こんにちは。

先週末まで、2週つづけて、川原では約3万発の花火がそれぞれ打ち上げられました。

子供の頃、祖父母の家があったこの地に、夏に遊びに来て、いとこたち、大人たちみんなで、お菓子や飲み物を手に、川原へ歩いていき、この花火を見るのが恒例でした。

夏の楽しみの一つだったこの花火、ケンタロウを迎え、この地に移ってきて、大きな犬がいてもOKと、唯一、了承してくれた今の住まいは、打ち上げ場所のほぼ正面に位置する川のすぐそば。

窓から、花火が正面に見えるので、ありがたい場所ですが、ケンタロウにとっては、大変な一日です。

今年も花火大会の日、予告花火が朝から打ち上げれるたび、体にひびく大きな音。

ケンタロウに、『どうする?ここに居る?』とたずねると、ケンタロウは、『行かなきゃ』(=実家に避難する)と真剣な様子。

大勢の人が、川に向かって歩いてくるので、いつもと違う光景に、ケンタロウは歩くこともできなくなるため、父が車で迎えに来てくれることになりました。

ケンタロウにその旨を伝えると、『よかった~』と安堵した様子。

車がつくと、玄関を出て、まっしぐらに後部座席に走っていきました。わんわん

音楽にのせられ、打ち上げられる花火は、美しかったです。

翌朝、家の周辺は、花火の灰や火薬、破片だらけで、近所の方たちと掃除をしながら過ごしていると、たくさんの人が集まって、朝5時という時間にも関わらず、ゴミ拾いをしながら、川周辺を歩いてくださっていました。

そして、しばらくすると、クレーン車のような重機と共に、汗だくの男性たちがやってきて、屋根の灰を落とす作業を、順番にまわってしてくださいました。

花火大会を開催するにあたり、大勢の人が、いろいろな準備をしてくださっている様子を見てきてましたが、終わった後も、たくさんの人の手があること。多くの人の手があり、開催されていることを改めて知りました。

皆さまも、よき夏をお過ごしください。


  よい行いと悪しき行いキラキラ

       (今日の木のかけらの言葉)

      


よい行い、悪しき行い。

人それぞれ、これを指す事柄・内容は異なります。


人々は、はじめて見る行為そのもの、現象そのものを見て、分別する。そういう生き物です。


あなたが、“よい行い”、そう思う事柄に出会ったら、

なぜ、それが“よい”と言えるのか?確かめてみてほしい、

私は、そう思います。


『確かめる』とは、吟味すること。

味わい、また深く味わい、己の指し示す方向を、導き出すことを言います。


“悪しき行い”に出会ったら、

同じように、なぜ、それが“悪しきもの”と、分類しているか?

自身に問い、よ~く吟味してほしい。


そうなれば、世界は、ま~るく治まります。晴れキラキラ


『治まる』とは、ものが在るべき場所へ、そのものが好む場所へかえっていく、置かれていくことを、私は言っています。


そう、あなたも…。

人も、とっ散らかった心、病、精神、

それらも、あるべき場所へ落ち着き、あなたも…、

あなたが、ま~るく、もとの姿へ戻っていくのです。


キラキラ  キラキラ キラキラ