世界はかように動揺する。自分はこの動揺を見ている。
新潮文庫 夏目漱石『三四郎』22ページ
まず。
夏目漱石豆知識
1.坊っちゃんにでてくる「マドンナ」は女性教員ではない。
彼女はハイカラではあるが活動的な女性ではなく、『坊っち
ゃん』の中ではセリフすらない。
2.三四郎は柔道をやらない。どちらかといえば学問より女
性の方が興味がある、ごく普通の大学生で、部活動もしてい
ない正統派な帰宅部員である。
さて、今日は、夏目漱石の謎多き『三四郎』である。この作
品のすごさは、例の「三つの世界」とは何か、その影とは何
か、といった面倒な問題を避けて読んでも、充分すぎるぐら
い面白く、ユーモアたっぷりなところだろう。
やっぱり夏目漱石は夏目漱石である。偉大である。
この劇烈な活動そのものが取りも直さず現実世界だとすると、
自分が今日までの生活は現実世界に毫も接触していない事に
なる。洞ヶ峠で昼寐をしたと同然である。それでは今日限り
昼寐をやめて、活動割前を払えるかと云うと、それは困難で
ある。自分は今活動の中心に立っている。けれども自分はた
だ自分の左右前後に起る活動を見なければならない地位に置
き易(か)えられたと云うまでで、学生としての生活は以前
と変る訳はない。世界はかように動揺する。自分はこの動揺
を見ている。けれどもそれに加わる事は出来ない。自分の世
界と、現実の世界は一つ平面に並んでおりながら、どこも接
触していない。そうして現実の世界は、かように動揺して、
自分を置き去りにして行ってしまう。甚だ不安である。
(22ページ)
いきなりなんだろう。これは三四郎が熊本から上京して、東
京の喧噪を目の当たりにした「お上りさん」的な感想や動揺
ではない。三四郎は東京を見て、この世の中が決して交わる
ことのない「パラレルワールド」という成り立ちをしている
こと、そしてその両世界は相対的に位置していることを看破
した。
世界はかように動揺する。自分はこの動揺を見ている。
(22ページ)
これはすごい。自分を観測者という立場に置くという考え方
は、ニュートンの物理法則が、観測者が異なれば観測者ごと
に異なって見えるという、アインシュタインの「特殊相対性
理論」ではないか。この三四郎という登場人物は感情で動く
本人と、それをどこからか「観測」する第三者としての視点
を同時にもっている。
「然しこれからは日本も段々発展するでしょう」と弁護した。
すると、かの男は、すましたもので、
「亡びるね」と云った。――熊本でこんなことを口に出せば、
すぐ擲(な)ぐられる。わるくすると国賊取扱にされる。三
四郎は頭の中の何処の隅にもこう云う思想を入れる余裕はな
い様な空気の裡で生長した。だからことによると自分の年齢
(とし)の若いのに乗じて、他(ひと)を愚弄するのではな
かろうかとも考えた。
(20ページ)
三四郎は田舎から都会に出てくることでその違いを肌で感じ
るだけでなく、自分の生まれ育った世界と都会という世界を
徹底的に観測している。極めて冷静に、興奮を抑えながら、
そして今までの自分はなぜこのように成り立ったのかをしき
りに考えるのである。
私にはわからない感覚だ。明治時代の人は大きな歴史の変化
を経験しており、都会と田舎という対立だけではなく、「新
と旧」の対立軸の中でもその立ち位置を確認しなければなら
なかった。両者はあまりに違いすぎたのである。
三四郎には三つの世界が出来た。一つは遠くにある。与次郎
の所謂明治十五年以前の香がする。凡てが平穏である代わり
に凡てが寐坊気ている。
第二の世界のうちには、苔の生えた煉瓦造りがある。片隅か
ら片隅を見渡すと、向うの人の顔がよく分からない程に広い
閲覧室がある。梯子を掛けなければ、手が届きかねるまで高
く積み重ねた書物がある。
第三の世界は燦として春の如く盪(うご)いている。電燈が
ある。銀匙がある。歓声がある。笑語がある。泡立つ三鞭
(シャンパン)の盃がある。そうして凡ての上の冠として美
しい女性(にょしょう)がある。
(80~81ページ)
途中を略した。有名な三四郎の三つの世界が示される場面だ。
この三つの世界とはかなり具体的に示されているが、時間軸
の中で示される第一の世界と、心の中の風景として示されて
いると考えられる第二・第三の世界と複雑な構造になっている。
第一の世界も心象風景として理解できる。そしてそれらの世
界はこの世の現実世界の中でも実存している。田舎はすでに
明治15年を過ぎたけれども。
第二の世界は図書館を連想させる。実際に三四郎は図書館に
通う場面もある。村上春樹の『海辺のカフカ』を連想させる。
何でもかんでも村上と結びつけていると思われるかも知れな
いが、そう思われても構わない。漱石と村上は結びついている。
私はこの小説が多分に心理学の影響を受けていると感じた。
と同時に恐らくロンドン留学時代に接してきたであろう現代
科学とも大きく関係している様に思う。夏目漱石という作家
はどのように理解したらよいのだろうか。読めば読むほど分
からなくなる。『坊っちゃん』や『吾輩は猫である』だけを
読んだのでは、ここまで悩まなくてもよかった気がする。
とてつもない奥深さを感じる。漱石が今を生きていたなら、
どんな小説を書くであろう。
この作品は明日も採り上げる。
三四郎 (新潮文庫)/夏目 漱石

