私はいつも自分の気持ちを徹底的に疑ってしまう。愛情という
ものを信頼できなかった。
文藝2010年冬号 三並夏『穴』262ページ
私は三並夏さんを偏執狂的に追いかけているような気がする。
1月31日 『嘘、本当、それ以外』
4月23日 『四つ目の椅子』
を採り上げている。見逃している作品もあるかも知れなが、文
芸誌に作品が出るたびにどうしても読んでしまう。しかも真っ
先に。昨日4つの文芸誌が一斉に発売されたので、目黒の某書店
で全部買ったのだが、真っ先に読んだのがこれである。
三並夏さんは1990年生まれの作家である。何回も書くようだが、
私はこの世代の女性がどのような考えを持っているのか知りた
くて、彼女の作品を読む。そしてそれを知る。
またふたりで出かけるかもしれない。寝ることもあるかもしれ
ない。でもきっと、結婚はしないんだろうな。しばらく付き合
って、さらりと別れるだろうな。
それは、愛しているという気持ちとはとてもかけ離れていた。
キスがしたかったのは、愛しているからじゃない。わたしが女
で、彼が男で、そういうふうにできているから。ただそれだけだ。
私はいつも自分の気持ちを徹底的に疑ってしまう。愛情という
ものを信頼できなかった。
(262ページ)
この作品では女性たちが描かれているが、みな様々なものに流
され、氾濫する情報や知らないうちに植え付けられている価値
観によって浮遊している。とりわけ、結婚観について、著者の
視点が集中する。
「やっぱり、お金のない結婚って、すごい純粋ですけど哀れで
すよね」
(261ページ)
主人公の千穂の言葉。私はこの言葉の部分で止まり、しばらく
考えて、付箋を貼り先に進んだ。日本が経済成長していたころ
結婚というのは未来対する希望に満ちていた。子どもを産み、
家を建て、団欒の中でこどもが成長し・・・
昔はそうではなかった。こどもは食い扶持を増やすリスクを抱
えながらも、一家の労働力を確保するために必要だったはずだ。
死産や病気で死ぬ確率も今よりずっと高かった頃、女性は十代
で嫁入りし、多くの場合、こどもをたくさん産めと急かされる
存在であった。
そして現在もまた違うのである。将来に成長が期待できない中
で、私の想像以上に「結婚」の概念が変わろうとしている。い
や、もうすでに若い人たちの中では、すっかり変わってしまっ
たのかもしれない。
若者はクルマを欲しがらなくなっているという。昔はクルマが
ないとデートも出来ないと考えられていた。男はみなそう信じ
ていた。私も。だから、最初のボーナスで、中古車をローンを
組んで買ったのだ。
夏が近づけばみんな脱毛するし、バレンタインになれば普段は
まったく料理をしない子もお菓子づくりの練習を始める。まる
で見えない命令に従っているように。男の子を中心に据えて世
界がまわっている。結婚のためにほとんどの女性は仕事を辞め
るし。
信じられない。
仕事はほんとうの意味で自分を守るたったひとつの手段なのに。
どんどん高いところに上っていって、自分ではしごを落とすよ
うなことを、みんな平気でしている。
でもそれが普通。
(275ページ)
私はここの部分でも止まってしまった。「男の子を中心に据え
て世界はまわっている」ん? 「結婚のためにほとんどの女性
は仕事を辞める」ん?
いつからまた男子中心の世の中になったのだろうか。いや女性
が中心になったと思ったことはない。この世の中、特に社会に
出ると男社会を痛感する。女性ならなおさらだ。だが、女性の
社会進出はどうなったのか。世の中では「イクメン」などとい
う言葉がもてはやされているではないのか。
実はそうなっていないようである。「専業主婦志望」最近の若
い女性はその傾向が強いというニュースを読んだ。若い女性が
専業主婦を希望する場合、結婚相手には相応の経済力が求めら
れるはずである。
千穂は同級生たちが大学に進学する中で、一人だけ高校を卒業
後に就職した女性として描かれている。だから、大学生の級友
たちが在学中に結婚したり、結婚願望を抱くのに強い違和感を
抱く。
結婚式なんて、百万単位のお金が消えていく儀式なのだ。そう
してそのお金はただ消える。
成人式を祝う。結婚を祝福する。子どものために生きる。
人間の繰り返してきた営み。
幼稚園生だった頃、わたしの夢は『お嫁さん』だった。今のわ
たしは、そういう未来を純粋に信頼することを、とてもこわい
ことだと感じている。
(278ページ)
何故そう思うのだろうか。何故ほかの同級生はそう思わないの
だろうか。両者の差は何故、どのようにして生まれたのか。作
品の中では千穂の家庭環境が背景にあることになっているが、
それだけではない。この作品のテーマは、この作品以上にもっ
と深刻でもっと難解なはずだ。この作品はそれを描いていない。
描けなかったのか。描かなかったのか。読者にとってはどちら
も同じ意味しかなさない。
三並夏さんがより大きな作家に変身することを期待している一
読者として、私は「何故」をもっともっと掘り下げてもらいた
いと思う。願わくば、自分の尺度を獲得するまで徹底的に深掘
りして欲しいと思う。そうなった時に、三並夏は「ロスト・デ
ィケイド」を代表する旗手となるのではないだろうか。
文藝 2010年 11月号 [雑誌]/著者不明
¥1,000
