ええい大悪党!手帳にはっきり書きとめておいてやる
新潮文庫 シェイクスピア『ハムレット』41ページ

400年も昔の物語に心動かされ、400年も昔の言葉に感動
するのは、今も昔も人間の心の成り立ちはまったく変わ
っていないという事の証左であろう。

生か、死か、それが疑問だ、
生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ、
To be, or not to be, that’s the question,
(82ページ)


このあまりにも有名な台詞は数多ある名言の氷山の一角
に過ぎない。すでに死を覚悟したハムレットにとっては、
生死は大きな問題ではなかったのである。この物語の主
要登場人物のほとんどが死に、生き残った者たちも、あ
るものは十字架を背負い、あるものはこの物語の語り部
として生死を運命づけられる。

しかし、けがれなきオフィーリアも、罪にまみれたデン
マーク王も、復讐を遂げたハムレットも、最後には結局
は死ぬのであり、清く生きようが生きまいが、悔い改め
ようがしまいが、それは死に方には何ら関係ない、とい
う非宗教的・非道徳的な意味でもきわめて逆説的な言葉
ではないかと思う。

生き方、死に方、それには何ら関連性はない。

私の理解はそうなってしまう。

ギルデンスターン その夢こそ大望、野心の実体は、所
詮悪夢の宿す影に過ぎませぬ。
ハムレット いや、夢そのものが影であろう。
(64ページ)


妃 おお、ハムレット、お前は、この胸を真二つに裂い
てしまった。
ハムレット おお、それなら、その穢いほうを捨てて、
残ったきれいなほうで、清く生きてくださいますよう。
(120ページ)


天国も地獄も、神聖なる大望もどす黒い野心も、穢いも
綺麗も、所詮同じ人間にある。そう理解しても怒られな
いだろう。

ハムレットには有名な劇中劇の場面があるが、そこでハ
ムレットが仕組んだ劇を演じる役者に、ちくりと釘を刺
すシーンがある。

何事につけ、誇張は劇の本質に反するからな。もともと、
いや、今日でも変わりはないが、劇というものは、いわ
ば自然に向かって鏡をかかげ、善は善なるままに、悪は
悪なるままに、その真の姿を抉りだし、時代の様相を浮
かびあがらせる・・・・・・
(89ページ)


ハムレットの演技指導は微に入り細にわたる。まさにハ
ムレットにとっても、彼の復讐作戦の最も重要な大芝居
であったのである。「派手な演出を慎むように」という
ハムレットの言葉は、シェイクスピアの「演劇論」のよ
うにも読める。善や悪、勇敢や臆病、それらを自然に描
くことで、それらが渾然一体となっている人間という聴
衆に、人間の本質を見誤らせるなという戒めだ。

もともと、やくざな古木に美徳を接木してもはじまらぬ。
結局、親木の下品な花しか咲きはしない──

尼寺へ行け。なぜ、男を連れそうて罪深い人間どもを生
みたがる?
(84~85ページ)


母の犯した「罪」をオフィーリアには犯すなとハムレット
が諭す名場面だが、これが彼女を死に至らしめたのでは
なかったのか。「尼寺へ行け!」と言われても「はい、
わかりました」と行けるわけがないのであり、罪深い
母の行為から生まれたハムレットの自己否定は、女性と
いう性に否定になってしまう。

まさにこの矛盾がハムレットの苦悩であり、彼の復讐心
の源であり、母への慈悲であり、オフィーリアやその兄
のレイアーティーズを殺す遠因である。

ハムレットに解釈についてはその専門書を読んでいただ
いた方がいいと思う。これは戯曲であるから、観る者の
あいだに「演じる者」が介在するのが前提である。そう
考えると89ページ以降に展開される「演劇論」がとても
重要に見えてくるし、ハムレットの人間性を最も正確に
かつ冷静に表した部分なのではないかと思う。

今の私はこの場面に一番惹かれたのだ。今回の読書で私
が得た最大の収穫である。

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