【19-②】アメリカ型大量生産方式【2】~【監視-AI-メガFTA-資本】~ |   「生きる権利、生きる自由、いのち」が危ない!

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徳冨蘆花「謀叛論」を再発見してたら、
「ソクラテスの弁明」が、なぜ好きなのか、最近になって納得し始めた今日この頃です。


‟  経済学説史の多くは・・・・
すべて背景となる経済環境十分にふれることなく、
経済学の進歩が抽象的に捉えられている


 ところが実際は、経済学の学説は
常にそして密接に その時代と場所の産物なのであって、
それが解釈する世界と切り離して見ることはできない

しかもその世界は変化する
(中略)
過去100年の間に、
巨大法人企業、労働組合、不況と戦争、ゆたかさの増大と普及、
貨幣の性質の変化ならびに中央銀行の新しい役割および役割の高まり、
農業の役割の低下
ならびにそれに対応する都市化および都市内の貧困の増大、
福祉国家の台頭、
政府の経済運用全般に対する責任の新たな負担、
社会主義国家の出現、
といったすべてのことが、
現実の経済を劇的に変化させ、
それに革命的と言ってよいほどの変化を与えた。
経済学の対象となる事柄が変化したように、
経済学の主題も変化せざるをえなかった
のである。
(引用者中略)

 ・・・・特定の経済学説特定の世界の中で発展したのであって、
私は経済学をそのように世界を反映したもの
として見ようとしている。
たとえば、アダム・スミスの学説は
産業革命初期のショックという状況の中で、
デーヴィッド・リカードの学説は
産業革命のいっそう成熟した段階において、
カール・マルクスの学説は
資本家的権力によるしめつけの時代において、
ジョン・メイナード・ケインズの学説は
大不況の仮借ない災厄に対する応答として、
それぞれ発展した、
というふうに見ようとしている。”
(J・K・ガルブレイス『経済学の歴史』 P.4-5)

――・――・――・――・――・――

マルクス主義的決定論者・・・と、
自由放任主義的決定論・・・の狭間で、
私たちは
二種類の必然論の犠牲者であることに
気づくのです。
(引用者中略)
私の信ずるところ、これらはいずれも
同じ経済決定論的信条――19世紀の唯物論の名残――の
相違なる2つの形式にすぎない
と言うべきです。
経済史はそのいずれをも支持することはありません

 マルクス主義的決定論は、
社会の発展経路に関するある種の時刻表とでも言うべきものに
依拠しています。
奴隷制社会の後に続くのは封建制であり、
その後には資本主義が、
そして資本主義の後には社会主義が、というようにです。
これと並行してイデオロギーも変容していきます。
(中略)
結局のところ
あらゆる事物が、あらかじめ決定されています。
イデオロギーも同様で、
それが制度と化しているかどうかには関係ありません。
長期的には
社会的土台、つまり技術水準が、生産条件、
換言すれば
所有システムを規定し、そして技術水準と所有関係は、
相揃って制度化された理念と価値観という上部構造を規定する
というのです。
灌漑技術は奴隷所有者たちの社会を作り出すだけでなく、
そのような社会はまた、
最終的にはフェティッシュな偶像崇拝も生み出さざるをえない。
挽き臼は封建社会を作り出すだけでなく、
そのような社会はまた、
最終的には教会信仰を生み出さざるを得ない。
蒸気機関はブルジョア社会を作り出すだけでなく、
そのような社会はまた、結局のところ
自由、平等および友愛のイデオロギーを生み出さざるをえない。
電気とさらには原子力の時代は
社会主義を生み出さざるをえず、
そのような社会のもとでは、
支配的なイデオロギーとしての自由、平等、友愛は
再度姿を消し、弁証法的な唯物論に取って代わられる
というのです。

 さて、以上すべてのことに共通して、
非常に重要な一片の真実が含まれています。
技術と自然環境は、
人間社会の基礎構造を規定する決定的な要因ですし、
その社会のイデオロギーに深く影響する
でしょう。
しかし唯一、市場経済のもとでのみ
経済的要因が文化に
影響を与えるだけでなく、文化を決定する
のです。
市場経済のもとでのみ
経済が社会の状態と形式とを決定することになる
のです。
経済決定論は
市場経済において動かしがたい事実となります。
ただし、市場経済のもとでだけです。
それより前の時代を考える際には、
経済決定論時代錯誤にすぎず
未来を予測しようとする際には単なる憶断となる
でしょう。

