ひるねクリッパー -3ページ目

ひるねクリッパー

オタ話用にとりあえず用意してみました。

 10月1日は「メガネの日」だったそうですが、案の定というかなんというか、ネット上で『メガネブ!』の話題を出している人はあんまりいなかったようで。放送中には「何もそこまで言わなくても……」ってくらいネット上ではフルボッコ状態だったので、仮に好きで見ていた人でもいまいち話題に出しづらいのかなぁ、などとも思いますが。

 まあそれはともかく、『メガネブ!』の映像的な特徴の一つに、極端に彩度を上げたカラフルな(ちょっと目に悪い?)色彩設計があります。最終回の後、なんで『メガネブ!』の絵面はあんなに色がどぎついのかについて、最終回のラストで明かされたある設定を踏まえながら考察している人がいて、なるほどなぁと感心しながら読んでいたのですが、そうした考察を抜きにしてもやはり『メガネブ!』の色合いは独特です。
 その中でも個人的に特に印象に残っているのは、時々背景に現れる夜空の、過剰なまでのきらびやかさです。多数の星がきらめき、月が十字の光芒を放ち、田んぼに張られた水にまで星空がくっきり鮮やかに映し出され、ほとんど『ガンダムSEED』あたりの宇宙空間描写と見紛うばかりの非現実的で幻想的な夜空が、『メガネブ!』の世界の夜を支配しています。ただ、さすがにそこまではいかなくとも、とにかく空気が澄んでいて、かつ乾燥して空気中の水蒸気が非常に少なくなる田舎の冬空では、驚くほど多数の星が見えることがあります。私もだいぶ前に、多数の星で天が埋め尽くされているかのような星空を一度見たことがあり、数えるほどしか星が見えない関東の夜空に慣れた私の目にはちょっと気味悪く感じられたほどです。
 この作品の夜景を見ていてふと思ったのが、いま多感な十代前半から中盤を過ごしながら『メガネブ!』を楽しんで見ていた人の中には、この作中の景色がずっと心象風景として心に残り続ける人もいるんじゃないかな、ということでした。別に夜景のシーンじゃなくてもいいのですが、私自身の経験として、ずっと小さい頃にあるテレビ番組で見た夜景が、その後も原風景のように心に宿り続けたことがあるので、きっと『メガネブ!』でもそれと同じような感慨を抱く人がいたかもしれないな、と。最近では『魔法少女まどか☆マギカ』の最終回で、まどかの存在しない(“概念”化した後の)世界を彩る見滝原の夜景をほむらが見下ろしているシーンでも、やはり同じことを考えていました。
『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』(以下「種デス」)第1話では、オーブ代表首長となったカガリ・ユラ・アスハの随員として、アレックス・ディノという偽名でプラントのコロニー「アーモリー・ワン」を訪れたアスラン・ザラが、コロニー内の光景を俯瞰するシーンがあります。
 カガリはプラントの最高評議会議長デュランダルとの極秘会談のためにこの地を訪れているため、この訪問自体が表沙汰にはされない非公式の日程なのですが、さらにアスランの方は自分が元々プラントの人間(ザフト軍人)であったという身分を隠した状態でプラントに入国しています。アスランはいわば二重の意味で「本来ここにいてはならない存在」であり、そんなアスランがかつての“祖国”の景色を見下ろしています。
 見慣れているはずなのに、今では遠く手の届かない存在になってしまったこの景色を前にして、自分の名を名乗ることのできないアスランはいったい何を思っているのだろうか……などと想像を巡らせてしまいます。

「種デス」は放送当時から毀誉褒貶激しく入り乱れていてネット上でも評価が荒れまくった作品だと聞き及んでおりますが、幸か不幸か私は2000年代全般に渡ってリアルタイムでガンダム作品を見ておらず、「種」も「種デス」も「00」も割と最近になって見ています。「種」と「種デス」は2012年からのHDリマスター版放送を期に見始めたため、2004年に種デスが放送された当時の熱気を肌で知らず、後から当時のエピソードを耳にすると、醜い言い争いをも含めた“場”全体の熱気を味わえなかったのは今思うと少々惜しかったかなぁ、などと思っています。
 ただ、そうした外野の“雑音”が聞こえない分だけ、あまり他の人の大声に惑わされず作品自体に向き合えるという利点もあり、そんな「遅れてきた」目線で「種デス」を見ると、問題点や首をひねる部分もたくさんありますが、作品全体に漂う雰囲気にはそれなりに私好みの部分も少なからずあったりします。第1話でアスランでプラントを俯瞰するシーンもその一つで、登場人物がどんなことを考えているのかを想像させるような余韻が、「種デス」では結構随所に見受けられるように思います。
(Twitterより)

 ゆうべ「エヴァQ」を地上波放送していたので初めて見た。
 エヴァQでは旧劇の時以上に「大人がいない」感が強い。ネルフも新組織のヴィレも、人類がほぼ絶滅した後14年も少数の仲間内だけで活動していれば、不特定多数の見知らぬ誰かと接する機会なんてなくなるだろう。だから、事情を知らない人に対して自分たちの行動の意味を説明する必要があるという、ごく当たり前のことにすら考えが及ばなくなり、それを忖度できない人間を感情的にバカだガキだと罵ることしかできない。そういう社会性を持てずに育ったアスカは、さしずめ28歳のオオカミ少女といったところか。その点で多少は大人だったミサトも、14年も仲間内だけで生きる世界に事実上引きこもっているうちに(それ以外の人間は皆死んじゃったので)、だんだん社会性が退化してきたんだろう。破からQまで14年も時間軸をすっとばしたのは、「大人も子供もこぞって社会性に欠けた人たちばかり」な状況に説得力を持たせるためなのかもしれない。
 昔BBCのドラマで核戦争後に文明が衰退した世界を描いた「スレッズ」というのがあったけど、案外Qの元ネタはこのあたりなのかな、などとも思ったりした。「スレッズ」では核戦争後にあらゆるインフラと社会サービスが消滅して、教育を受けられなくなった子供はほとんど野生状態に戻っている。カタコトで喋り、死にかけた親に向かってもただ「働け、働け」としか言わない。たぶんQのアスカもそれと同じ類だ。
 そんな社会性を喪失した人たちばかりの中に、事実上タイムスリップしたような形でいきなりぶっこまれたら、シンジ君だってそりゃとまどうだろう。ただ、意図しなかったとはいえ、そうなる状況を引き起こしたのも他ならぬシンジ自身ではあったというのも余計に救いがない。