【9b】〈第3章〉《先制攻撃》論という新たなマントラ ~『911後世界のセキュリティ幻想』~ |   「生きる権利、生きる自由、いのち」が危ない!

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徳冨蘆花「謀叛論」を再発見してたら、
「ソクラテスの弁明」が、なぜ好きなのか、最近になって納得し始めた今日この頃です。

前回からの続き

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◆◇◆◇◆◇

戦争が始まるとき ~戦争犯罪者ブッシュの宣戦布告~(字幕つき)

 

「Security Integration and Rights Disintegration in the War on Terror」

 (テロとの戦いでのセキュリティ統合と人権の崩壊)

モーリーン・ウェッブ弁護士

―――――――――――――――――

安全保障の幻想 国際的な監視と911後の民主主義

(Democracy Now! Japan) 

しつこく何度も 〈http://democracynow.jp/video/20070220-2〉 を コピーし

画面上のアドレスバーにペーストして、

Enterキーを押してスキップ移動を試してみてください。

 

以下は、モーリン・ウェッブ弁護士による

『セキュリティ幻想(安全保障の幻想)

~国際的な監視と911後の民主主義』の

第3章の拙訳です。

 

―――――――――――――――――

世界を戦場にしていい理由9.11から無人機攻撃まで
うまくリンク移動できない場合は☞コチラ
http://democracynow.jp/video/20130517-1
(Democracy Now――放送日2013/5/17(金)

2013年、国防総省の高官は上院の公聴会で
軍が敵とみなす者がいるところが戦場」であり、
アルカイダとその関連組織との戦いは
最短でも10~20年かかる
と証言しました。

 

◇■◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

この第3章を訳出した理由は、

第4章を見ていく上でも、

その経緯や背景を知る必要があると思え、

またブッシュ政権のイラク戦争から始められ、

今も続いている《テロとの戦い》に繋がる戦争観は、

父ブッシュ政権の1992年春に、

ネオコンたちが作成した

ガイダンスやレポートに基づいており、

何も2001年になって生まれたものでは無い

ということを紹介しているからです。

2001年どころか、

ネオコンたちが1990年前後から

すでに案出していた、この戦争観は、

〈ネオコンたち〉、あるいは〈PNACのメンバー〉

(the Project for the New American Century

/新たなアメリカの世紀に向けたプロジェクト)が、

21世紀もアメリカが覇権を確立するために

イラクやイランやリビアや北朝鮮を、

「ならず者国家として攻撃する」つもりでいた事が

紹介されています。

そのことの点について、

モーリン・ウェッブ弁護士は、

グウェイン・ダイヤーの意見を紹介する形で、

以下の本文のなかで、

興味深いことを指摘しています。

それは、ここ10年~40年間、

いわゆる「ならず者国家」の対アメリカ姿勢が

変わっておらず、

1990年代初頭の時点で、

対アメリカ姿勢は固まっているのに、

なぜ、あるとき突然に、

それら「ならず者国家」が、

世界の最脅威国としてブラックリストの上位に

ランクインされることになったのか?

という指摘です。

その答えは

the Project

for the New American Century

都合だから、ということのようです。

 

しかも興味ぶかいのは、

ネオコンたちは、

《ジャパン・バッシング》が酣(たけなわ)の

1992年春に作成された

「国防ガイダンス=ウォルフォヴィッツ・ドクトリン」のなかで

アメリカが、覇権を維持拡大するために、

その強大な軍事力をさらに研ぎ澄ませて、

21世紀に新しい秩序を確立することを目指すが、

他方同時に、
《ドイツや日本のような“潜在的な競争国”が、

国際舞台で

より広域的な役割や世界の中での役割を

得ようとすること阻止すること”》も、

アメリカは狙ってきているにもかかわらず、

日本のアホなウヨクたちは、

日米同盟を維持させていれば安泰だと思い込んで

日本の大事なものを貢いできた

という情けなさです。

 

ネオコンが編み出した《先制攻撃/機先》が、

監視社会化を可能にするのである、として

当本の全体的テーマである監視社会化と

関係してくるのでした。

 

