酒をのめ、君、つまらぬことを言わぬがよい。
岩波文庫 オマル・ハイヤーム『ルバイヤート』76ページ
11世紀の作品である。日本には世界に類を見ない、誇るべき
11世紀の小説と随筆があるが、このような古い作品が今に伝
わっているという意味を考えずにはいられなくなる。それは
作品として、芸術的に優れていることと同時に、多くに人に
読み継がれる大衆的な魅力を湛えていること、そして普遍性
があるということである。
オマル・ハイヤームは1048年ペルシャ生まれ。文学だけでは
なく、天文学、数学、物理学、史学などあらゆる素養を持っ
た天才である。『ルバイヤート』はもともと「4行詩集」とい
う意味であるが、絆創膏がバンドエイドという一商品名で呼
ばれるように、4行詩集と言えば『ルバイヤート』のことにな
っている。
私はあまりお酒に強くない。すぐに赤くなるし、飲み過ぎる
とふらふらになってしまう。さすがに40代になると、お酒も
自分のペースで飲めるようになるので、若い頃のような悪酔
いはしなくなった。家で晩酌はしない。また酒乱の気もない。
であるから、この『ルバイヤート』に通底する「酒を呑もう!
呑んで嫌なことは忘れよう!」という精神はちょっと分から
ない部分もある。精神的にである。私なら別の方法で忘れよ
うとするだろうな、ということだ。酒を飲むという行為自体
は嫌いではない。実を言うと今日から3日連続で飲み会の予定
が入っているほどである。
選ぶなら酒場の舞い男(カランダール)の道がよい。
酒と楽の音と恋人と、そのほかには何もない!
手には酒盃、肩には瓶子(へいし)ひとすじに
酒をのめ、君、つまらぬことを言わぬがよい。
(第96詩 76ページ)
恋する者と酒飲みは地獄に行くと言う、
根も葉もない戯言にしかすぎぬ。
恋する者や酒飲みが地獄に落ちたら、
天国は人影もなくさびれよう!
(第87詩 71ページ)
ないものにも掌(て)の中の風があり、
あるものには崩壊と不足しかない。
ないと思えば、すべてのものがあり、
あるかと見れば、すべてのものがない。
(第106詩 85ページ)
よい人と一生安らかにいたとて、
一生この世の栄耀をつくしたとて、
所詮は旅立する身の上だもの、
すべて一場の夢さ、一生に何を見たとて。
(第20詩)
歓楽もやがて思い出と消えようもの、
古き好をつなぐに足りるは生の酒のみだよ。
酒の器にかけた手をしっかりと離すまい、
お前が消えたって盃だけは残るよ!
(第21詩 25ページ)
訳者小川亮作さんは最後の「解説」で、オマルの刹那主義的
な考え方は、仏教的な思想と共通点があると指摘している。
鴨長明の『方丈記』や『平家物語』に顕れるこの世の無常観。
東洋的な寂しさがあった。(146ページ)
しかし、オマルは「遁世へ赴くことなく」、あくまでこのく
だらない世の中で酒を飲んで、遊んで楽しく生きようよ、と
謳っている。小川さんはこのポジティブな姿勢こそが、その
後の西洋社会における『ルバイヤート』に対する高い評価に
つながったのではないかと指摘している。
『ルバイヤート』は19世紀に入りエドワード・フィッツジェ
ラルドによって英訳され、日本にはその英語版を和訳する形
で伝わった。多くの文豪がこの作品に触れ、賛辞を送ってい
る。前向きな姿勢は西洋文明的であり、この世への無常観は
東洋文明とフィットした。これはあくまで結果論である。
この作品が持っている「世界観」や「宇宙観」が、全人類共
通に共感できるメッセージを持っている、と考えるべきなの
だろうと思う。その意味で、この作品は世界文学の中でも特
別な地位を占めているものであると強く感じる。
ルバイヤート (岩波文庫 赤 783-1)/オマル・ハイヤーム

