敢えて問うなら答えもしよう。望むることはささやかなりし。
この腕に掻き抱けるだけの夢でいい。この胸に納まるだけの真実でいい。
例えて言うなら、その名は「フィアナ」。フィアナこそ我が命。フィアナこそ我がさだめ。
『装甲騎兵ボトムズ・赫奕たる異端』最終回「触れ得ざる者」。ああ、まさにその名の如くに。
『装甲騎兵ボトムズ』のTV本編から32年後のアフターストーリーとして製作されたOVA作品『赫奕たる異端』は、ヒロインであるフィアナの扱いを巡って、ファンの意見が賛否両論激しく別れていた。特にキリコとフィアナのラブストーリー的側面を中心にして見ていたファンにとっては、せっかくTV最終回で美しく完結した物語をフィアナの死という形で損なってしまったという点が、どうしても受け入れられなかったようだ。
私もTV本編の最終回で話を終わりにしておいたほうが、物語としては美しかっただろうと思う。ただ、敢えて続編として語られたキリコとフィアナの物語は、決してフィアナの存在をないがしろにするものではなく、むしろキリコにとってフィアナの存在がいかに大きかったかを強調するものであったと思う。まあ、強調するだけなら何も殺さなくても他の手だってあったろうに、とも思うが。
作中で「触れ得ざる者」という表現は、マーティアルから見た時のキリコと、キリコから見た時のフィアナという、二種類の異なった対象に向けて使用されている。この二つのベクトルは並行的に見られるべきものであるという意図だろう。一見全く異なるように見えるこの二つの視線は、見る者にとって対象が何らかの意味で絶対的な価値を持っている点で共通している。『赫奕たる異端』最終回予告の「例えて言うなら」という言い回しに、その視点が垣間見えるように思う。
同時に、共通しているからこそ、この二つの“絶対的な価値”の間の懸隔もまた強調される。一方はマーティアルのほとんどの人物が(もしかしたらロッチナとテイタニア以外一人も)その姿を見たことすらない、いささか抽象的な“神殺しの男”としてのキリコであり、もう一方はキリコ自身が共に死線を潜り抜けてきたフィアナ。前者の価値の絶対性は抽象観念であるが故にマーティアルの人々の間でなんとなく共有されるが、後者の価値の絶対性はキリコ自身の胸の内にしかない。ゴウトたち3人組ならある程度理解しているだろうが、彼等とてキリコ本人ではないから価値を“共有”できるわけではない。キリコは彼にとって唯一の絶対的な存在の喪失を、「触れ得ざる者」の重みを、ただ一人で抱え込まざるを得なくなったのだ。
……艶と儚さと力強さを兼ね備えた声によってフィアナというキャラクターに息吹を吹き込んだ声優の訃報に触れて、久しぶりにボトムズについていろいろと考えを巡らせていた。
声優・弥永和子さん、67歳で死去 シガーニー・ウィーヴァー吹き替えなど(2014年11月4日)
シガーニー・ウィーヴァーやスーザン・サランドンの吹き替えなどで知られる声優・女優の弥永和子(やながかずこ)さんが1日に敗血症のため亡くなっていたことがわかった。67歳だった。
所属事務所によると、通夜は6日午後6時より、告別式は7日午前11時より港区・青山葬儀所にて行われる予定。喪主は夫で声優の大塚芳忠が務める。
弥永さんは他にも「装甲騎兵ボトムズ」のフィアナや「新・エースをねらえ!」の緑川蘭子、「幽★遊★白書」の佐藤黒呼などの声を務めていた。(編集部・中山雄一朗)
(http://www.cinematoday.jp/page/N0067868)

『ガンダムビルドファイターズトライ』の主役陣はセカイ、フミナ、ユウマの三人組(トライファイターズ)ですが、3話まで放送されたところでは、ガンプラバトルを巡る物語は紅一点のホシノ・フミナが牽引しています。ガンプラバトル部の人数が減っていって、遂にただ一人の部員(部長)として残ってしまったフミナが、それでもガンプラバトルを諦めきれずに部員集めに奔走して、そもそもガンプラの存在すら知らなかったセカイを半ば強引にバトル部に引き入れたところから、この作品はスタートしています。ユウマはもともとフミナの幼なじみでガンプラバトルにも強い興味を持っていましたが、昔の手痛い敗北の経験が元で、本編開始の時点では一時バトルから身を引いていました。