こんにちは。
今日という日を、いろいろな景色を見て過ごされていることと思います。
私が生まれたのは、終戦後27年経ってからですが、ここ数年、27年という年月は、ほんのわずかな時のように見えます。
起こったことを認識することの大切さ、認めることの大切さ、戦争という経験をしたこの国だからこそのこれからの選択、堂々とみなが希望をもって今という時を歩いていけますように。
この数日、夕方になると、川沿いでは、風がよく吹くようになりました。
暑さで散歩も大変だった犬たちも、気持ちよさそうに芝の上に座り、風に吹かれて過ごしている姿を見るようになりました。
まもなく立秋。
また、空気が移り変わっていきますね。
さて、今日は、昨日のお話のつづきです。
居場所を移らなかったら?
(木のかけらの言葉)
~居場所を移りたいのに、移らない。
それでも、魂の成長は可能? ~
可能でしょう。
ただし、窮屈さがあるかもしれません。
長らく、ものごとを昇華へ運ぶのに、時を要すでしょう。
~居場所を変えたら、成長はスムーズ?~
そうとも、限らない。
可能性は、ふんだんに広がります。
広がりつづけ、自由に飛び、生きていくのは、簡単なこと。
ただし、それを難しくするケースがあります。
これは、誰にも訪れる「こわさ」「迷い」
地球には、はびこるように在りつづける、大きなエネルギーがあります。
これは、足止めしようとしたり、人が自由にとびたてなくなる、
そんなはたらきをしているように見えます。
もし、あなたが、“とべないかもしれない。” “うまくいかないかもしれない。” “生きていけなくなるかもしれない。”
そう、連想しはじめたら、それは、その大きなエネルギーのとりこになっているという証でもあります。
この大きなエネルギーは、あなたの愛の信頼性を強化してくれる、
大変、豊かな大いなる愛の道へ、あなたを運ぶテストとも言えるかもしれません。
“信頼しつづける。”
“ゆるぎない愛を知る。”
“あなたの雄大さを知る。”
様々な世界を見せてくれる。
愛のはたらきでもあるのです。
揺らいだら、揺れてみるのもいいかもしれません。
こわくなったら、そのこわさに宿る愛のはたらき、
人々が魅了されるのは何か?探検してみるのもいいかもしれません。
どちらでもなく、大いなる愛をシンプルに信じつづける。
それが、あなたなりの愛の道かもしれません。
これには、大変、大きなエネルギーが、はたらくことも、ここに伝えておきましょう。
歩き方は、自由です。
自由なのが、この世界。
理解も、自由にできるのが、この世界なのです。