この第3章のなかには、

国連憲章で辛うじて容認されている「自衛権」を

アメリカが《歪曲させて行使》する点、

そしてまた今回の、日本における《共謀罪》で、

国連特別報告者のジョセフ・カナタチ氏が、

日本政府に警告の書簡を宛てたのに対して、

日本政府が払い除けましたが、

ネオコンのレポートのなかで、

アメリカの軍隊は

世界の警察》としての役割を果たすにあたり、
そのためには、

国際連合のリーダーシップよりも

アメリカの政治的リーダーシップを必要とする

と主張していたのを思い出しました。

さらにネオコンの報告書では、
すでに130カ国にアメリカの部隊が配置されているが、

さらにその他に加えて、
地球上のアメリカ軍の駐留=恒久的軍事基地を
中東、南東ヨーロッパ、ラテンアメリカ、

南東アジアに、さらに手広く拡げることを

主張していて、

基地問題のことを思わざるを得ませんでした。

 

また、以下の本文中に

「ウィルソン・ビジョン」という言葉が出てきますが

文字数制限上、今回では紹介できないので、

次ページで御紹介したいと思います。

 

◇◆◇◆◆◇◆◇◆◆◇◆◆◇

 

 ブッシュ大統領による秘密の盗聴プログラムやマヘル・アラルの話は、

ほんの一端でしかないが、その氷山の一角は、

911以降、ずっと諸政府が使っている監視の新しいやり方であるのだ。

監視の、この新しい活用の機会と発端とを理解するためには、

監視の新しい使われ方が浮かび上がってきた文脈背景を調べることで、

話を始めることが有効である。

911後ブッシュ〔Jr〕政権のマントラ/標語は、

テロが起こる前に、

事前にテロリスト「の先手を打って阻止する」か、

テロリストを「引き裂く」か、

という策略/構想(plot)のマントラとなり、

テロリストの財源を枯渇させ、

そしてテロリストたちを匿うような「崩壊」した「ならず者」国家という沼地を枯渇させるようになる。

この政権は、或る程度、

911後に米国人たちが持った極度の不安感に応じるものであった。

毎年、世界中のテロリズムに巻き込まれて亡くなる死亡者数の何倍も、

毎年、米国内での自動車衝突での死亡者数のほうが多い、という統計データがあるにもかかわらず、人々は不安を感じたのである。

しかし、この新たなマントラは、

公共をあらためて保障するだけと言うには実態は程遠く、

それとは別のアジェンダ/隠された計略の数々に従ってきてもいる。

まず第一に《Preemption/先制攻撃・機先》という新しいマントラは、

法執行と諜報/対テロ情報収集(security intelligence)との重大な政策変更に、つながった

アメリカ政府は、明確な容疑者を突きとめる明確な手がかりを追求し、その追求を発展させたことで、

突きとめられた特定の危険に対して、

通常の法執行と諜報とを集中することに、

もはやアメリカ政府は、焦点を合わせてはいない。

むしろアメリカ政府は、リスクに対する先制に、

焦点を合わせ始めてしまっていて、

これにより法執行機関や諜報機関が何年も待ち望んできた、

全体規模の完全なウィッシュリストを、

ブッシュ政権が具体化するのを可能にしたのである。

リスクに対する先制は、極端な予防警備と機密活動という形で出た。

カナダの人たちは、この様子を、

〔マヘル・〕アラル[拉致拷問事件]調査委員会での、

王立カナダ騎馬警察/王立カナダ国家憲兵マイク・カバナ警視による証言で、ちらりと垣間見た。

というのも、カバナ警視は、

未来の攻撃に向けたゼロ・トレランス(非寛容)的なアプローチと予防任務とを有していることを述べたからである。

そしてアメリカの人たちのほうは、ブッシュ大統領による秘密の監視プログラムの暴露と、その監視計画の理由を、十分に得ている。

 

先制というマントラ危機感は、

先制攻撃/監視を正当化すべく、乱暴になるブッシュ政権を政権として存続させるのに役立ち

そして政府の手に、権力を統合することの助けになった

そして、このマントラは、反対者の優位に立ち、一般の民衆を操作し、そして、政府の姿勢に抗議する個々人や組織に対して圧力をかけするのに、とても役に立つのであった。

しかし、何よりも、このマントラは、

ブッシュ政権下でのネオコンの対外政策に、役に立ったのであった。

1989年から1991年までの間のソヴィエト連邦におけるコミュニスト体制の崩壊および冷戦の終焉とともに、

周知の神話/俗説が、アメリカ合州国に根付くことなった。

レーガン政権時代の大規模な防衛費支出とアメリカの政治的意義の圧倒的アピールとが、崩壊をもたらしたのだ、という神話/俗説を思うようになったのである。

そして、自分たちの思ったように――ほとんどのアメリカ人にとって、

アメリカの役に立つと同時に、アメリカにとって、より安全な場所に――世界全体を作り変える為に、これらアメリカの財産を使うべきで、それが可能である、と、そうした信念から推測する輩が出てくるのであった。