 自由放任主義と同様に「マルクス主義」もまた、
19世紀的な条件を反映しています

市場経済とは、
市場、すなわち供給・需要・価格のメカニズムを通じて
編成された経済です。
市場経済のもとで暮らしていくためには、
原則的に市場で何か他の物を売って収入を得るしかありません。
しかしながら、市場経済を市場経済たらしめているのは、
その自己調整的な性格です。
市場経済は、
生産・労働・土地を
自身のシステムの包含することによって成立します。
私たちが暮らす社会より以前に、
労働と土地の運命を
供給・需要・価格メカニズムの手に委ねた社会は
存在しません。
ひとたびこのような事態が成立してしまうと、
社会は経済によって決定されることになります。
なぜでしょうか?
結局それは、
労働が人間の、そして土地が自然の
別名だからなのです。
市場経済とは、
それ自体の法則に支配される自己制御的なメカニズムの作用に、
人間とその住処とを引き渡すのと同義です。
したがって、経済決定論の構想
経済メカニズムの作用によって支配される社会で現れたことにも
合点がいく
でしょう。
経済決定論とは
現実の引き写しだった
のです。
(カール・ポランニー「経済史と自由の問題」
『経済と自由』所収、ちくま学芸文庫 P.52-55)
※太字・着色による強調は引用者。

――・――・――・――・――・――・―――

ジェリー・マンダー
‟科学技術を礼賛する人々は、
科学技術のおかげで
私たちの生活水準が上がったという。
移動が速くなり、選択の幅が広がり、
余暇が増え、贅沢ができるようになった。
しかし、それによって
人間の満足感、幸福、安全、あるいは生命力が
向上したかどうかは別問題だ。”

――――――――――――――――――

“石炭から原子力への転換は、
今日のスモッグを、
明日の高レベルの放射能で置き換えることである。
精錬所を
汚染規則がそれほど厳しくない海外へ移すことは、
世界規模の高度汚染という犠牲を払って、
ヴェネズエラ人ではなく、
アメリカ人を悪臭からまもることなのである。

 道具の過剰成長は、
迷惑行為とか不法行為といった伝統的な形態に
似たところがあるが
しかし全く新しいやりかたで、人々の脅威となる
こういった脅威新しい種類に属する
というのは
脅威を与えるものと脅威をうけるものが
同一の人間
だからである。
すなわち〔=その人間〕は、
残酷なほどに破壊的な道具の
操作者でもあれば依存者でもある

最初のうちはそのゲームでもうける人もいるが、
結局はすべてのものその持てるすべてを失う
のである。”
(イヴァン・イリイチ/渡辺京二ほか(訳)
『コンヴィヴィアリティのための道具』)

 生態的均衡再建は、
進展する価値の物質化無力化しうる社会の能力にかかっている。
その能力なければ
人間は自分がつくった人工世界の中出口もなしに
まったく閉じこめられてしまうだろう。
自分でつくった自然的・社会的・心理的環境に封じ込められて
人間は、
自分が数十万年かかって適応して来た昔の環境
二度と見いだすことできずに
科学技術がつくった人工殻囚人となりはてるだろう。”
(イヴァン・イリイチ『コンヴィヴィアリティのための道具』邦訳 P.95)
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30分に1人が自殺・・・苦しむインドの農民たち
Democracy Now !


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前回記事】では、
チャールズ・ハイアム(Charles Hyam)の
『大豆と文明』(1952年)での指摘を
引用した形での
ヴァンダナ・シヴァ
『緑の革命とその暴力』(邦題)による叙述を
取り上げさせてもらいました。

そこでは、
アメリカの農業モデルは、
その非持続的で生態系への負担が大きく、
アメリカの大草原の肥沃な耕地を
30年も経たないうちに
‟砂漠
(ダストボウル・黄塵地帯)
変えてしまう”
ような、
《化学肥料》使用、
《大規模な単一栽培》、
《集約的で徹底した機械化》の
アメリカ式農業モデル

