捕ら
われる前に仲間たちの遠くに逃がし、自分を処分しなけれ
ばならないと彼は思った。
早く敵がきてくれたほうがいい、と思った。やつらがくる
前に、どんな種類の惑乱状態にもおちいりたくない。この
問題を、もっと気楽に受けとれるのは、どんな人間だろう?
宗教をもつ人間か? それとも死をまともに受け止める人
間か? 死は、その人たちにとっては非常ななぐさめだ。
だが、おれたちは恐ろしいものは何もないことを知ってい
る。死とは、わるいものをうしなうことでしかない。死は、
長い時間がかかったり、苦痛がひどすぎて人間に辱めをあ
たえるような場合に、わるいものであるにすぎない。
(475ページ)
ロバート・ジョーダンは死の前に自問を繰り返す。
下巻の冒頭(第18章)に面白い文章があった。
メリー・ゴー・ラウンドに似ている、とロバート・ジョーダン
は思った。
(5ページ)
とても大きな車輪だ。それが、ある角度にかたむいて、い
つもぐるりとまわって、もとの出発点にもどるのだ。片側
が反対側より高くなっているから、一息にぐっとのぼって、
もとのところへきて、はじめでたところへ降りてくる。ど
っちにしても賞品なんてものはありはしないのだ、と彼は
考えた――だから、だれだって、この車輪に乗りたくて乗
るんじゃない。みんな乗るつもりでなく乗っては引き返し
てくるんだ。(中略)いまちょうどおれたちは、またもど
ってきたところで、しかも何ひとつ解決されていないのだ。
(5~6ページ)
メリー・ゴー・ラウンド。
死の間際で、激痛のため何度も気を失いそうになりながら
それでもロバート・ジョーダンは橋を爆破し、仲間を逃がす
ことに成功した。自分はマリアと一緒にいることはできな
かったが、それでもまだ自分には命が残っていて銃がある。
ロバート・ジョーダンは最後まで敵が来るのを待っている。
だが、もしここで待っていて、わずかなあいだでも敵を食
いとめたら、あるいは将校でも射ち殺すことができたら、
そうなれば話はまるでちがってくる。うまく一つのことを
やりとげられるならば――。
(480ページ)
メリー・ゴー・ラウンドのように彼はまた一回回って、新し
い生きる価値を見出したのだろう。それはきっとかなり短
い間のことにちがいない。結果は死しかない。それでも彼
はそれを賭けるだけ充分の価値を見出したのだ。
人生はメリー・ゴー・ラウンドに似ている。
私はこの作品を読んでそう思う。
誰がために鐘は鳴る〈下〉 (新潮文庫)/アーネスト ヘミングウェイ