1992年春に、レ―ガン政権時の元メンバーであった

ポール・ウォルフォウィッツと、I・ルイス・ルビーとが、

ジョージ・H・W・ブッシュ(父ブッシュ)政権内で

「国防プラン・ガイダンス(Defense Planning Guidance)」

〔拙者註:1992~1999年、別名「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」〕を流布させていた。

その「国防プラン・ガイダンス」〔拙者註:1992~1999年、別名「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」〕は、アメリカの他に追随を許さない軍事力が、新しい秩序を確立し、それを守ることを目ざした、21世紀に向けての戦略を提示したものであった。

またひとりレーガン政権の高官であったディック・チェイニーは、そのときは、国防長官であった。

ドイツや日本のような“潜在的な競争国”が、

“より広域的な役割や世界の中での役割を望もうとする事さえ〔アメリカが〕阻止すること”を、この〔「国防プラン・ガイダンス」という〕草稿は求めている。

この草稿は、つぎのような見通しを述べている(predict)。

いわく、アメリカの軍事介入は、未来の不変的な特徴(a “constant feature” of future)のひとつとなるだろうし、

そしてアメリカ合州国は、大量破壊能力を開発させている他国に対して、すすんで先制攻撃を行使すべきで、もし必要とあらば、アメリカが単独で動くべきである、という。

この態度は、当時からすると、「ソフト」パワーや多国間制度(multilateral institutions)を使うことを頼る姿勢(a reliance on the exercise of “soft”power and multilateral institutions)を(意図的に)避ける、過激/急進的(radical)で一方的(unilateral「片務的」という意味も)な戦略であった。

がしかし、この戦略は、アメリカの軍隊で、多くの数の死亡者が発生する事について、市民が寛容でいられるか、という事に関する、アメリカの軍事パワーがもつ、きわめて現実的な限界を、無視してる。

この草稿/提案を、ジェームズ・ベイカー国務長官、ブレント・スコウクロフト国家安全保障担当 大統領補佐官のような共和党上院議員たちが退け、

このウォルフォウィッツ/リビー文書を、変更するように、強く要求している。

 

ビル・クリントンが、1992年の国政選挙に勝利し、1993年に就任すると、

そう遠くない将来までに、アメリカの支配的優勢を確立するために、アメリカ合州国は、“一極的”な機に乗ずる(seize the “unipolar” moment)べきである、という信念をもつ、ディック・チェイニー、ポール・ウォルフォウィッツ、ルイス・リビー達は、下野(げや)=野党暮らしになった事で、忘れ去られた。

“共和党の上流メンバーたちの中における国防&外交政策が、するどく尖鋭化する”ように、“十分に調整されたイデオロギー・キャンペーン”を準備することに、彼らは、彼らの数年間を使った。

新保守主義/ネオコンサヴァ―ティヴズとして知られているが、

「新(neo)」というのは実は、ネオコンの彼らが、もともとは民主党員(Democrats)として自分の政治キャリアを始めた、という事実から来ているが、

新たなアメリカの世紀に向けたプロジェクト(the Project for the New American Century【PNAC】)と彼らが呼ぶアジェンダである、或る原則書に、1997年に署名して結束したからであった。

この原則書は、つぎの忠告でもって結んでいる。

「軍事的な強さと明確なモラルとを掲げたレーガン的な政策は、今日、流行らないだろう。

しかし、もしアメリカ合州国が、この前世紀の成功に基づいて前進し、我らアメリカの偉大さを確固たるものにするつもりであるのならば、このレーガン的な政策は必要なのである」

 

イラン、シリア、リビアや北朝鮮のような「ならず者国家」に対する先制的軍事攻撃をPNACが唱道し、そして特にイラクからサダム・フセインを引きずり下ろすことに固執するのだった。

