我が家は、夫が7年以上前に突然いなくなり、その後まったく連絡が取れなくなって失踪してしまいました。


子供が上の子は2才、下の子は0才のときでした。


今現在も、連絡は全く取れませんし、どこでどうしているのか、生死すら不明な状態です。


車だけは当時、富士の樹海の中で見つかりました。


夫がいなくなった当日から現在までの経過は、今までのブログに載せているので、もしよかったら、読んでみて下さい。









今日も仕事が休みだったので、お昼に子供たちとスシローに行きました。





たくさん食べ過ぎて、夕飯の時間になっても全くお腹が空きません。



デザートまでしっかり食べて、

お会計は5000円くらいでした。


最近の回転寿司は、麺類も食べられるから嬉しいです。



子供たちは、もっと小さい頃は、納豆巻き、いくら、玉子しか食べなかったけど、

今では私以上にいろんなものを注文して食べています。



子供たちの食欲は、見てて気持ちが良いですね。




ホント、離乳食食べないって悩んでた頃の、昔の私…真顔



ま、あれはあれで必要な時間だったと、思いましょうニコニコ



https://ameblo.jp/hiru14101982/entry-12823709231.html





今日はスシローで、子供たちが自分の好きなお寿司を好きなように食べているのを見て。


よくここまで立て直すことが出来たなと、少しまたジーンとしてしまいました。



夫がいなくなった直後、前も書きましたが、家を買ったばかりで、本当にお金がなくて。


まだまだ引き落としがどんどんある時期で。


でも急に夫が消えて、入ってくるはずのお金も無くなり。


私もまだ育休中で、給付金しか無くて。


どんどん目減りしていく通帳の残高を見て、恐怖でした。





当時の通帳です。


もうこれは夫がいなくなった後です。


最終的に、20万くらいしか無くなって、もうダメかも…。

って、考えていた時期です。


乳幼児を2人抱えて、貯金が20万。

入ってくる予定のお金は無いって。


恐怖でした。




でも幸い。


ここから私が仕事に復帰して、お給料が毎月入るようになり、なんとか少しずつ、プラスに持っていくことができました。


首の皮一枚繋がった状態でした。


それでも児童扶養手当(母子手当)も、失踪後1年経たないと、給付が始まらない決まりで。


この失踪直後の1年間が、本当に本当に極貧でキツかったです。


もちろん、外食やデリバリーなんか使えず。


実家にいろいろと、お世話になってしまいました。



どうやって切り抜けたか、よく覚えていませんが。


必死に働いたことは、覚えています。



夫の実家は。


助けてほしいと訴え、2回くらい3万ずつ振り込まれましたが、すぐにそれも途絶え。



夫の親族に期待するのはやめようと、すぐに見切りをつけて。



自分で。自分が。


働いて、働いて。


とにかく自分のお給料だけは、途絶えさせてはいけないと、


必死でした。





なのでいま、ここまで生活を立て直せたこと。


遺族年金を受け取れていることに、感謝しながら。

(夫に感謝ではありません。年金納付者、納税者全員に感謝です。)


子供たちの衣食住に、困ることなく生活できていることが、


ありがたいです。



よく頑張った、私ニコニコ


ちょっと自画自賛しても、いいよねニコニコ







ときめきが続く、お花の定期便bloomee(ブルーミー)