「El derecho de vivir en paz
平和に生きる権利」
2019年度バージョン日本語字幕付
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佐高信× 朴慶南 佐高信書店第5回トーク
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆【①】【①-ⅰ】【前のページ②】
【米軍に起因する性暴力 奪われ続ける尊厳と命 過去79年間に沖縄で起きた事件の一覧表】
【沖縄と《劣化ウラン弾》と”ダブルスタンダード”】 からの続き
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〈時流に便乗して鬱憤を晴らそうとする輩〉
じつは弾圧は、権力の手になるものだけではないのです。悪いことに、そんな形で「個人の誇り」が抑圧されるようになると、それに便乗して、日頃ごろの鬱憤を晴らそうとする人間が必ず出てくるものです。「京大事件」でも、火付け役になったのが、「自分から自由を手放してしまう奴ら」でした。自由を守る姿勢が自分に危険を及ぼすと知ると、コロっと態度を変えて強いものに迎合し、自分から自由を手放してしまう、コウモリみたいな連中です。
自分が自由を手放してしまうと、今度は自由のために闘っている人たちにジェラシーを感じる。そこで権力に加担して、一緒になってそういう人たちを攻撃するんですね。戦時中「銃後の守り」を唱えて、「贅沢は敵だ」「パーマネントはやめましょう」なんて騒いでいた人には、そのクチが多かった。
これこそ権力の思うツボ。こんなふうにしてだんだん、自由を求める声が小さく、弱くなっていく・・・・。
これを「下からの抑圧」といいます。これがもっとも危険。権力が直接、手を下さなくても、自動的に自由を求める人たちの声をどんどん小さくしてしまう。
私は右でも左でも、個々人の思想は大事にするべきだと思っています。でも、大きな権力に便乗して自分の鬱憤を晴らそうとする人たちは許せない。
大声を出して他人の思想の自由や良心を傷つけていくんだけど、それでその人たちが得をするとも思えない。でも、そうすることで満足感を覚え、快感を覚える。そんな人たちが増える時代は怖い時代です。”
(金子兜太【著】
『あの夏、兵士だった私』
清流出版、2016年、32-36頁)
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‟ 数年前『ル・モンド』の記者がハイジャックの元犠牲者たちに聞き取り調査を行った。
このとき、記者の関心をもっとも強くひいたことの1つは、ともに人質を経験した夫婦の離婚率が異常に高かったことであった。
好奇心をかきたてられたこの記者は離婚した人たちに離婚の理由をたずねあるいた。
インタヴューを受けた人たちのほとんどは、ハイジャック以前、離婚など毛頭考えていなかったという。
しかし、恐怖を経験する過程で、彼らは「開眼」したり、「配偶者を別の目でみるようになった」という。
ふだん、よき夫であった人たちが身勝手な、自分の利益しか考えないような生き物だと「判明」し、勇敢なビジネスマンがむかつくような臆病者だと分かり、才覚があり「世事にたけた人物」が腰抜けで、最悪の事態の前で震えてなにもできない人物だと知れるようになった。
記者はここで自問する。
これらのヤヌスがもつ2つの顔のうち、はたしてどちらが本当の顔で、どちらが仮面なのだろうかと。
記者の結論によれば設問の立て方自体が間違っていたという。
どちらの顔がより「本当」だと聞くことができない。
どちらも犠牲者の性格に可能性として宿らされていた顔で、それぞれは異なる場合、異なる状況に応じて現われてくるにすぎない。
「良い」顔がふだんのものであるのは、ふだんの状況が悪い顔より良い顔を要求するからである。
しかし、ふだん、隠れてはいても、別の顔もまたつねに存在しつづけている。
この発見のもっとも興味深い点は、ハイジャック事件に遭遇していなければ、「別の顔」はけっして表面に出てくることはなかったということである。
ふつう配偶者同士は夫婦であることに満足し、尋常ではない不測の状況によって暴かれる相手の負の性格に気づくこともなく、相手について知っていることだけを好みつづける。”
(ジグムント・バウマン【著】/森田典正【訳】
『近代とホロコースト』
ちくま学芸文庫、2021年、35-36頁)