¥340
Amazon.co.jp



新潮文庫 夏目漱石『三四郎』22ページ
まず。
夏目漱石豆知識
1.坊っちゃんにでてくる「マドンナ」は女性教員ではない。
彼女はハイカラではあるが活動的な女性ではなく、『坊っち
ゃん』の中ではセリフすらない。
2.三四郎は柔道をやらない。どちらかといえば学問より女
性の方が興味がある、ごく普通の大学生で、部活動もしてい
ない正統派な帰宅部員である。
さて、今日は、夏目漱石の謎多き『三四郎』である。この作
品のすごさは、例の「三つの世界」とは何か、その影とは何
か、といった面倒な問題を避けて読んでも、充分すぎるぐら
い面白く、ユーモアたっぷりなところだろう。
やっぱり夏目漱石は夏目漱石である。偉大である。
この劇烈な活動そのものが取りも直さず現実世界だとすると、
自分が今日までの生活は現実世界に毫も接触していない事に
なる。洞ヶ峠で昼寐をしたと同然である。それでは今日限り
昼寐をやめて、活動割前を払えるかと云うと、それは困難で
ある。自分は今活動の中心に立っている。けれども自分はた
だ自分の左右前後に起る活動を見なければならない地位に置
き易(か)えられたと云うまでで、学生としての生活は以前
と変る訳はない。世界はかように動揺する。自分はこの動揺
を見ている。けれどもそれに加わる事は出来ない。自分の世
界と、現実の世界は一つ平面に並んでおりながら、どこも接
触していない。そうして現実の世界は、かように動揺して、
自分を置き去りにして行ってしまう。甚だ不安である。
(22ページ)
いきなりなんだろう。これは三四郎が熊本から上京して、東
京の喧噪を目の当たりにした「お上りさん」的な感想や動揺
ではない。三四郎は東京を見て、この世の中が決して交わる
ことのない「パラレルワールド」という成り立ちをしている
こと、そしてその両世界は相対的に位置していることを看破
した。
世界はかように動揺する。自分はこの動揺を見ている。
(22ページ)
これはすごい。自分を観測者という立場に置くという考え方
は、ニュートンの物理法則が、観測者が異なれば観測者ごと
に異なって見えるという、アインシュタインの「特殊相対性
理論」ではないか。この三四郎という登場人物は感情で動く
本人と、それをどこからか「観測」する第三者としての視点
を同時にもっている。
「然しこれからは日本も段々発展するでしょう」と弁護した。
すると、かの男は、すましたもので、
「亡びるね」と云った。――熊本でこんなことを口に出せば、
すぐ擲(な)ぐられる。わるくすると国賊取扱にされる。三
四郎は頭の中の何処の隅にもこう云う思想を入れる余裕はな
い様な空気の裡で生長した。だからことによると自分の年齢
(とし)の若いのに乗じて、他(ひと)を愚弄するのではな
かろうかとも考えた。
(20ページ)
三四郎は田舎から都会に出てくることでその違いを肌で感じ
るだけでなく、自分の生まれ育った世界と都会という世界を
徹底的に観測している。極めて冷静に、興奮を抑えながら、
そして今までの自分はなぜこのように成り立ったのかをしき
りに考えるのである。
私にはわからない感覚だ。明治時代の人は大きな歴史の変化
を経験しており、都会と田舎という対立だけではなく、「新
と旧」の対立軸の中でもその立ち位置を確認しなければなら
なかった。両者はあまりに違いすぎたのである。
三四郎には三つの世界が出来た。一つは遠くにある。与次郎
の所謂明治十五年以前の香がする。凡てが平穏である代わり
に凡てが寐坊気ている。
第二の世界のうちには、苔の生えた煉瓦造りがある。片隅か
ら片隅を見渡すと、向うの人の顔がよく分からない程に広い
閲覧室がある。梯子を掛けなければ、手が届きかねるまで高
く積み重ねた書物がある。
第三の世界は燦として春の如く盪(うご)いている。電燈が
ある。銀匙がある。歓声がある。笑語がある。泡立つ三鞭
(シャンパン)の盃がある。そうして凡ての上の冠として美
しい女性(にょしょう)がある。
(80~81ページ)
途中を略した。有名な三四郎の三つの世界が示される場面だ。
この三つの世界とはかなり具体的に示されているが、時間軸
の中で示される第一の世界と、心の中の風景として示されて
いると考えられる第二・第三の世界と複雑な構造になっている。
第一の世界も心象風景として理解できる。そしてそれらの世
界はこの世の現実世界の中でも実存している。田舎はすでに
明治15年を過ぎたけれども。
第二の世界は図書館を連想させる。実際に三四郎は図書館に
通う場面もある。村上春樹の『海辺のカフカ』を連想させる。
何でもかんでも村上と結びつけていると思われるかも知れな
いが、そう思われても構わない。漱石と村上は結びついている。
私はこの小説が多分に心理学の影響を受けていると感じた。
と同時に恐らくロンドン留学時代に接してきたであろう現代
科学とも大きく関係している様に思う。夏目漱石という作家
はどのように理解したらよいのだろうか。読めば読むほど分
からなくなる。『坊っちゃん』や『吾輩は猫である』だけを
読んだのでは、ここまで悩まなくてもよかった気がする。
とてつもない奥深さを感じる。漱石が今を生きていたなら、
どんな小説を書くであろう。
この作品は明日も採り上げる。
三四郎 (新潮文庫)/夏目 漱石

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