「僕はつまらん男です」
新潮文庫 森見登美彦『きつねのはなし』より『果実の中の龍』
134ページ


突然愛用のiMacが壊れてしまい、まったく起動せず、しかも悪い
ことに、DVDドライブにCDが入ったままの状態で、取り出すこと
も出来ない。実にとんでもない三連休になりそうである。

森見登美彦さんの作品を紹介するのはこれで三回目か。このうち
6月21日の記事『四畳半神話大系』は、このブログでダントツの
アクセス数を誇っているようである。森見さんの人気のほどがわ
かる。

この『きつねのはなし』は4つの短編小説から構成されているが、
いずれも特定のキーワードで結びついていて、ひとつの完結し
た作品として読むべきであると思う。ただ、それぞれの短編は、
物語としての独立性が高く、キーワードによる結びつきがなけ
れば、まったく別の話として鑑賞することも可能となっている。
森見さんがそれを望むかどうかは別問題として。

『きつねのはなし』は奇譚集となっている。『四畳半神話大系』
のようなコミカルさは奥に隠れ、ちょっとシリアスでミステリア
スな物語集である。であるから、『四畳半神話大系』と同じよう
な作品を期待して読むと、戸惑うかもしれない。しかし森見作品
に魅せられた人なら、両作品の差は自分で埋められるはずである。

この中で私が一番面白いと感じたのは最初に収められている
『きつねのはなし』であったが、いろいろ迷った末に、二番目
の『果実の中の龍』を紹介することにした。それはこの話が自
分の抱えた問題への答えとなったからである。

彼女は黙って手元を見つめていた。
やがて、「あの人はつまらない人よ」と彼女は言った。言葉は
冷たかったが、口調には苛立ちや怒りのようなものは何もない。
「先輩はつまらない人ではないですよ」
私は言った。「僕こそつまらん男ですよ」
「みんな、なぜそんなことにこだわるの。その方がよっぽどつ
まらない」
瑞穂さんは立ち上がって、鍋を水で洗い出した。
(136ページ)


人はよく心にもなく自分のことを卑下して「自分はつまらない
人間です」という。私もよく使う。でも、「たしかにそうです
ね、あなたはつまらない人です」と返されることは、これっぽ
ちも想定していない。

しかし、もし自分のことを好いてくれている人がいて、その人
の前で「自分はつまらない」と言ってしまったら、かえってそ
の相手を傷つける結果になりはしないだろうか。「私はそのつ
まらない人間を好きになってしまったのか」と。

先輩はシルクロードを旅したこともなく、古本屋でも古道具屋
でも働いたことはない。骨董をあさる米国人も、読書家の菓子
屋も、自伝に取り憑かれた祖父も、大道藝人の兄も、狐面の怪
人も存在しない。
風が吹いて桜が舞った。
瑞穂さんは髪についた桜の花弁をつまみ、風に流した。
「ごめんなさい」
「なんで謝るんです。瑞穂さんが嘘をついたわけじゃないでし
ょう」
「そうじゃなくて、彼の嘘をばらしたことを謝ってるの」
「僕はそんなこと気にしないな」
私は少し考えてから付け加えた。
「本当でも嘘でも、かまわない。そんなことはどうでもいいこ
とです」
(145ページ)


「先輩」は大学に四回生、「私」は一回生で、「瑞穂さん(結
城さん)」は「先輩」の彼女であるが、「先輩」に言わせれば、
彼女は「私」が好きだという。

「私」のショックは計り知れないはずである。先輩をシルクロ
ードを走破した偉大な男としてみていたし信頼していたのだから。

「そこに、ケモノがいるだろ」
先輩は言った。「ほら」
「先輩」
私は先輩の肩を掴んで揺さぶった。「それは先輩が作ったこと
なんですよ」
「違う。いるんだ、そこに」
「それは全部、先輩の嘘ですよ」
私は言った。
「そんなことは何もなかったんだ」
(148ページ)


嘘は人を傷つける。嘘にもいろいろあるけれども、自分を高く
見せようとする嘘は罪深い。それによって低くされる人が生ま
れるからである。
嘘は次の嘘を生む。そうやって嘘つきは嘘で
固めていかざるを得なくなり、自重に耐えかねて崩壊するのだ。

「昔はね、僕はうまく喋ることができなかった。人と喋ろうと
してもすぐ言葉に詰まる。それがなぜなのか、よく分からなか
った。ただ自分の言葉が、嘘くさいんだ。嘘くさくて白々しく
て、耐え難いんだ。大学に入ってもひどくなる一方で、喋るこ
とができない。それで人に会うのが嫌になって、下宿に籠もる
ようになったんだ。結城さんがいてくれたから、何とか生き延
びたようなもんだよ。一回生の頃に彼女と知り合っていなかっ
たら、僕は潰れていたろう」
私はふと口にした。「先輩、今喋っていることは本当ですか?」
(150ページ)


それが嘘でさえあれば、僕は調子良く喋ることができたし、自
分の言葉が嘘くさいという意識を忘れることができた。それで
度胸がついたんだ。言い換えれば、取り憑かれてしまった」
(151ページ)


「僕はときどき分からなくなる。僕自身のわずかな経験が、自
分の作った嘘に飲み込まれてしまうんだ。
(158ページ)


以上は先輩の言い訳である。何となく哀れを誘う。しかし、先
輩は結城瑞穂という女性に救われているのだ。彼女は真実を知
っている。そして真実を黙って隠していたのだ。

瑞穂さんの、

「みんな、なぜそんなことにこだわるの。その方がよっぽどつ
まらない」


という言葉が、嘘の根源であることを彼女は理解している。そ
してそれは取り憑くケモノのように生きている。誰もがいとも
簡単に取り憑かれてしまうのだ。

嘘で固めて内心辛酸を嘗めても自分を大きく見せる必要がいっ
たいどこにあるのか。嘘にどのように対応したらよいのか。私
は未だに悪意を持った嘘を許すことができない。

だが、その前に、なぜその人は嘘をつくのか、それを知らなけ
ればならない。そのケモノの正体を暴き、それを退治しなけれ
ばならないのだ。

この記事を書いていた、私は自分が嫌になってきた。私だって
嘘つきではないのか? 新約聖書には「おおよそ、自分は高く
するものは低くされ、低くするものは高くされるであろう」

いう言葉がある。私はこの言葉がとても大切であった。今は身
にしみる痛烈な自己批判の言葉となっている。

ペタしてね

読者登録してね

アメンバー募集中