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”ネハマ・テクもまた優れたホロコースト研究を残しているが、彼女が研究したテーマは社会的スペクトラムの一極、すなわち、救済者——利己主義が蔓延する世界にあって、苦しむ他者のために自らの命さえ捧げ、「汚い仕事」の実行を許さなかった人々、つまり、非道徳的社会にあって道徳的たりえた人々についてであった。社会学的方法論に忠実に従いながら、テクは時代のいかなる標準に照らしても異常としか言いようがない行動の社会的決定因子を必死に探しだそうとした。見識ある、優れた社会学者なら誰でも研究プロジェクトとしたことがあるだろう社会学的テーマを、彼女はホロコーストとの関係において検証していった。他者を援助する傾向と、階級、教育、宗派、政治信念とのあいだに相関関係があるかどうか調べあげ、そして、それがないことを発見した。自らと社会学を修めた読者の予測に反したとしても、テクの導きうる結論は次のもの以外にありえなかった。
「ユダヤ人救済者たちは当り前に思えたことを行い、自発的に時代の恐怖に立ち向かったにすぎない」。換言すれば、救済者がすすんで救済者になれたのは、そうすることが彼らの性癖にかなっていたからだった。
救済者はあらゆる社会構造のあらゆる一画から、そして、あらゆる片隅から現われたから、道徳的行動が「社会的要因」によって決定されるという前提は崩れた。
こうした決定要因では苦難に遭遇した人々をなんとか救おうとする救済者の衝動をうち消せないことを明らかにしたことが、そのせめてもの貢献であった。
テクは問題の本質が「ホロコーストについてわれわれ社会学者はなにを語れるか」でなく、「ホロコーストがわれわれやわれわれの行動や社会学者についてなにを語りかけてくるのか」にあると、ほとんどの社会学者の誰よりもはっきり認識していた。
(中略)
先に引用したネハマ・テクの研究は、次のような観察で締めくくられている。
「ホロコーストがなかったら、人助けした人たちのほとんどは慈善活動で活躍したり、また、目立たない素朴な人生を歩んだり、それぞれ独自の道を歩んでいたであろう。
彼らはまわりの人々とどこも変わらない眠れる英雄であった。
この研究のもっとも強力な(そして、もっとも説得力のある)結論は、自ら犠牲になろうとするそれぞれの積極性、また、逆境に直面して現われる怯懦の兆候はけっして「予見」できないということであった。
ある状況がそれらを生み、「それらを目覚めさせる」までそれを見定められない。”
(ジグムント・バウマン【著】/森田典正【訳】
『近代とホロコースト』
2021年、ちくま学芸文庫、33-37頁)
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“あらゆる掟や命令を要約して示しているように思える道徳的な命題がいくつかあります。たとえば「”汝自身”と同じように、隣人を愛せ」とか。「”みずからに”なされたくないことを他人にするな」とか・・・などです。
これらはどれも〈自己〉を、すなわち自己とのつきあいを基準としています。たしかにユダヤ教とキリスト教の掟では基準となるのは自己への愛であり、カントの命題では自己を軽蔑することへの恐れが基準になっていますが、この違いはわたしたちの考察においては重要ではありません。
(中略)
カントの場合には、良心は自己への軽蔑という形でわたしたちを脅します。ソクラテスの場合には・・・自己との不一致という脅しがあります。そして自己への軽蔑や自己との不一致を怖れる人は、やはり自己との交わりのもとにある人です。・・・
〈「できない」という確信〉
このことをはっきりさせるために、ごく最近の実例を考えてみましょう。道徳が崩壊したナチス時代のドイツにも、ごく少数ではありますが、まったく健全で、あらゆる種類の道徳的な罪をまぬがれていた人々がいました。・・・国や誓いにたいする忠誠を守るべきかなど、問題になりそうにないかなる事柄についても、悩んだりしなかったのです。まったく悩まなかったのです。行動することが好ましいかどうかについては議論したかもしれません。しかし行動して成功を収めることはできないことを示す多くの理由があったのです。そして怯【おび】えていたかもしれません。怯えるだけの十分な理由はあったのです。
これらの人々は、たとえ政府が合法的なものと認めた場合にも、犯罪はあくまでも犯罪であることを確信していました。そしていかなる状況にあれ、自分だけはこうした犯罪に手を染めたくないと考えていたのです。・・・こうした人々の良心は・・・、義務という性格はおびていませんでした。「わたしはこんなことを”すべきではない”」と考えたのではなく、「わたしにはこんなことは”できない”」と考えたのです。
この「わたしにはできない」という考え方には、道徳的な命題が自明なように、その本人にとっては自明なものであるというわかりやすさがありました。「二足す二は五である」と言うことが〈できない〉のと同じように、「わたしには無辜な人々を殺すことはできない」ことは自明なことだったわけです。「汝、なすべき」とか「あなたはそうすべきである」と言う命令にたいしては、「わたしはどんな理由があろうとも、そんなことはしない、またはできない」と言い返すことができるのです。いざ決断を迫られたときに信頼することのできた唯一の人々は、「わたしにはそんなことはできない」と答えた人々なのです。