¥780
Amazon.co.jp



新潮文庫 ヘミングウェイ『誰がために鐘は鳴る』下巻
121ページ
承前。
ゲリラ隊の長であったパブロははじめからロバート・ジョー
ダンとそりが合わなかった。パブロは橋の爆破そのものに
疑問を持っていたし、辛辣な反対意見を述べてたびたび風
紀を乱した。最後には重要な爆弾の一部と雷管を盗み捨て
てしまう。
パブロは間違いなく重要人物であり、ロバート・ジョーダン
の「影」のような存在だ。ロバートは何度か作戦遂行上障
害になるという理由で、パブロを殺そうと考えた。仲間た
ちもそれに賛成した。しかし彼は最後までパブロを殺すこ
とが出来なかった。それはある意味では当然のことだ。
「でも、ここじゃ、たいして才能がありそうにも見えない
がね」
「そんなことがあるもんかね。たいした才能がなかったら、
ゆんべ殺されてたはずだよ。おまえさんはどうも政治のこ
ともゲリラ戦のことも、よく知しらねえらしいな。政治で
も、ゲリラ戦でも、いちばん大切なことは生きつづけるっ
てことだぜ。ゆんべのあいつを見なよ。よくも生きつづけ
やがったじゃねえか。おれからも、おまえさんからも、あ
れだけさんざんやっつけられたのによ」
(121ページ)
ロバート・ジョーダンはパブロが馬鹿ではないことを知って
いた。彼の橋爆破作戦が無意味であるという主張は実は正
しいということを、彼も認めているのだ。ただこの時点で
はロバート・ジョーダンにとって、橋を爆破することと生き
つづけることは同義だった。
作戦遂行上で犠牲者が出る。そうするとメンバーたちの間
で様々な動揺が走る。当然のことだ。誰かは誰かの落ち度
のせいにする。誰かは作戦そのもののミスのせいにする。
そうだ、雪だ。雪のしわざなんだ。この連中は雪のしわざ
だと思っているんだ。ひとたびこの連中が考えるのと同じ
ように、おまえも考えるなら、そして、ひとたび、おまえ
がおまえの自我を追いだしてしまうなら――。戦場では、
つねに自我を追放しなければならないのだ。戦場では自我
があってはならないのだ。自我は、まさにうしなわれるべ
きものなのだ。
(431~432ページ)
橋は爆破される。しかし、ロバート・ジョーダンは致命的は
負傷を追って動けなくなってしまう。彼は当然ながら死を
覚悟する。そもそも作戦の命令が下ったときから死を覚悟
していたはずだ。しかし差し迫った問題として、敵に捕ら
われる前に仲間たちの遠くに逃がし、自分を処分しなけれ
ばならないと彼は思った。
早く敵がきてくれたほうがいい、と思った。やつらがくる
前に、どんな種類の惑乱状態にもおちいりたくない。この
問題を、もっと気楽に受けとれるのは、どんな人間だろう?
宗教をもつ人間か? それとも死をまともに受け止める人
間か? 死は、その人たちにとっては非常ななぐさめだ。
だが、おれたちは恐ろしいものは何もないことを知ってい
る。死とは、わるいものをうしなうことでしかない。死は、
長い時間がかかったり、苦痛がひどすぎて人間に辱めをあ
たえるような場合に、わるいものであるにすぎない。
(475ページ)
ロバート・ジョーダンは死の前に自問を繰り返す。
下巻の冒頭(第18章)に面白い文章があった。
メリー・ゴー・ラウンドに似ている、とロバート・ジョーダン
は思った。
(5ページ)
とても大きな車輪だ。それが、ある角度にかたむいて、い
つもぐるりとまわって、もとの出発点にもどるのだ。片側
が反対側より高くなっているから、一息にぐっとのぼって、
もとのところへきて、はじめでたところへ降りてくる。ど
っちにしても賞品なんてものはありはしないのだ、と彼は
考えた――だから、だれだって、この車輪に乗りたくて乗
るんじゃない。みんな乗るつもりでなく乗っては引き返し
てくるんだ。(中略)いまちょうどおれたちは、またもど
ってきたところで、しかも何ひとつ解決されていないのだ。
(5~6ページ)
メリー・ゴー・ラウンド。
死の間際で、激痛のため何度も気を失いそうになりながら
それでもロバート・ジョーダンは橋を爆破し、仲間を逃がす
ことに成功した。自分はマリアと一緒にいることはできな
かったが、それでもまだ自分には命が残っていて銃がある。
ロバート・ジョーダンは最後まで敵が来るのを待っている。
だが、もしここで待っていて、わずかなあいだでも敵を食
いとめたら、あるいは将校でも射ち殺すことができたら、
そうなれば話はまるでちがってくる。うまく一つのことを
やりとげられるならば――。
(480ページ)
メリー・ゴー・ラウンドのように彼はまた一回回って、新し
い生きる価値を見出したのだろう。それはきっとかなり短
い間のことにちがいない。結果は死しかない。それでも彼
はそれを賭けるだけ充分の価値を見出したのだ。
人生はメリー・ゴー・ラウンドに似ている。
私はこの作品を読んでそう思う。
誰がために鐘は鳴る〈下〉 (新潮文庫)/アーネスト ヘミングウェイ

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