グウェイン・ダイヤーの観察によれば、

それら国々はすべてこの時点で10年から40年の間ずっと同じ管理体制下で変わらず1990年代初頭以降からアメリカへの敵意もそれ以上増していないのに他にこれといったものも無いのにもかかわらず、この地球上における脅威の最上位に、これらの国々が、唐突にランクされるのであった。

(のちにジョージ・W・ブッシュ政権時の国防省副長官となる)ポール・ウォルフォウィッツ(Paul Wolfowitz)、

(2003年まで国防政策員会議長を務める)リチャード・ペール(Richard Perle)、

(ジョージ・W・ブッシュの国防総省〔ペンタゴン〕の高官の1人となる)ダグラス・フェイス(Douglas Feith)、そして(ジョージョ・W・ブッシュの中東関係のチーフ・アドバイザーの)エリオット・エイブラムス(Elliott Abrams)をふくむ、かなりのPNACメンバーは、イスラエルの強硬派であるリクード党との永続的な関係を持っていた。新しく選出されたリクード党首相ベンヤミン・ネタニヤフに向けて「A Clean Break」と呼ばれる研究書を、ペールとフェイスは1996年に書いたが、その研究書のなかで、

オスロ合意の縛りをイスラエルが拒むことを可能にするであろう“敵に攻撃される可能性の少ない社会を/平和を欲せば、戦への備えをせよ(“peace through strength”)”戦略の一環として、ネタニヤフは武力攻撃行なってサダム・フセイン政権を転覆させるように、とペールとフェイスは論じている。

ペールとフェイス、又そのほかの者たちは、父ブッシュが、サダム・フセインをやっつける手前で戦争をやめてしまったことに、歯ぎしりをしていた。

そしてクリントン大統領への1998年の手紙のなかで、PNACは、イスラエルや並みのアラブ国家のような同盟国や友好国の安全、またその地域におけるアメリカ部隊の安全、世界の石油供給の要所を、フセイン政権が危うくしているので、サダム・フセインを、政権の座から降ろすように、クリントンに論じている。そのクリントンへの手紙には、ドナルド・ラムズフェルド(Donald Rumsfeld)、ポール・ウォルフォヴィッツ(Paul Wolfowitz)、リチャード・ペール(Richard Perle)、ウィリアム・クリストル(William Kristol)、リチャード・アーミテージ(Ricahrd Armitage)、ジョン・ボルトン(John Bolton)などの署名があり、これらは後に、ジョージ・W・ブッシュ政権のメンバーとなる。

サダム・フセイン降ろしへの執着が、そこにはあったが、しかし、新保守主義/ネオコンサヴァティズムの中東における包括的アンジェンダは、アメリカとイスラエルの利害にとって好都合なように、この地域の政治的状況を作り直すことであった。

PNACからすると、この米国とイスラエルの利害にとって好都合なように中東を作り直すことは、湾岸における米軍駐留を確立することを、そして、アラブにある、狂信を生み出す腐敗し独裁的な政権とネオコン達が見なした者を、軍事力でもって改革し政権交代させることの意味も含まれていたが、その政権が、腐敗し独裁的な政権かどうかの境目は、そうした政権が、アメリカを追随する国家かどうか、に依り、そして陰に陽に、反ユダヤ主義を助長し、西洋に対するジハード(聖戦)と説く聖職者を容認する政権、とされた。

中東でのネオコンによる包括的アジェンダを始めるのにイラクは格好の場所なのであった

というのも、イラクは、すでに国際連合とトラブル関係があって、国際的地位がほとんどなく、いくつかのアラブ諸国からでさえ、悪口を言われていたからである。

アメリカ防衛の再構築:新たな世紀に向けての、戦略と軍隊と資源」(Rebuilding America's Defenses : Strategy, Forces and Resources for a New Century)と題する、2000年9月の報告書のなかで、PNACは、つぎのように、〔PNACの本音を〕ずばりと述べている。

“アメリカは、ペルシャ湾岸地域の安全を担う、より恒久的な役割を果たそうと、数十年間、努めてきた。イラクとの未解決紛争が、ペルシャ湾での米軍駐留の法的担保についての、問答無用の根拠をもたらしてくれているので、ペルシャ湾でのアメリカ軍の実質的駐留の必要性が、サダム・フセインの体制という問題よりも、いまや勝っている。”と。

PNACが表明するゴールは、中東の民主化である、というのだが、しかし、

アフガニスタンやイラクでの出来事の数々や、後のハマスのパレスティナでの選挙が示しているように、民主的に選挙が行われる政府を容認するような準備を、ネオコンたちはしていなかった