・・・欠点もあります。
・・・基準となるのは世界ではなく自己であり・・・これらの人々は英雄でも聖者でもありません。・・・そして能力が重視される世界では、こうした人々は無能な人にみえます。
わたしたちはこうした人々を、道徳的な人格のある人と呼ぶでしょう。・・・たんなる人類ではなく、人間としての人格をそなえているということは、人々が生まれもった個人の特性、賜物、才能、欠陥などとは別のものです。こうした才能などは、人々が利用したり、誤用したりすることができるものです。でも個人の人格としての特質は、「道徳的な」特質を意味するのです。”
(ハンナ・アーレント【著】/ジェローム・コーン【編】/中山元【訳】
『責任と判断』
ちくま学芸文庫、2016年、126-131頁)
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“・・・現場監督(つまり被収容者ではない)がある日、小さなパンををそっとくれた。あのとき、わたしに涙をぼろぼろこぼさせたのは、パンという物ではなかった。それは、あのときこの男がわたしにしめした人間らしさだった。そして、パンを差し出しながらわたしにかけた人間らしい言葉、そして人間らしいまなざしだった・・・。
こうしたことから、わたしたちは学ぶのだ。この世にはふたつの人間の種族がいる、いや、ふたつの種族しかいない、まともな人間とまともではない人間と、ということを。このふたつの「種族」はどこにでもいる。どんな集団にも入りこみ、紛れこんでいる。まともな人間だけの集団も、まともではない人間だけの集団もない。したがって、どんな集団も「純血」ではない。監視者のなかにも、まともな人間はいたのだから。
(中略)
わたしたちは、おそらくこれまでどの時代の人間も知らなかった「人間」を知った。では、この人間とはなにものか。人間とは、人間とはなにかをつねに決定する存在だ。人間とは、ガス室を発明した存在だ。しかし同時に、ガス室に入っても毅然【きぜん】として祈りのことばを口にする存在でもあるのだ。”
(フランクル【著】/池田香代子【訳】,144-145頁)
——————————
“・・・・・・ある条件に屈するのか抵抗するのか という場面で、人間は完全に条件に左右され決定づけられるのではなく、自分で決めることができます。
別の表現で言えば、人間は究極的には、自己決定ができる存在なのです。
人間はただそこにいるだけではなく、つねに自分の実存の今後を決め、次の瞬間に自分がどうなるかを自分で決めているのです。
同じ理由から、すべての人間存在は、あらゆる瞬間にみずからを変える自由も持っています。
だから人間の将来は、統計調査の大まかな枠組みの範囲内でしか予測できません。
それに対して個々の人格は、原則的に予測不可能です。
(引用者中略)
・・・人間存在の大きな特徴は、こうした諸条件を超越し、それを越えて成長する能力です。
人間は、それが可能であるなら、世界をよりよりものに変え、それが必要であるなら、自らをよりよい存在に変えることができるのです。
J博士の例をここでご紹介しましょう。
彼はわたしが生涯に出会った中で、メフィストフェレスのような悪魔的存在だと思った唯一の人物でした。
当時の彼は「シュタインホーフ(ウィーンの大きな精神病院)の大量殺人犯」として知られていました。
ナチスが安楽死計画を開始したとき、彼はそのすべてを掌握していて、精神病患者を一人残らずガス室送りにするため、
何かに取り憑【つ】かれたように奔走していました。
戦後ウィーンに戻ってきたわたしは、J博士が どうなったか たずねました。
「ロシア人に捕まり、シュタインホーフの独房に監禁されたのですが」とある人が教えてくれました。
「その次の日に独房のドアが開けっ放しになっていて、J博士の姿はありませんでした」
わたしは、ほかにも同様の例がたくさんあったので、彼も同志の支援を得て南米に逃亡したのだろうと確信しました。
ところがずっとあとになってからの話ですが、オーストリアの元外交官がわたしの診察を受けにきたのです。
彼は鉄のカーテンの向こう側で長年にわたって抑留され、最初はシベリアに、そしてその後は悪名高いモスクワのルビャンカ刑務所に収容されていました。
この人の神経症の診察をしているときに、彼は突然、J博士を知らないかとわたしにたずねました。
わたしが知っていると答えると、彼はこう言いました。
「ルビャンカ刑務所で彼と知り合いになりましてね。
あそこであの人はなくなりました。
40歳ぐらいの時で、死因は膀胱ガンです。
でもそれまでのあいだ、彼は われわれの最高の仲間でした!わたしたち全員を慰め、一生懸命になって励ましてくれたのですから。
まるで聖人みたいな人で、わたしの長い刑務所生活で最高の友人でしたよ!