見ていただきました。

じつは、
この《アメリカ式農業モデル》が、
戦後の世界における
《緑の革命》や
《遺伝子組み換え種子&除草剤セットの農業》

そして「バイオテクノロジー」につづく源流だと
高樹は位置づけし、認識しております。


〈世界銀行〉や〈IMF〉、
アメリカの〈国際開発局〉などを駆使してまで
この《アメリカ式農業モデル》が、
そして《開発》が、
結局は、世界を、
多国籍企業の《販路変え、
縛りつけてしまう構造餌付け構造》を
たとえば、
ロングセラーの名著の
スーザン・ジョージによる
なぜ世界の半分が飢えるのか』(邦題)の
中身を見れば、
何故どうして、
このような問題意識
を高樹が抱くのか、
お分かり頂けるかもしれません。
――そのスーザン・ジョージの本によれば、
高樹も何気なく当たり前に使っている
アグリビジネス”という言葉が、
現われ、使われ始めたのは、
1960年代なかば頃で、
農場から食卓までの、農作物のタテの流れを
組織的に支配できる構造
》が
出来あがった頃だと言います――。

そのスーザン・ジョージの本には
つぎのような興味ぶかいことも
書かれています。


‟どんな作物を誰のためにつくるのか、
という問題から離れて、
より一般的な意味での‟技術”
つまり生産のための道具という点からみた場合、
なお十分に認識されていないと思われるもうひとつの事実
指摘しておこう。
ひとつの技術を選択するということは、
自動的にそれを供給するもの、すなわち売り手
――しかも長期にわたる取引相手――を選択することになる
西側先進国の新技術を選択するということは、
その技術がここ当分優位を保つと思われる工業部門のことは
一応論議の外に置くとして、
貧しい農村経済にとっては
いったい何を意味する
のだろうか。

 食糧を増産してゆくためには、
多国籍企業やコンサルタント会社の技術や生産資材を
採用すること
もできる
し、
あるいは
自前の伝統技術を発展させて、
農民に適切に改良された機具を与える
こともできる
肥料にしても、
さまざまな原料を使って自力で生産することもできるし、
全部輸入することもできる。
もし、自前の技術より多国籍企業
あるいは国産より輸入を選べば
それ自立よりも従属選ぶことになる
このことはまた、
技術を提供する者への支払いによって、
農業部門(あるいは他の必要な部門)へ向ける資金を、
それだけ減らすことにもなる
投資が少なければ生産も少ない。
生産が少なければ、
外部の援助によってジレンマを解決したくなる
こうして悪循環始まる
その意味では
問題は技術というより資本であろう

 もっとも進んだ技術と思われているもの
つまり“最良のもののみ”を望んでいる開発計画者たち
いちばんに気にいっている技術

実は低開発性
深刻化させ恒常化させる
かもしれないのだ

こうした技術受け入れれば
その導入費維持費必要とし従属関係が生まれ
資金の配分適切さ欠くようになり
その国の社会にも悪影響を与える
からである。”
(スーザン・ジョージ、邦訳 P.115)
※下線・強調は引用者。

低開発性深刻化させ恒常化さえし、
多国籍企業/供給者サプライサイド)への
従属関係をもたらす》ような
開発計画者たち〉が気に入っている技術である
アメリカ式農業モデル》や
アメリカ式大量生産方式》の形態は、
利潤(価値)の絶えざる増大」の行きつく、
必然的帰結として、ではなく
以降に見ていくように、
アメリカの地理歴史的な事情から
生まれた
技術形態
》でもある、
と高樹は思っています。

そしてまた、
アメリカ式農業モデル》や
アメリカ式大量生産方式》や《開発》を、
世界中〉に《行き渡らせて
世界各地〉が縛りつけられる
》ということを、
剰余価値をつくり出す事での
絶えざる利潤の増大運動
〉という
〈資本主義〉についての定義でではなく
《根源的独占》という見方で捉えた場合、
かりに開発》から
利潤の不断の増殖運動〉という〈資本主義的要素〉を抜き取ることが出来たとしても、

根源的独占》の点では、
生存力危機」の問題は“何も解決されていない
のではないか、と今現在のところ、
捉えることが出来るように思います。

というのも、
私たちの生活や生存に欠かせないモノ生み出す為に
必要な
道具・手段・技能・術(すべ)〉が、
テクノロジーの駆使や依存》によって
駆逐・淘汰・排除”されて、
モノを生み出すための道具や手段や術や使い方〉が
手元に残っていない》という《根源的独占状況に
なる
のならば、
進歩すればするほど》、
私たちの生存力や生命力が《弱く細くなっていく》からです。

すると、
いかに大きな生産力や経済規模を持とうとも〉、
エネルギー資材供給されなければ》、
あるいは《流通途切れれば》、
モノを生み出す手段・道具・術残っていなければ》、
経済規模〉に‟関係なく”、
分業的な社会的生産サイクルが《停滞》して、
付加価値が実現〉《されなくなる》のではないでしょうか?