というのも、ネオコンたちは、親-欧米政府(pro-Western)据え付けらえるように確保することができるコントロール権力を、十分に保持することを、望んでいたからだ。

 

この「アメリカ防衛の再構築レポートは、“パックスアメリカーナ(「アメリカの平和」)”を必要としている。

「パックス・アメリカーナ」というのは、アメリカ合州国が、覇権主義軍事力(the hegemonic military power)であり、この世界で、まだ民主化が起こっていないところに民主化をもたらす、というものである。

これは、或る種のウィルソン・ビジョンを、戦争の工夫をまとった極端にしたものだった(Wilison vision on steroids ,with a military twist)。

このレポートのイントロダクション/導入部で、このレポート執筆者たちは、

つぎのように述べている

現在では、アメリカ合州国連邦は、この地球上でライバルがいない

アメリカの大戦略/グランド・ストラテジー(grand strategy)は、可能なかぎり遠く未来までアメリカの優位的な立場を、維持や拡大すべきである”と。

 

こにレポートによれば、

これ〔可能なかぎり遠い未来まで、地球上におけるアメリカの優位的立場〕を維持・拡大するため〕の方法としては、より使いやすくよく小型化された、新たなタイプの核兵器を開発することをもって、他に追随を許さない核の優越性を、確立することであった。

:つまり‟グローバル先制攻撃部隊”に変えること、

軍事に革命的な変化をもたらすこと、

グローバル・ミサイル防衛(スター・ウォーズ)システムを敷くこと

このスター・ウォーズ・システムは、

アメリカ合州国に、核兵器の先制攻撃の能力をもたらし、

世界中を股にかけた戦力投射/戦力展開(power projection around the world)を確固たるものにするであろう、という。

このレポートは、つぎのように提案する、

いわく、アメリカの軍隊は、世界の‟警察”としての任務を遂行するが、

そのためには、国際連合のリーダーシップよりもアメリカの政治的リーダーシップを必要とする、と。

こうした任務を満たすため、そして、超強国としてのアメリカのステータスが、どれほどのものかを、目に見えるかたちで表現するためには、

すでに130カ国にアメリカの部隊が配置されているが、さらにその他に加えて、

地球上のアメリカ軍の駐留を、さらに隈なく手広く拡げることを、このレポートは求める。中東、南東ヨーロッパ、ラテンアメリカ、南東アジアに、

恒久的な軍事基地〔を置くこと〕を求めている。

この野心的で過激なプランは、じっさいに実施され得るであろう、とする、このレポートは、

しかし、決して楽天的なものでは無い。

“かりに画期的変化をもたらすことがあるとしても、この移行のプロセスは、真珠湾のような大惨事で何かを促すような格好の出来事ではない、新しい真珠湾攻撃さらがらの、長期的な移行プロセスになる可能性がある”という。

911は、触媒的〔反応を引き起こす〕な出来事となった。

911後、テロとの戦争の考え方に、1年も経たない内に、セキュリティにとって不可欠な戦略である先制攻撃の考えに、ひろく大衆が適応して行き、そして、ほとんどの政治的反対者が、

〔テロとの戦争の先制攻撃論に〕吸収されるか、

ブッシュ政権による攻撃的な対テロ主義に協力する動きに押し込まれるか、という光景が見られたが、

先制攻撃という対テロ主義のマントラを、ブッシュ政権が掲げること、

そして武力行使のための新しいドクトリンに切り替えることは、ハットからウサギをだすかのように、比較的に容易い事であった。

そして、この先制攻撃的戦争のドクトリンは、ここ10年間、ネオコン/新保守主義たちが唱えてきた事であった

 

 ジョージ・W・ブッシュ政権1期目の初めの2、3カ月においては、国務長官のコリン・パウエルのような共和党員たちが持っていた、〔ネオコンの専制的攻撃論よりは〕攻撃性が少なく、多数国参加の見方が、支配的であった。

ところがしかし、“国防総省/ペンタゴンの西側正面から、煙がまだ立ちのぼっている”2001年9月11日の午後に、国務長官のドナルド・ラムズフェルドは、自身のスタッフに、ブリーフィング(簡単な状況説明・報告)を持ってくるよう(「最高の情報は、早く・・・・大規模に;それがすっかり浸透するように;かかる事物は関係しているか否か)に、つぎのように言っている。このブリーフィングが、イラク攻撃を正当化してくれるであろうからだ、と。