これが「シュタインホーフの大量殺人犯」J博士の物語です。
わたしたちは、ある人間の行動を予測することができるでしょうか?
機械や自動装置の動きは予測できるかもしれません。
人間の心(プシケ〔psyche〕)のメカニズムや「精神力動」も、あるいは予想できるかもしれません。
しかし人間の内部にはプシケ以上のものが存在するのです。
ただし自由がすべてではありません。
自由は物語の一部、真実の半分にすぎません。
自由は ある現象全体のネガ側で、そのポジ側は責任性です。
自由は、責任性という意味において活かされないと、単なる恣意性に堕落してしまう危険が つねにあります。
わたしがアメリカの聴衆の皆さんに、東海岸に「自由の女神」があるのだから、西海岸に「責任の女神」を建設したら どうでしょう、とよく言うのは そういう理由からです。”
(ヴィクトール・フランクル【著】/赤坂桃子【訳】
『ロゴセラピーのエッセンス』
2016年、新教出版社、70-73頁)
◇◆◇◆◇◆◇◆
‟人生や世の中から、問いを、突然に突きつけられる”
あるいは
唐突に”状況から問いつめられる”
あるいは
”自分にとって無視する訳には行かない問題を、
世の中や状況や人生から、問われる。”
‟その問題から逃れようとすれば、
〈自分自身を捨て去るくらい〉に苦しい”、
”その問題から逃げようとする事は、
〈自分の人生を失うくらい〉に苦しい”。
そうした問いを、
人生や世の中から突きつけられることが、
人によっては、あるかもしれない。
私の場合は、
‟リスクが未知”の
新型コロナワクチン接種の《副反応》によって、
重大な障碍を負うことがないようにと、
ある人を、何とか少しでも守りたくて、
自分に出来る事で、アクションをした事がある。
その点について以前に、すこしだけ書いた事がある。
(「愛の賛歌」)
今でこそ「食の危機」についての関心が、
一般的に高まってきているけれども、
2020年年末当時、
食にとって本当に大切な「タネ」ついての
重大な法律の改悪案が、
2020年年末の臨時国会で可決された。
2020年年末の臨時国会で、個人的には、
〈種苗法改悪〉ばかりに目を奪われていた。
そんな時に、同じ臨時国会で、
《新型コロナワクチン接種を実施するための改正法》も可決された。
わたしは『週刊金曜日』のおかげで、
科学ジャーナリストの天笠啓祐氏による記事で、
新型コロナワクチンの未知のリスクについて、
すこしだけ知ることはできていた。
20241120 UPLAN
天笠啓祐
「ジャーナリストとして50年言い続けてきたこと言い続けるべきこと」
それについて気に留めていたのは、
2020年の秋~年末の時点では、
〈遺伝子組み換え技術のワクチン〉について、
すでに、
放射線医の西尾正道氏の動画でのコメントや、
斎藤貴男【著】『子宮頸がんワクチン事件』(集英社)
を通じて、知っていたからだ。
けれども、
〈新型コロナワクチン接種実施のための法律〉が
国会で通されようとしている動きは、
まったく知らなかった。
ツイッター上のショート動画で、
社民党の福島みずほ議員が
参議院の厚生労働委員会で、
新型コロナワクチン接種について、
質疑している様子を、
たまたまに目にした見た。
そして立憲民主党の川田龍平議員が
同じく、新型コロナワクチン接種について、
警鐘を鳴らしているのを見た。
——川田龍平氏自身が、
生後間もなく被った薬害によって、
小さな頃から、自分の人生は長くない
と観念してきたという。
・「政治を変えたい」が出馬の動機 激戦の東京でチャレンジする川田さん
・川田龍平 堤未果と結婚して起こった変化とは?