――そして〈貨幣〉は何の意味も役も持たなくなる――。

〈農業や食料生産〉ひとつを取り上げて
考えてみて下さい。

どうでしょうか?
食用牛のエサとなる大豆トウモロコシ生産にも、
食用牛そのもの運搬糞尿の片づけにさえ、
石油》が、重機やトラックの燃料として
欠かさず関係》しています。
奇妙な話、
私たちは、石油そのものを食べませんが、
石油無いと生きられない状況にある》のではないでしょうか?
機械はあっても、
エネルギーが無ければ、
鉄の塊になるものが沢山あるのではないでしょうか?
――〈規模の経済性で採算が取れるかたちの農業〉は
大量生産ですから、別な見方をすれば、
石油資源や農薬・除草剤の供給依存する隷属状態に置かれる》とも言えるかもしれません。

さらに今ひとつ、
上に貼りつけた「Democracy Now」での
「30分に1人が自殺、苦しむインド農民たち」
にある通り、
借金生計とのため》に
換金作物の大量生産》を
余儀なくされ、縛りつけられる》ことも
見逃せません――。



――・――・――・――・――

話題の切り口を変え、
まことに恐縮しますが、


20世紀の定義として、
「戦争の世紀」
「開発の世紀」
「物理の世紀」
「石油文明の世紀」
「クルマ文明の世紀」など、
様々な定義があります。

「どの定義」も当てはまるように思われ、
どの定義が、最も世相を言い当てているか、

といったように見るよりも、
それぞれ定義」が、
20世紀という或る全体を「構成する各側面
であって、‟みな繋がっている”かように、
高樹には見えます。

というのは、20世紀は、
パックス・アメリカーナ」とも言われるような、
アメリカが覇権国となる
アメリカの世紀であった》からです。

――・――・――・――・――

今日では、
〈私たちの社会〉や〈産業〉を支え、
――《その道具やテクノロジー》に基づいて、
〈私たちの日常の行動の仕方〉も
変わってきたり、決まってくる――
社会の日常にとって必要不可欠な、
ネジなどを始めとする
製造部品の
《互換性≒規格化=標準化》の歴史において、
アメリカ発の《大量生産方式》が欠かせず、
この《アメリカ式大量生産方式》こそは、
サラダ・ボウル国家”こと‟多民族国家”、
――それぞれ違う言語/母国語をもつ民族が、
アメリカに移住
してきていて、
公用語の英語で、
コミュニケーションを取れるとは限らない
――
アメリカという環境だからこそ、
育まれた〈生産方式〉
だ、とも言われます。

そしてまた
エネルギー資源浪費的”である/あった
アメリカ式大量生産方式》こそは、
開拓時代は人手が少なく、
資源が豊富で肥沃な土地のアメリカ
であった
という地理歴史的側面も働いているようです。


《互換的標準化》製造部品について、
現在ではどうか
認識できていないのですが、
(かつての)中小零細企業の強みの一つとして、
「ネジ製造技術」を
挙げることができるはずです。


産業のコメ」とさえ言われる〈ネジ〉は
様々な工業製品や建築施工などの産業でも
「無くてはならない製品」です。

ホームセンターに足を運べば、
ネジや工具部品には
様々な《型番》が、ついています。

家具に必要なネジを
新たに購入するのに、
そのネジの《型番》や寸法が
ネジに表記されてあったら、
お目当てのネジを買い、
家具に取り付けることができる
便利な工夫》です。

ネジや工具部品
それを製造・供給するメーカーによって
まちまち・バラバラだったら〉、
そのメーカーのネジを調達しないと
モノ組み立てたり、修理できなくなるので
〈非常に不都合〉
です。
その一方、
どのメーカーでも、
ネジや部品が
規格があって、統一化》されていると
どのメーカーのネジでも、
互換できて、代替・代用ができるようになる
ので
非常に便利》です。


