翌る日井深は役所へ行って、モナリサとは何だと云って、皆に
聞いた。然し誰も分からなかった。

新潮文庫 夏目漱石『文鳥・夢十夜』より『永日小品』118ページ

この文庫本から採り上げる作品は、『文鳥』と『夢十夜』だけと
決めていたのだが、再読後に、やっぱりこの作品も紹介しておく
べきなのではないかという思いが強くなった。最初に読んだ時の
印象はすこぶる薄いものだったが、今のこの年齢になって読むと
不思議な印象を残す作品になっている。もしかしたら、私自身が
この作品に過剰に反応しただけなのかもしれないという、疑問も
消すことができないでいる。

三好行雄が巻末に短い解説を載せているが、そこでこの『永日小
品』は朝日新聞社から『夢十夜』のような作品をという依頼を受
けて書かれたとある。たしかに、この作品もまた、まったく統一
性のない作品集となっているように見える。

『夢十夜』は漱石が見た夢という共通項がある。しかし『永日小
品』にはそれすらない。収められている作品は純粋な創作あり、
エッセイあり、漱石自身の昔話あり、ロンドン時代の話や、東京
の様子を描いたものなど、バラバラである。描く題材もまた人や
物や動物や、観念的なことなど多彩である。

冒頭の引用文はこの小品集の中でも特に有名で人気のある『モナ
リサ』から引いたものだが、この作品がこの作品集の中心をなし
ているわけでもない。ただの“One Of Them”として扱われている
し、漱石がそれをいたしているようでもある。

この作品からいい言葉を見つけ出すことは難しいことではないの
だが、その言葉からこの作品を意味づけることは極めて困難であ
る。そのような作品であると理解して欲しい。『夢十夜』よりも
さらに数段難解である。

叔父さんの無意識に発した言葉が印象的な『蛇』では、

「覚えていろ」
声は慥(たし)かに叔父さんの声であった。同時に鎌首は草の中
に消えた。叔父さんは青い顔をして、蛇を投げた所を見ている。
「叔父さん、今、覚えていろと云ったのは貴方ですか」
叔父さんは漸く此方(こっち)を向いた。そうして低い声で、誰
だか能く分からないと答えた。
(72ページ)


漱石とその知人のことを実名入りで書いたエッセイ風の『変化』、

昔の中村は満鉄の総裁になった。昔の自分は小説家になった。満
鉄の総裁とはどんな事をするものかまるで知らない。中村も自分
の小説を未だ嘗て一頁も読んだ事は無かろう。
(150ページ)


という印象的な箇所が随所にある。『蛇』はフロイト的な解釈だ
って不可能ではないし、『変化』の中の中村是公(旧満州鉄道総
裁)との電話の話も深層心理から分析したくなるものだ。

だがそのような行為は、何だか理解しがたいものは心理学的に解
釈すればよい、といった短絡的な発想のように思えてしまうのだ。
「それ自体にたいした意味はないんだよ」と漱石先生に言われて
笑われるような気がするのだ。

私はこの不思議な作品集をこう考えることにした。

これは「まったく統一性を欠いている」という点において、極め
て「コンセプト性」のある作品集たり得ている。


(まるでビートルズの『ホワイト・アルバム』のようである)

夏目漱石がこの作品で描こうとしたことが分からないので、私は
相変わらずこの作品とどう向き合ったらよいか分からないでいる
が、以前の私とは違い、今はこの作品が興味を引くものになって
いる。不思議なものだ。そして、一つだけ気がついたのだが、こ
の作品に出てくるいろいろな感情の流れや不思議な光景は、みん
なかつて体験したことのあるものばかりである。それはデジャヴ
のようなものも含まれている。

『夢十夜』ほど注目されていないが、この作品は相当おもしろいし、
漱石作品の中でも興味深いものであると感じたのは、今回の再読
の収穫であった。実りの秋、収穫の秋である。

文鳥・夢十夜 (新潮文庫)/夏目 漱石

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