ちなみに、川田議員は、
昨今の各遺伝子組換ワクチンへの警鐘だけでなく、
ネオニコチノイドなどの農薬や薬害など、
いのちや健康に関わる人災に、
ずっと取り組んできている——。
その質疑を見て直ぐに、
質疑をしていた国会議員の事務所に問い合わせ、
事務所からの助言を受けて、
地元の政党の支部や事務所に、
問い合わせの相談をしてみた。
そうしたら直ぐさまに、
真っ先に手を差し伸べてくれて、
相談に乗って下さった地元の議員さんが、
〈ある社民党の自治体議員さん〉だった。
新型コロナワクチンに懸念している点について
相談するに当たり提出できる資料は、
・天笠啓祐氏が『週刊金曜日』に寄稿した記事。
・『毎日新聞』の朝刊・夕刊での記事を集めたもの。
・医薬品監視機関の薬害オンブズパーソン会議が、2020年10月に、厚生労働大臣にむけて提出した意見書「新型コロナウイルスワクチンの定期接種の中止を求める意見書」ぐらいしか無かった。
今でこそ、
新型コロナワクチン政策と被害について、
医学者の方々や医師の方々の警鐘や発信、
テレビ(大石がいく等)で取り上げたおかげで、
陰謀論では‟片づけられなくなった”。
【大石が聞く】新型コロナワクチンの接種後に家族が亡くなった遺族会が厚労省と初の対面 ワクチンの効果に疑問を唱える医師も参加
けれども、2021年の頃は
ワクチン接種「以外には、何の選択肢もなく、」
そして安倍-菅政権は、
何の防疫体制もしておらず、
新型コロナワクチンの未知のリスク、
接種についての自己決定について、
そんな気軽には、口にはしづらかった。
「特別インタビュー 科学的怠慢に満ちた国の新型コロナ対応」(『兵庫県保険医新聞』2022年10月15日)
薬害イレッサ訴訟の証人となるなど
薬害について携わってきた
薬害疫学者の福島雅典氏は、
新型コロナワクチン政策体制について、
当初から、フォロー体制を整えるようにと
警鐘をならしている。
福島雅典氏は、
新型コロナワクチン接種被害のような薬害は、
今回に限ったことではなく、
サリドマイドやスモン、HIV感染など
「人災である薬害」は、
二度と繰り返してはいけない”と強く訴えている。
そして「反ワク」論とは一線を画して、
“ワクチンが・・・”というのではなく、
そもそも
「リスクの無いクスリは、無い」という——)。
————————————
その私の地元の社民党の議員さんは、
新型コロナワクチンについての
街頭演説も続けた。
ワクチン接種は実施されるので、
あとは医療従事者がワクチン接種するかどうか、
「自己で決定できるように等の措置など」について、
地元の議会で、
できるかぎりの働きかけをして下さった。
このような時に、良心的な政治家さんは、
本当に有り難い。
下の動画は、
数年前のものだけれども、
日本共産党の紙智子参議院議員の討論。
〈漁業者の苦しみ〉を知るあまり、
泣くのをこらえながら、討論を続けている。
農水委員長の解任決議案 賛成討論
既存政党が、
ほんとうに「既得権益勢力」かどうか、
ちょっとだけでも見て
確かめてみてほしい。
たつみコータロー参院大阪選挙区候補
魂の訴え(あべのキューズモール前)
れいわの大石あきこ議員だって、
連帯ユニオン関西生コン支部への弾圧に対して、
引かずにずっと抗議を上げ続けたという。
私たちは、
同時代の、同じ日本列島に、
暮らしているけれども、
それぞれの苦しみに直面している
それぞれの〈多くの苦悩や孤独や不安〉も、
そして、それへの取り組む人々の存在も、
‟知らないまま”のほうが多い。
わたしにとっての、
〈社民党についてのイメージ〉の半分は、
この、手を差し伸べて下さった、
〈その地元の社民党の議員さん〉についてのイメージだ。
———————————————
社民党についてのイメージのもう一つは
現党首の福島みずほ議員だ。
社民党の福島みずほ議員が、
民主党政権時に、
‟基地の県外移設の公約を反古にはできない”
辺野古へ新基地移設の閣議決定の署名を拒否し、
内閣府特命担当〈大臣を罷免された〉過去がある。
——当時の鳩山由紀夫首相も、
外務官僚の悪意に騙され、
人格攻撃も含めたメディアの集中砲火を受け、
大変だっただろうけれども、——
でも、福島みずほ大臣は、
沖縄を「切り捨てない/見捨てない」選択をした。
日本共産党の議員が大臣だった場合も、
そのような署名を拒否しただろう。
れいわ新撰組の議員が大臣だった場合も、
そのような署名を、おそらく拒否しただろう。
2015年の「日本経済新聞」に、こんな記事があった。
———————————————————
〈福島瑞穂・前社民党党首「全てを失うと思った」〉