しかし歴史的には、
この《規格化・標準化・互換性技術》は、
資本主義的論理によって
おのずと形成されてきたもの

という訳では無かったようです。


18世紀末~19世紀前半にかけて
〈多くの機械工〉が
木工工作機械や汎用金属工作機械や工具を
発明する
ことで、
部品の精密な機械加工が可能》になりました。
また同時に
滑車や錠前、工作機械の‟大量生産を可能にする”
《互換性部品が登場する》
など、
製品の大量生産の陰には、
《機械化や互換性部品の登場と利用》が
不可欠
となりました。

その生産の機械化などの産業革命の発祥の地は
御承知のとおり、イギリスで、
それに続いて、ヨーロッパで次々に
産業革命=工業化が起こります。


イギリス産業革命は、
綿工業にはじまり、
機械や鋼鉄などの工業が
つづいて急成長して行きました。

アメリカは、19世紀後半に、
鉄血宰相ビスマルクのドイツと並んで
急成長していきましたが、
イギリスをはじめ欧州先進国を追う
後発国でした。

やがて、20世紀前半の両世界大戦を経て
戦禍を受けず、
欧州に食料や兵器の供給を担ったアメリカが
比類なき覇権国として君臨する訳ですが、
この米国が覇権国となり世界をリードするが故に、
「今日の《規格化・標準化社会》が形成された」

と考えます。

歴史的事情に加えて、さらに地理的に、
北アメリカ大陸は
豊富な資源に恵まれた資源大国
で、
19世紀には、
世界屈指の農業国になっており、
20世紀の両世界大戦時のアメリカは、
ヨーロッパ戦線に食料を供給する
「後方基地」を果たしてさえいます
――そのために米国では、
農地拡大の他方で、
農業の機械化および省力化、
大型農機具や灌漑施設の設置、
化学肥料の投入
》につとめて、
《農産物の大量生産方式》を進めました。
がしかし、アメリカ農民からすれば、
それら《農業の近代化》には、
膨大な投資費用が発生」してきて、
そして、投資分を「回収するための
長期的な市場価格の安定が必要」となってくる

〈農民票〉が
大きな影響力をもっていたアメリカ政治では、
第2次大戦後の余剰農産物を‟捌く”一環として、
日米間協定の《MSA協定》で、
米国からの余剰小麦の受け入れを約束――。

それら食品のほか、19世紀の米国では、
〈鉄鋼、石油などの多くの製造業が発展を見せる

と同時に、
それに並ぶ〈国内市場の拡大〉が見られるのでした。

アメリカ北東部の綿工業から始まる
アメリカの工業化》が、
「南北戦争」や「全国的な鉄道網の建設」に刺激されて、中西部に広がっていきます。
そして19世紀後半からは、
「第二次産業革命の時代」

電気、化学、内燃機関など
と言われるような「新たな技術革新」が見られ、
鉄道や鉄鋼や石油など新産業の株式会社が広がり、
また「大規模な企業合併」を通じた
「世界第一級の規模をもつ巨大企業」が誕生して、
19世紀後半から20世紀初頭にかけて、
ずば抜けて高い経済成長を遂げ、
1880年代には
世界の工場だったイギリスを抜くほどの
ナンバーワンの工業国へと躍進し、
1900年には世界最高の
生産性の高さを見せる
ほど、
大西洋の向こうのドイツと並んで、
アメリカは、時代の先頭を走ることとなります。

しかし、いまのトランプ大統領が
モンロー主義的な過去の対外政策を
匂わすような主張を織り交ぜて、
支持者の心情を擽(くすぐ)ったように、
この頃のアメリカの対外政策は
国際的な表舞台に出ることには
消極的だったのです。

しかし、
このアメリカの経済的発展の他方で、
第一次・第二次の両大戦をはさんで
第二次大戦が終わると、
欧州大陸やアジア大陸のように
本土が戦場になることは免れ、
荒廃するどころか、
戦争中と戦後に、
量産体制の経済が強くなることで、
経済的にも国力的にも、アメリカ
世界的に比類ない大国となり、
20世紀後半からは、
アメリカを中心として
アメリカが覇権国となる
「アメリカの世紀」となった
ことは
言うまでもありません。


※今回の記事は
鈴木直次『アメリカ産業社会の盛衰』(岩波新書)に
大きく負っています。


【次のページにつづく】