¥504
Amazon.co.jp

岩波文庫 オマル・ハイヤーム『ルバイヤート』76ページ
11世紀の作品である。日本には世界に類を見ない、誇るべき
11世紀の小説と随筆があるが、このような古い作品が今に伝
わっているという意味を考えずにはいられなくなる。それは
作品として、芸術的に優れていることと同時に、多くに人に
読み継がれる大衆的な魅力を湛えていること、そして普遍性
があるということである。
オマル・ハイヤームは1048年ペルシャ生まれ。文学だけでは
なく、天文学、数学、物理学、史学などあらゆる素養を持っ
た天才である。『ルバイヤート』はもともと「4行詩集」とい
う意味であるが、絆創膏がバンドエイドという一商品名で呼
ばれるように、4行詩集と言えば『ルバイヤート』のことにな
っている。
私はあまりお酒に強くない。すぐに赤くなるし、飲み過ぎる
とふらふらになってしまう。さすがに40代になると、お酒も
自分のペースで飲めるようになるので、若い頃のような悪酔
いはしなくなった。家で晩酌はしない。また酒乱の気もない。
であるから、この『ルバイヤート』に通底する「酒を呑もう!
呑んで嫌なことは忘れよう!」という精神はちょっと分から
ない部分もある。精神的にである。私なら別の方法で忘れよ
うとするだろうな、ということだ。酒を飲むという行為自体
は嫌いではない。実を言うと今日から3日連続で飲み会の予定
が入っているほどである。
選ぶなら酒場の舞い男(カランダール)の道がよい。
酒と楽の音と恋人と、そのほかには何もない!
手には酒盃、肩には瓶子(へいし)ひとすじに
酒をのめ、君、つまらぬことを言わぬがよい。
(第96詩 76ページ)
恋する者と酒飲みは地獄に行くと言う、
根も葉もない戯言にしかすぎぬ。
恋する者や酒飲みが地獄に落ちたら、
天国は人影もなくさびれよう!
(第87詩 71ページ)
ないものにも掌(て)の中の風があり、
あるものには崩壊と不足しかない。
ないと思えば、すべてのものがあり、
あるかと見れば、すべてのものがない。
(第106詩 85ページ)
よい人と一生安らかにいたとて、
一生この世の栄耀をつくしたとて、
所詮は旅立する身の上だもの、
すべて一場の夢さ、一生に何を見たとて。
(第20詩)
歓楽もやがて思い出と消えようもの、
古き好をつなぐに足りるは生の酒のみだよ。
酒の器にかけた手をしっかりと離すまい、
お前が消えたって盃だけは残るよ!
(第21詩 25ページ)
訳者小川亮作さんは最後の「解説」で、オマルの刹那主義的
な考え方は、仏教的な思想と共通点があると指摘している。
鴨長明の『方丈記』や『平家物語』に顕れるこの世の無常観。
東洋的な寂しさがあった。(146ページ)
しかし、オマルは「遁世へ赴くことなく」、あくまでこのく
だらない世の中で酒を飲んで、遊んで楽しく生きようよ、と
謳っている。小川さんはこのポジティブな姿勢こそが、その
後の西洋社会における『ルバイヤート』に対する高い評価に
つながったのではないかと指摘している。
『ルバイヤート』は19世紀に入りエドワード・フィッツジェ
ラルドによって英訳され、日本にはその英語版を和訳する形
で伝わった。多くの文豪がこの作品に触れ、賛辞を送ってい
る。前向きな姿勢は西洋文明的であり、この世への無常観は
東洋文明とフィットした。これはあくまで結果論である。
この作品が持っている「世界観」や「宇宙観」が、全人類共
通に共感できるメッセージを持っている、と考えるべきなの
だろうと思う。その意味で、この作品は世界文学の中でも特
別な地位を占めているものであると強く感じる。
ルバイヤート (岩波文庫 赤 783-1)/オマル・ハイヤーム

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