我が家は、夫が7年以上前に突然いなくなり、その後まったく連絡が取れなくなって失踪してしまいました。


子供が上の子は2才、下の子は0才のときでした。


今現在も、連絡は全く取れませんし、どこでどうしているのか、生死すら不明な状態です。


車だけは当時、富士の樹海の中で見つかりました。


夫がいなくなった当日から現在までの経過は、今までのブログに載せているので、もしよかったら、読んでみて下さい。 




久しぶりに、夫のことを書いていこうと思っています。


コロナは、私はまだ移っていません。いつもご心配頂き、ありがとうございますニコニコ




夫が居なくなった年の3月末、ちょうど今くらいの時期です。

4月から保育園に入れるための準備で追われていました。

とにかく私が生活費を稼ぐために働かなくては。

働くためには保育園に入れなくては。


保育園の説明会に行ったり、必要なものを揃えたりで、大忙しでした。

保育園て、なんであんなにたくさんの物が必要なんでしょうね。

シーツ、掛け布団カバー、タオルケット、食事用前掛けタオル、手拭きタオル、口拭きタオル、身体拭きタオル、帽子、着替え、カバン、ets…


しかも、既製品で用意できないような、自分で作らなきゃいけないようなものを指定してくるんですよね。


揃えるのに、すごく大変だった記憶があります。


それに、夫のこともまだまだ、警察から電話がバンバンかかってくるような時期で。





「現地でご遺体が見つかりましたが、ご主人ではないですか?」


という電話。

年齢、背恰好、髪型、服装、服の色、靴、などなど。

見つかったというご遺体の特徴を聞いて、

「いや、主人では無いです。」

と、毎回答えていましたが。


こんな電話受けて、平常心でいられる人っていないと思います。


青木ヶ原で見つかった身元不明のご遺体ということは、そういうことであって…。

こんなに細かく説明されてしまうと、どうしたって人物像を想像してしまうのです。



次の電話は夫の遺体かもしれない


スマホが鳴ってる時点で警察からの着信て分かりますから、


この電話は夫の遺体かもしれない


って、毎回考えてしまっていました。


毎回夫ではなかったのですが。


そうすると、毎回電話のあと、気持ちが沈むんですね。

夫の遺体じゃなくてよかった…って気持ちと、

だったらいったい夫はどこにいるの?

って気持ちと。


もし樹海にいるなら、早く見つかってほしい。

いや、そんな場所で見つからないでほしい。


この2つの気持ちばかりでした。


何度も繰り返すうちに、

「今日は警察からの電話が来ないでほしい」

って思うようになっていきました。


そんな中での、保育園の準備は、精神的にしんどかったです。


やらなきゃ…

なにもしたくない、動けない…。

でもやらなきゃ。

の、毎日でした。





今思えば、あの時期、やらなきゃいけない事があって救われたのかも。




あれから8年か…。



これ、当時保育園で見本に飾られていたものを撮りました。
いま見たらたいしたことないけど、当時は
「こんなにたくさんのもの、絶対用意できない!」って気持ちになってしまっていました。

とにかく一人でやっていくことに、不安だらけでした。


でも、よく頑張ってきたよね、私。
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