数日のちに、ポール・ウォルフォヴィッツが、

政府の狙いはウサマ・ビン・ラディンと繋がりのあるテロリストを捕まえることではない、

グローバル規模の戦争を行なうことであり、テロリズムのパトロン国家を終わらせる」ことである表明した。

2002年1月までに、ジョージ・W・ブッシュは、一般教書演説の中で、

イラク、北朝鮮、そして「それらテロリスト同盟国は・・・・悪の枢軸である」と宣言して、これら国家に対して先制攻撃部隊を動員するとして、ネオコンのアジェンダをブッシュが強固に受け容れることを、明らかにした。

「時代は、我々の味方になっていない。脅威が雪だるまのように寄せ集まって増しているのならば、私はイベントを待つつもりは無い。危難が、どんどん近づいているので、わたしは、何もしないで傍観するつもりはない。

 

ウエストポイントの米国陸軍士官学校での卒業式の席で、ブッシュは、先制攻撃ドクトリンを明示的に表明した。

 

いわく「我々の自由を守り、我々の生命を守るために必要な、先制攻撃を行なえるように、積極的で、毅然とし、その準備ができるようになっていることを、我らアメリカの安全保障は、すべてのアメリカ住民に求めることになるであろう。

ブッシュはまた、この世界におけるアメリカの覇権/ヘゲモニーも求めた。

いわく「挑戦に勝る軍事的な強さを、アメリカは持っているし、また維持するつもりである」と。

〔国内の住民に先制攻撃体制の用意を求め、また対外的には、世界におけるアメリカの覇権も求める〕という、これらの戦略的な狙いは、いずれも共に、〔実のところは〕ポール・ウォルフォヴィッツ(Paul Wolfowitz)とルイス・リビー(Lewis Libby)とが作成した、あの物議を醸した「1992年国防計画ガイダンス」草案のなかで記されていることを再現したものであったのだ。

 

そして2002年9月に、ブッシュ政権は、国家安全保障戦略を公表した。

これは初めて、いわゆるブッシュ・ドクトリンとして知られる事となる、さまざまな要素が、ひとつの公式な文書のかたちで明確化されたものである。

その国家安全保障戦略という文書には、こう書かれてある、

「いま浮かびつつある脅威が、完全にまとまって形成されてしまうまえに、それら脅威・・・・・に対して、アメリカは行動に出るつもりである・・・・我われは、もし必要とあらば、単独行動に出ることを躊躇しないつもりだ・・・・

たとえ敵攻撃の時と場所とについて不確実性が残ろうとも、。

脅威が大きくなっていくと、それだけ怠惰を貪ることのリスクが大きくなっていく――自分たちの生命を守るための先を見越した行動をとる場合が、より余儀なくされる。」

 

 2003年3月20日、アメリカ合州国は、イラクを攻撃した。

ネオコンたちと、ブッシュの盟友である英国のトニー・ブレア首相からすれば、

サダム・フセインが、大量破壊兵器を持とうとおもう意図に比べれば、

フセインが、じっさいに大量破壊兵器を保有しているかどうか、は重要ではなかった。

いくらよく見てもせいぜいのところ、間接的に、大量破壊兵器を保有する能力が、フセインにはある、と諜報機関は見せた。

「ひとたび核兵器物質が有れば、ハメられることになる」

(Once the nuclear materials are there, you're screwed)

とは、新しいアメリカの世紀のためのプロジェクト(PNAC)事務局長(the executive director)ゲイリー・シュミット(Gary Scmitt)による2003年発言の引用文であるが、こんな発言もある。

先制攻撃を実際に行なうことが可能となるのは、それが容易になった時である」と。

侵攻へのイギリスの参戦を正当化させるために、その侵攻の後にブレアは話すのであるが、ブレアは、この見解を、そっくりマネた

ブレアは、こう表明したのだ、

いわくテロリズムとならず者国家とによって圧し掛かってきた新たな脅威が

我々に行動を余儀なくさせる。

多くの慰めが影響を与えそうになく、その脅威が仮に幻想であったとしても、だ」。

ホワイトハウスとダウニング街(=英国政府)とは、

国際法的にイラク侵攻は合法である、とあくまでも主張するための、歪んだ法律的主張をつくったが、〔しかし〕国防総省のアドバイザーでネオコンのリチャード・ペール(Richard Perle)は、ロンドンの聴衆に、あのイラク侵攻は違法だったのですよ、と次のように率直に語っている

