こんな夢を見た。
新潮文庫 夏目漱石『文鳥・夢十夜』より『夢十夜』
30ページ


今日も夏目漱石の謎多き作品を採り上げたい。

10の短編小品から構成される『夢十夜』はこの作品集の中でも
難解であり、余計に興味をそそられる作品だ。1908年(明治41
年)漱石と関わりの深い朝日新聞に連載ものとして発表された
作品である。

文字通り、漱石が見たと考えられる十の夢を記録した作品であ
る。これらの夢はすべて時代が大きく異なり神代から現代まで
その舞台も様々で、まさに混沌とした無意識の世界が展開され
ている。

「百年はもう来ていたんだな」
(33ページ)


で表される時間を超越した世界。

「御父さん、重いかい」と聞いた。
「重かあない」と答えると
「今に重くなるよ」と云った。
(38ページ)


のように極めて暗示的な暗さがある。そこには残酷な世界があ
る。人のようで人でない登場人物たちに、迫り来る死の恐怖。
まさに私たちが日常見る悪夢そのものである。

第七夜の夢では漱石と思しき主人公は、大客船の上から海に身
投げをするのである。自殺である。しかし飛び込んだあとの時
間が延びる。なかなか海面に到達しない。そして悠久の時間を
感じながら、漱石は後悔する。

自分は何処へ行くんだか判らない船でも、やっぱり乗っている
方がよかったと始めて悟りながら、しかもその悟りを利用する
事が出来ずに、無限の後悔と恐怖とを抱いて黒い波の方へ静か
に落ちて行った。
(53ページ)


10の夢のうち、一~三、五夜には、冒頭に「こんな夢を見た。」
という有名な一文が在る。この一文が今昔物語集の「今は昔」
のように現実世界との境界線の向こう側にある話であることの
示唆を与えている。まさしく異界の物語である。

フロイトやユングをもってこの作品を理解しようとする人もい
るようである。しかしそれは仮説しか与えてくれないにちがい
ない。漱石はもうこの作品について何も語ってくれないからだ。

私はこの作品を最初に読んだ時に、ほぼ同時期にフロイトの
『夢判断』を読んだので、やはり同様の夢のもつ意味というこ
とをしきりに考えてみた。深層心理として、登場人物たちのキ
ャラクターの意味づけを行おうと試みた。しかしそれは徒労で
あった。結局それは自分の解釈を超えるものではなく、自分が
同様の夢を見たときにはそうなのかもしれない、程度のことし
か得るところがなかった。

今はこの作品をこのように考えるようにしている。

この作品の最も重要な意味は、夏目漱石が十の夢に意味を見出
したこと、それを書き記したこと、それらを一つの作品として
リンクさせたことではないだろうか。リンクとは漱石が見たと
いう共通性ではなく、これらの夢に何らかの共通の意味を与え
るべく『夢十夜』という名前をつけたことである。


人間や社会や歴史の本質を無意識の世界から再構築しようとす
る現代にさかんとなった試みを、夏目漱石はすでに明治時代に
行っていた、その事実が、私には驚異であり、この作品への今
なお深まっていく興味の源なのである。

文鳥・夢十夜 (新潮文庫)/夏目 漱石

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