仕事で滝汗かいても、髪の毛ボザボサになりませんおねがい




こんにちわ。


仕事の話が聞きたいというご意見が多く、ありがたいです。

本当にありがとうございます照れ


でもあんまり辛辣には書かないので、安心してください。

「だったらその仕事辞めたら?」

「自分でその仕事選んでるんでしょ」

「アナタみたいな人に介護されてかわいそう」

などなど、厳しいご意見を頂きそうですし…。


それに、そもそも入居者が悪いのではなく、就業上のシステムだったり、管理職や上司だったり、

はたまた、認知症という謎がまだまだ多い症状のせいですから。


ご家族を施設に預けている方がいっぱいいると思いますので、そういった方々も、私が書いた記事を読んだときに、不快にならないようにしていきたいです。

皆さんご家族は、いろいろな、本当にたくさんの葛藤を抱えて、預けることを決めたと思います。

誰だって、自分の家で暮らし続けたい、暮らし続けさせてあげたい…。

たくさんのケースを見てきていますので、ご家族の気持ちを念頭に置いて、記事を書いていこうと思います照れ






先程、認知症はまだまだ謎の多い症状と書きましたが、「認知症」という分野においては、

医学は進歩してるのか?

って思ってしまいます。

素人ですから、間違っている考え方かもしれませんが…

治験だ新薬だと、よく耳にしますが、介護の現場で認知症の医学の進歩を感じることがほぼありません。

私が働いてる世界が末端の末端だからでしょうか?


おそらく、癌とか、脳血管疾患とか、心疾患とか、日進月歩で医学は進んでいるのではないでしょうか…


高齢者の認知症においては、いまだに大昔からあるアリセプト(認知症の症状の進行を抑制する薬)を飲んでる入居者がいたりして、この薬、申し訳ないですが、効果を感じたことがありません。

飲み始めるタイミングが大事と聞きますが、特養に入居するほど症状が進行してるのに、アリセプトしか無いんかい??いつまで飲み続ければ、いいんかい??

って、聞きたくなっちゃいます。


認知症って、言葉を選んで書きますが、その人らしくいられなくなってしまうというか…


家族も疲弊してしまいますし。

徘徊とか、排泄の問題とか、夜間不眠とか、入浴とか、怒りっぽくなるだとか…

少しずつでも薬で脳の機能を保てたら、施設なんかで暮らさずにいられるのに…って思ってしまうんですよね。


脳って、まだまだ未知数なんですかね…。

認知症なんか、医学の力でこの世から無くなればいいのにって思っています。

思い続けて…20年です。






有機野菜・無添加食品の宅配ネットスーパー【らでぃっしゅぼーや】

 











では、本題に入ります。


夫が失踪して1年くらい経った頃でしょうか…

もっと早い段階だったでしょうか…

正確な時期は覚えていないのですが…


たしか、富士吉田ではなく、地元の警察署からの電話だったと思います。


「ご主人が見つかったときのために、お子さんか義両親のDNAを保管させてください」


最初は、言われていることの意味が理解できなかったのですが、時間が経過すると、調べるのにDNA鑑定が必要になるのですね…。


そういう段階になったんだなぁという感想がまず湧いたのですが、


凝視子供って言いましたびっくりマークはてなマーク凝視


方法は、口の中の粘膜を綿棒で擦るといった方法で簡単らしいのですが、


絶対に子供たちに、そんなことさせたくない!


って思ったんですよね。


「子供たちにはさせたくありません。

そちらから、義両親に頼んでもらえますか?私がこう言ってると伝えてもらって構わないので。」

こう言って電話を切りました。



冷たい嫁だなと思われてもいいです。

1歳、2歳ほどの子供たちに、そんなことさせるの、気分的に嫌です。


結局、義両親が警察署に出向いて採取したそうです。

あとは、夫の歯医者の診察券や、使っていた髪の毛のブラシなんかも、どのタイミングだったかで提出したような記憶があります。





それでも未だに夫は見つかっていないんですけどね…。



その後も、復帰した仕事中でも、警察署からの着信で携帯が鳴り、折り返すと、夫と背格好が似たご遺体が現地で見つかったという連絡でした。


特徴を照らし合わせて、毎回夫ではなかったのですが、何回目の電話のときだったでしょうか。もう数え切れないほどの時です。


「もう、私の携帯ではなく、義両親の電話にかけてください。」


このように警察官に電話で伝えました。

この内容の電話で、憂鬱な気分になるのが、嫌で嫌でしかたなかったのです。

警察の方には、本当に申し訳ないと思いましたが…。



夫という人を選び、結婚して妻になった私の責任なのかもしれませんが。

このときの私は、子供たちのことと仕事でいっぱいいっぱいでしたし、黒い渦の中に引き戻されたくない、前を向いていたいという気持ちが強かったのです。








これ以降、夫かどうかという内容の電話が警察署からかかってくることは、一度もありませんでした。