「あのケースを考えれば、あの手段は、国際法に成り代わって、やるべきことをやるものであった」と。

 

先制攻撃的戦争という新しいドクトリン/教義は、

第2次世界大戦での悲惨の後にできた、国連憲章に大事にされている、武力行使に対する規範的制限の隙間を利用した、深い矛盾なのである。

国連憲章での制限は、侵略戦争を禁じているのであるが、

しかし、自己防衛の場合に限っての武力行使か、

あるいは国連安全保障理事会からの承認のもとでの武力行使は、許されるでのある。

慣習法をもっての、攻撃参加という形での自己防衛のための武力行使は、

武力攻撃の脅威は

「目前で避けられず、他に選択肢がなく、

討議する時間も残されていないような、差し迫った状況によってのみ承認される」というものだ。

〔ところが〕アメリカ合州国や、また他の国々は、そうした自国防衛とは似ても似つかず、そして武力の先制使用の必要に合わせた中で、しばしば武力を使ってきた。

しかし、アメリカなど先進諸国は、つねに、法律のマントで、そうした攻撃性を隠そうと努めてきたが、戦争の侵略性を容認するような露骨なドクトリンを、前面に押し出すようなことは、これまでには無かった。

 

 完全に違法であるにもかかわらず、先制攻撃的な戦争のドクトリンは、

中東や世界に向けて、イラクを見せしめにするのに、ネオコンが必要とするものであった。

2003年2月に国務省国務次官のジョン・ボルトン(John Bolton)が、イスラエル高官に、こう語ったという(reportedly)。

「イラクを破った後にアメリカは、イラン、シリア、そして北朝鮮に《取り組む》つもりだ」と。

「こうした国家に向けて」、リチャード・ペール(Richard Perle)は、それとなく言ってみせている。

「我われは、ふたつ言葉のメッセージを伝えることができるだろう――次はお前だ、と」。

ドナルド・ケーガン(Donald Kagan)、PNACの創設メンバーでイェール大学教授、は、このアメリカの世界における新たな役割を、『真昼の決闘』のゲイリー・クーパーと結びつけている。

「アラブ諸国の時論がどういうふうに反抗しようとするのか、と人々が心配している。

我われが叱り飛ばしてからは、アラブ諸国の時論は、ひじょうにとても平穏になった、と私は理解している。」

それは、2002年の秋のことで――イラク暴動よりも前のことだ。

 

 2006年3月16日に、ブッシュ政権は、先制的(空爆)攻撃の公約を続けることを、今般は、その攻撃が理に適ったことであると正当なものとし、イランを脅かしつつ、ふたたび断言した。

同日に公表された国家安全保障戦略(national security strategy)2006年には、ブッシュ政権は「そのドクトリンを自衛ための長期的指針の下に置くことで」、そのドクトリンの激しさを和らげようとしている、とある。

そして、この政権の外交政策は、大量破壊兵器の脅威に取り組むことを、「つよく選択すること」である、という。

〔ドクトリンの激しさが和らげられた、とはいっても〕しかし、このドクトリンは、この政権の外交政策の中心に、依然として位置するのであった。

 

 アメリカ外交政策のハイジャックは、陰謀ではない。

政権に就く前であろうと後であろうと、アメリカの選挙民全員に向けて、自分たちの考えを、ネオコンたちが議論しようとすることは、誰も決してしなかったが、ネオコンたちは、過去に作った自分たちの政策を、明確かつ効果的に表現したのだ。

これは、陰謀ではなく、様々なイベントと器用な便宜主義と不遜の極みとが「幸運に」合わさったものなのだ。

(Maureen Webb『Illusions of Security』 P.59-67)

 

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☞〈【10】〈第4章〉「先制/機先、グローバル化、監視社会」~911後セキュリティ社会の“幻想”~

☞〈【9c】〈第3章〉「ウィルソン・ヴィジョン」 ~『911後世界のセキュリティ幻想』~〉

 

 

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映画『標的の島 風(かじ)かたか』予告編 201707417 UPLAN

そうだったのか!日欧EPA~リーク文書から見えてきたこと~

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