(8月9日付朝刊 日曜に考える・政界面関連インタビュー)
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO90231780W5A800C1I10000/
・・・鳩山さんから改めて『やっぱり署名はできませんか』とお願いされたが、『やっぱり署名はできません』と答えた。すると官房長官の平野博文さんが『辞任ではどうか』と言うから、私は『私は辞任をしません。私は全く変わっていません。変わったのは内閣の側です』と。私は鳩山さんのことが好きだったので『変わったのは総理の方です』では気の毒と思って、鳩山さんへの多少の敬意も込めて『変わったのは内閣の方です』と言った。平野さんからは『強いなあ』と言われた」
「鳩山さんは稚拙ではあったが善人だった。つまり他の閣僚があまり辺野古に関心を持たない中で、ものすごく関心を持ったのは私と鳩山さんだった。鳩山さんは最後にぶれて辺野古に回帰したが、私の次に何とか辺野古にしないために頑張って七転八倒した」
――現在の社民党の状況を踏まえても連立離脱の判断は正しかったですか。
「もし私が『辺野古』が明記された政府方針に署名していたら、沖縄の人々は社民党も沖縄を裏切ったと感じただろう。そうなったら、辺野古での新基地建設の反対を訴える政党は共産党だけになってしまった。今の翁長県政を生み出した『オール沖縄』という動きはなかっただろう」
「同時に署名した瞬間に社民党も私も政治生命がなくなっていた。言葉に責任を持つことができなくなり、その後は新基地建設反対ということすら言えなくなっただろう。署名によって失うものは全てであり、あの時に署名していたら社民党は死んでいた」
「連立離脱を決定した数日後、自民党の河野洋平さんから電話があり、『あなたは政治への信頼を回復してくれました』と言ってくれた。すごくうれしかった」
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福島みずほ大臣(当時)は、
沖縄の人々を、
「見捨てず、切り捨てなかった」。
わたしは個人的に、
「踏みにじらず、切り捨てず、諦めない」リーダーや政治に関心が向く。
(故)翁長雄志(前)県知事は、
最後まで辺野古新基地建設反対を貫いた。
リーダーのほうから県民に向けて、
「ぐすーよー、まきてぇーないびらんどー」
(皆さん、負けてはいけませんよ)
と県民と励ましていた。
元双葉町町長だった井戸川克隆氏も、
(元)町民を守りつつ、格闘している。
——かといって、ぼくは、
「戦うこと」自体に惹かれるワケではない——。
日野行介【著】
『双葉町 不屈の将 井戸川克隆』(平凡社)
を読んでみたのだけれども、
井戸川氏の戦いは、
政府と東京電力などによる、
ウソと隠蔽、欺瞞と責任転嫁とによって、
〈先祖代々連綿と暮らしてきた地域、
過去から未来にわたる自分の人生すべてを、
原発事故と原発行政とによって奪われた
‟人生破壊”を、奪われた損害〉として、
国と東京電力を、
被告として相手取って戦っている。
井戸川氏も、町民を「見捨てない」。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
井戸川克隆氏が「町民を見捨てないこと」、
そして翁長雄志氏について触れたのは、
「見捨てない」「踏みにじらない」政治が、
本土に“根本的に欠けている”ように見えるからだ。
河野義行氏が人間関係で心掛けたことは、
〇「うそを言わない」
〇「自分の言ったことは必ず守る」
〇「誠実に人と接する」
だった。
情勢は日々変化するのだから、
大事な公約を(すぐに)実現できるとは限らない。
けれども、だからこそ、
「踏みにじらない」「誠実」「見捨てない」ことが、
「信頼関係」を醸成させ、
松本サリン事件などの《大事が起きた》時に、
頼りになるのではないだろうか?
いま発売されている
岩波書店の『世界』(2025年1月号)の、
(歴史)地震学者の石橋克彦氏による
〇「続く大地動乱の時代『過剰文明』からの脱却を」や
『世界』2020年3月号の、同氏による
〇「超広域大震災にどう備えるか」
を、ぜひ見てみてほしい。
〈今までの勝手や想定〉が
ほとんど通用しなくなるかもしれない。
自然災害列島日本に暮らす私たちを、
《見捨てる政治》《切り捨てる政治》
《欺く政治》《今だけ・自分だけの政治》を、
している余力も時間も、残されていないと思う。
ーーーーーーーーーーーーー
あと十日少しで、2024年が終わる。
2024年元旦に、能登半島地震があった。
もし志賀原発が稼働していたら、
日本列島は、どうなっていただろうか?
