米国と量的に競争する愚を犯す勿(なか)れ
新潮文庫 阿川弘之『井上成美』254ページ

私は2月20日このブログで、阿川弘之さんの『米内光政』
採り上げた。阿川弘之さんのいわゆる「海軍三提督」ものの
最後を飾る作品である。

井上成美(いのうえしげよし)海軍大将は1889年12月9日生
まれである。この誕生日には運命の皮肉を感じる。宮城県に
生まれた成美は海軍兵学校を恩賜組の好成績で卒業し、出世
街道を進んでいく。

日本軍部にヒットラー礼拝者が増えるにつれて、井上は、自
らをリベラリストにせざるを得なかったように思う。人は井
上のことを「ラディカル・リベラリスト」と呼び、また自ら
そう公言して憚らなかった。それは井上が過激なまでのリベ
ラリストであったのではなく、まわりがラディカルに狂気化
し、熱病に冒されいてのであって、井上成美その人自身は、
常識人なのである。

『井上成美』を読むと、時代によって人は「常識人」でいる
ことすら難しくなるのだということを教えてくれる。

ヒットラーの著書『わが闘争』を原文で読んでいた井上は、
当時の軍務局長名で以下の趣旨の通達を出している。

「ヒットラーは日本人を想像力の欠如した劣等民族、ただし
ドイツの手先として使うなら、小器用で小利口で役に立つ国
民と見ている。彼の偽らざる対日認識はこれであり、ナチス
日本接近の真の理由も其処にあるのだから、ドイツを頼むに
足る友邦と信じている向きは、三思三省の要あり、自戒を望む」
(194ページ)


そんなこと書いてあったかなあという声が参謀からあがる。
参謀は日本の出版社から出た日本語訳を読んだだけであり、
そこには井上が指摘した部分は削除されていたのである。

井上が取り組んだ仕事の中でも重要であったのが海軍の
「一系問題」と呼ばれた人事改革問題である。これは機関兵
をことさらに低く見る習慣による弊害を排除しようとしたも
のだった。

古くから、機関科の者は「罐(かま)焚き油差し」と称して、
デッキに差別されて来た。(中略)機関学校出の海軍士官に
は、大将への道そのものが閉ざされている。軍令承行令上も、
機関科士官は常に兵科将校の下位へ立たされる。
(173ページ)


これがいかに合理性を欠いたものでるか、井上は看破してお
り、永野修身の指示で心血を注ぐ。しかしこれは陽の目を見
ることがなかった。「実情にそぐわない」これが理由である。

日本が米国と戦争をするもやむなしという状況を危惧して、
井上は海軍大臣宛の意見書を提出している。当時の海軍大臣
は及川古志郎であった。

「『航空機、潜水艦ノ異常ノ発達』により、将来の戦争では、
日本海海戦のような主力艦隊対主力艦隊の決戦は絶対に生起
しない。日米戦争の場合、太平洋上に散在する島々の、航空
基地争奪が必ず主作戦になる。故に、巨額の金を食う戦艦の
建造なぞ中止し、従来の大艦巨砲思想を捨てて、海軍は『新
形態ノ軍備二邁進スルノ要』がある。米国と量的に競争する
愚を犯す勿れ」
(254ページ)


現代からこれを見たときに、井上の主張がいかに正しかった
かわかるが、この意見書が通ることはなかった。これは通り
得なかったのかもしれない。井上はそれを知っていながら、
意見しなければならないと思い、意見書を提出したのだ。結
果は分かっていたはずである。井上はすでに敗戦後の日本を
見ていた。

井上は軍務から海に出ることになる。第四艦隊司令長官とし
て戦艦「鹿島」に乗り込み、ウェーク島作戦や珊瑚海海戦で
指揮を執る。しかし結果は負け戦であり、軍人としての井上
の評価は下がる。それを喜ぶ者もいた。

山本五十六長官も非常な不満、陛下も嶋田海軍大臣に「井上
は学者だから、いくさは余りうまくないネ」と洩らされたと、
噂が伝わり、やがて別天地江田島の兵学校生徒の間ですら、
「又も負けたか四艦隊」という言葉が一種の節をつけて囁か
れるようになる。
(300ページ)


私は軍事の専門家ではないので井上成美のとった軍事行動の
善し悪しはまったく分からない。それは専門家が分析する分
野であろう。しかし井上のすごいところはそれを(噂も含め
て)呑み込んでしまうところである。

「開戦前のことだが、当時海軍部内では、米内光政、山本五
十六、古賀峯一さんなど、みんな不戦論者で、海軍大臣や次
官、海軍の一部の者と対立していた。そのためか、この人た
ちの系列に入る自分は、第四艦隊に追放され、南方作戦に従
事させられた。グァム、ウェークの攻略から珊瑚海海戦その
他の作戦に参加したが、自分は戦争が下手で、幾つかの失敗
を経験し、昭和17年10月海軍兵学校の校長にさせられたとき
は、全くほっとした」
(331ページ)


これは戦後の言葉である。しかし本音であろうと思われる。
海軍兵学校への異動は山本五十六によるものとされている。

兵学校校長として江田島に赴任した井上成美が最初に行った
ことは、

この館内の壁面に、歴代海軍大将66人の写真が額入りでずら
りと並んでいる。井上は眺め渡してから、あれを全部下ろせ
と命じた。
あの提督たちの中に、日本をこんにちの事態に追いこんだ国
賊と呼びたいような人物が何人もおる、国賊の肖像を若い生
徒らに敬仰させるわけにはいかないということらしかった。
(383ページ)


なんか、すごくかっこいいんですけど。井上成美サン。男も
惚れるタイプとはこのような男のことなのだろう、きっと。

有名な英語教育廃止論の逸話にも触れておこう。井上が校長
のとき、敵国語である英語を教えるのは「如何なものか」と
いう議論が起こった。井上はこれを以下のように一蹴した。

「一体何処の国の海軍に、自国語一つしか話せないような兵
科将校があるか。そのような者が世界へ出て、一人前の海軍
士官として通用しようとしても、通用するわけが無い。
(中略)海事貿易上、英語がこんにち尚世界の公用語として
使われているのは、好むと好まざるとに拘らず明らかな事実
であって、事実は率直にこれを事実として認めなくてはなら
ぬ。・・・」
(388ページ)


一体この言葉のどこがラディカルなのだろうか。繰り返しに
なるが井上の言葉は至極真っ当であり、きわめて常識的であ
る。しかしそれ以上に過激ではない。井上成美のような存在
が煙たがられる世の中こそが、狂った世界なのであって、正
論が正論として受け入れられることのない世界はその世界自
体がおかしいのである。

私も社会人であるから、正論が正論として通ることの方が難
しくなっていることは理解しているつもりだ。しかし、それ
が常態だと思ったらおしまいなのだと思う。「どこかおかし
い」と思うこと、そのような認識を常に頭の片隅においてお
くことが、その時が来たときにきっと役に立つのだと、この
本は教えてくれる。

最後にこれもまた有名なエピソードを記して今日の記事を終
えたい。それは東郷平八郎について語った井上成美晩年の言
葉である。

「人間を神様にしてはいけません。神様は批判出来ませんか
らね」
(5ページ)


これは東郷神社や乃木神社創建についての批判である。しか
しこれは東郷平八郎や乃木希典に対する批判だけではない。
井上成美が何よりも嫌ったのは、これらの人を「神」にして
しまう雰囲気であり、短視的な人物評価である。

井上の敗戦国日本を支える人作りはすでに戦中に、江田島か
らスタートしていたのである。

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