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ものを信頼できなかった。
文藝2010年冬号 三並夏『穴』262ページ
私は三並夏さんを偏執狂的に追いかけているような気がする。
1月31日 『嘘、本当、それ以外』
4月23日 『四つ目の椅子』
を採り上げている。見逃している作品もあるかも知れなが、文
芸誌に作品が出るたびにどうしても読んでしまう。しかも真っ
先に。昨日4つの文芸誌が一斉に発売されたので、目黒の某書店
で全部買ったのだが、真っ先に読んだのがこれである。
三並夏さんは1990年生まれの作家である。何回も書くようだが、
私はこの世代の女性がどのような考えを持っているのか知りた
くて、彼女の作品を読む。そしてそれを知る。
またふたりで出かけるかもしれない。寝ることもあるかもしれ
ない。でもきっと、結婚はしないんだろうな。しばらく付き合
って、さらりと別れるだろうな。
それは、愛しているという気持ちとはとてもかけ離れていた。
キスがしたかったのは、愛しているからじゃない。わたしが女
で、彼が男で、そういうふうにできているから。ただそれだけだ。
私はいつも自分の気持ちを徹底的に疑ってしまう。愛情という
ものを信頼できなかった。
(262ページ)
この作品では女性たちが描かれているが、みな様々なものに流
され、氾濫する情報や知らないうちに植え付けられている価値
観によって浮遊している。とりわけ、結婚観について、著者の
視点が集中する。
「やっぱり、お金のない結婚って、すごい純粋ですけど哀れで
すよね」
(261ページ)
主人公の千穂の言葉。私はこの言葉の部分で止まり、しばらく
考えて、付箋を貼り先に進んだ。日本が経済成長していたころ
結婚というのは未来対する希望に満ちていた。子どもを産み、
家を建て、団欒の中でこどもが成長し・・・
昔はそうではなかった。こどもは食い扶持を増やすリスクを抱
えながらも、一家の労働力を確保するために必要だったはずだ。
死産や病気で死ぬ確率も今よりずっと高かった頃、女性は十代
で嫁入りし、多くの場合、こどもをたくさん産めと急かされる
存在であった。
そして現在もまた違うのである。将来に成長が期待できない中
で、私の想像以上に「結婚」の概念が変わろうとしている。い
や、もうすでに若い人たちの中では、すっかり変わってしまっ
たのかもしれない。
若者はクルマを欲しがらなくなっているという。昔はクルマが
ないとデートも出来ないと考えられていた。男はみなそう信じ
ていた。私も。だから、最初のボーナスで、中古車をローンを
組んで買ったのだ。
夏が近づけばみんな脱毛するし、バレンタインになれば普段は
まったく料理をしない子もお菓子づくりの練習を始める。まる
で見えない命令に従っているように。男の子を中心に据えて世
界がまわっている。結婚のためにほとんどの女性は仕事を辞め
るし。
信じられない。
仕事はほんとうの意味で自分を守るたったひとつの手段なのに。
どんどん高いところに上っていって、自分ではしごを落とすよ
うなことを、みんな平気でしている。
でもそれが普通。
(275ページ)
私はここの部分でも止まってしまった。「男の子を中心に据え
て世界はまわっている」ん? 「結婚のためにほとんどの女性
は仕事を辞める」ん?
いつからまた男子中心の世の中になったのだろうか。いや女性
が中心になったと思ったことはない。この世の中、特に社会に
出ると男社会を痛感する。女性ならなおさらだ。だが、女性の
社会進出はどうなったのか。世の中では「イクメン」などとい
う言葉がもてはやされているではないのか。
実はそうなっていないようである。「専業主婦志望」最近の若
い女性はその傾向が強いというニュースを読んだ。若い女性が
専業主婦を希望する場合、結婚相手には相応の経済力が求めら
れるはずである。
千穂は同級生たちが大学に進学する中で、一人だけ高校を卒業
後に就職した女性として描かれている。だから、大学生の級友
たちが在学中に結婚したり、結婚願望を抱くのに強い違和感を
抱く。
結婚式なんて、百万単位のお金が消えていく儀式なのだ。そう
してそのお金はただ消える。
成人式を祝う。結婚を祝福する。子どものために生きる。
人間の繰り返してきた営み。
幼稚園生だった頃、わたしの夢は『お嫁さん』だった。今のわ
たしは、そういう未来を純粋に信頼することを、とてもこわい
ことだと感じている。
(278ページ)
何故そう思うのだろうか。何故ほかの同級生はそう思わないの
だろうか。両者の差は何故、どのようにして生まれたのか。作
品の中では千穂の家庭環境が背景にあることになっているが、
それだけではない。この作品のテーマは、この作品以上にもっ
と深刻でもっと難解なはずだ。この作品はそれを描いていない。
描けなかったのか。描かなかったのか。読者にとってはどちら
も同じ意味しかなさない。
三並夏さんがより大きな作家に変身することを期待している一
読者として、私は「何故」をもっともっと掘り下げてもらいた
いと思う。願わくば、自分の尺度を獲得するまで徹底的に深掘
りして欲しいと思う。そうなった時に、三並夏は「ロスト・デ
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