珠洲原発が存在し、稼働していたら、
過酷な原発事故が起きていただろう。
⇒〈原発の在り方を問う 被災地・珠洲過去に建設計画が 反対運動〉
わたしが、
まんまと《原発安全神話》に騙されている間も、
反対運動をしてくれたおかげで
私たちは、命拾いをした
⇒珠洲原発を止めて「本当によかった」 無言電話や不買運動に耐えた阻止活動28年の感慨
2011年3月11日の
福島原発事故だけでなく、
《大地動乱の時期》といれば、
2007年7月の中越沖地震の時に、
命取りになる原発事故が起きていたら、
どうなっていただろうか?
じつは今現在でも、
「原子力緊急事態宣言」は解除されていない。
いまでも、多くの原発事故被害者が、
多くの人々が悩み、苦しめられている。
‟にもかかわらず、それでも”、
《原発を新設&稼働する》という声が、
与野党から出てきた。
蟻塚亮二さん
「福島・沖縄・戦争――そのトラウマと向き合う」
Radio Dialogue 163(2024/6/5)
「貧困の終焉?」
グローバル経済の収奪構造をえぐるドキュメンタリー
この下に、
生前の筑紫哲也氏コメント動画を
貼り付けさせてもらった。
この筑紫氏のコメントは、
〈沖縄〉についてだけでなく、
あらゆる問題について、当てはまる。
‟誰かを踏みつけにして、
自分たちの都合のために、
それを見て見ぬふりをしてる国が、
ろくな国になるはずがない”
そして、この指摘は、昨年の岡真理氏の
緊急セミナーでの問いかけと、
ぼくには、よく似ているように聞こえる、
‟ ガザは実験場です。
150万人以上もの人間を
狭いガザに閉じ込めて、
経済基盤をも破壊して、
命を繋ぐのがやっと、
という状況に留め置いて、
何年かに一度、大規模に殺戮し、
社会インフラを破壊し、
そういうことを16年間続けた時に、
《世界はどうするのか》という‟実験”です。”
この場合の被験者は、
パレスチナ人ではなく、私たちなのだろう。
そして、それは、
イスラエル/パレスチナの他にもある。
《切り捨てる政治》や《見捨てる政治》
《犠牲にする政治》に、未来はない。
それは、政治だけでなく、
やがて私たちに、
ツケとして、襲いかかってくるように思う。
次の参院選で、私は、
選挙のお手伝いをできるゆとりが、全くない。
だから、今のうちに、
良心的な候補者や政党が、
議席を伸ばしてほしいと祈って、
この記事に、願いを込めた。
福島みずほ氏は2年前に当選したので、
来年の参院選では候補者ではない。
けれども、
「誠実な人」「信じられる人」
「踏みにじらない人」
「見捨てない人」が、
ひとりでも多く、国会に当選してほしい。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「・・・今回だけはご寄付のお願いをさせてください。
Cat Loverさんは、自らも避難生活を送りながら、400人以上の子どもたちなど避難民に毎日炊き出しをしています。その費用は現在、1日500米ドル(75,000円)に上るそうです。GoFundMeで寄付を集めていますが、これ以上は費用を負担しきれず、毎日の炊き出しが不可能になるということです。400人を超える避難民の多くはこの炊き出しがなければ飢えるしかありません。
私をフォローしてくださっている皆さんにお願いいたします。GoFundMeでは5ドルから寄付を受け付けています。5ドル、日本円で750円は最低賃金が時給1055円の今の時代に少ない金額とはいえませんが、可能な方はどうかお力をお貸しください。」
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〈中高生のみなさんへ〉
家に帰りたくない。
安心して過ごしたり、眠ったりできる場所がない。
今日帰る場所がない。
食べるものがない。
親から暴力をふるわれる。
嫌なことを言われる。
家から出してもらえない。
学校に行かせてもらえない。
友人関係の悩みがある。
金銭トラブルに困っている。
性被害にあった。妊娠した。
パートナーが避妊に協力してくれない。
性売買をやめたい。
高校を中退し、進路に悩んでいる。
など、ひとりで悩んでいませんか?
〈Colaboにできること〉
話を聞いて、一緒に考え、一緒に行動します。
必要に応じて、
相談機関や病院、学校などに一緒に行くことができます。
一緒にご飯を食べることができます。
食品や衣類、学校生活に必要なものを提供することができます。
お風呂やシャワーを貸し出すことができます。
緊急時や、心や体を休めたいとき、仮眠や宿泊することができます。
安心して暮らせる場所を確保するために、一緒に行動することができます。
勉強を教えてくれる人を紹介したり、勉強する場所を提供することができます。
親からの暴力や性被害など、
様々な困難を生き抜いてきた女の子たちによる
サポートグループの活動に参加することができます。
利用料・参加費はかかりません。
状況によって、相談や活動に参加するための交通費も、負担することができます。
【Colaboに連絡したり、問い合わせてみる】
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「人身取引ってなんですか?」
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「日本は人身取引大国だった!
暴力で支配され性を売らされる女性たちを、救い出す闘いが始まっている」(imidas)
「人身取引の被害に遭う若者や子どもたちはギリギリの状況。自己責任ではない」〜 NPOライトハウス 藤原志帆子代表 #ひとりじゃないよPJ
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〇見城徹氏と幻冬舎が、Arc Timesさんに対して、2000万円もの損害賠償を求めるスラップ訴訟を提起してきました。
もし良ければ、ご支援のご協力をお願い致します。
⇒Arc Times(アークタイムズ)へのスラップ訴訟支援
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IWJの岩上安身氏には難病の娘さんがいらっしゃり、自己破産するわけには行かないようです。
もし良ければ、ご支援のご協力をお願い致します。
⇒IWJ財政支援
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【ネット署名&クラウドファンディング】
〇「日本の年金による虐殺と民族浄化への投資をやめさせたい!」
〇「むつ核燃料中間貯蔵の安全協定締結をやめ計画を白紙に戻すことを求めます」
(むつ中間貯蔵に反対 原発・核のゴミ捨て場にしないで)
〇「チョコ募金(JIM-NET)」
〇「寒さの厳しいレバノンで、戦闘を逃れ避難する人たちに防寒具や灯油を届けたい!」
〇ベぐれでねが(気が向いたらセシウムを検査するブログ)
〇Tansa「国葬文書隠蔽裁判」
〇残留農薬分析装置GCMSを更新・強化するための緊急募金のお願い
〇長生炭鉱第2次クラウドファンディングを12月10日から開始します!
〇【署名】わたしは、遺伝子を改変された「あきたこまちR」を食べたくありません!
【フジロック】
311甲状腺がん子ども支援ネットワーク30秒CM
〇<記者の目>沖縄 米軍属による女性殺害事件
〈2.24音楽祭2025〉〜沖縄からアジアの平和を〜
〈2月23日・24日に沖縄市で音楽祭を無料開催し、沖縄からアジアの平和を発信する!〉(Campfireクラウドファンディング)
「音楽・文化芸術は、平和でこそ」とよく言われますが、音楽で平和を創り出すことはできないのでしょうか。 2.24音楽祭2025(沖縄・アジア平和音楽祭2025)では、音楽と対話(トーク)を通して、沖縄で東アジアの平和を考え、発信する場をつくります。
【ページの都合上、以下、リンク先ページをご覧ください。】
『従属の代償 日米軍事一体化の真実』
【ゲスト:布施祐仁】
2024年11月12日【大竹メインディッシュ】
日本は捨て石か 米国の自国第一主義
敵基地攻撃ミサイルを売買
【半田滋の眼 NO.110】20240926
【街頭演説:大分市敷戸弾薬庫近く2024.9.24】
敷戸弾薬庫は、南西諸島における後方補給基地に位置づけられています。ミサイルが配置されます。
20220627 UPLAN
海渡雄一弁護士
「徹底解説「経済安全保障推進法」
:危険な現代の国家総動員法」
20230529 UPLAN
石橋克彦
「日本を脆弱化し、南海トラフ大震災を激甚化するリニア中央新幹線」(仮題)
【講演】再考 豊かさとは何か
(登壇者:暉峻淑子氏)
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巨匠ケン・ローチ
『わたしは、ダニエル・ブレイク』メッセージ動画
10/5 パレスチナのための全国連帯アクション🍉
20241212 UPLAN
イスラエルの占領と虐殺に制裁を!
パレスチナの国家承認を!緊急院内集会
西暦2040年 世界は「あの悲劇」を振り返った
YEAR 2040 #YEAR2040 #西暦2040年の世界