~原作 浅田次郎「壬生義士伝」(文春文庫刊)~
脚本・演出/石田 昌也
東京宝塚劇場 令和元年8月18日 午前11時公演 1階20列上手側サブセンターS席 / 8月25日 午前11時公演 1階9列最下手側S席
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こちらの感想をもう少し...って、もうすぐ千秋楽ですね(笑)。ですので?
<ネタバレ全開>
系記事となっておりますので、ご注意ください。
○ Angel?
ところで、8/18は、1階後方の通路側の席でした。
「いい○」をした「お○さん」だし、何となく気恥ずかしい (し、ご迷○にもなりそうな) ので、最近は、
「通路側席での客席下り」
の時も、近くに来てくれた方を見て、手拍子をするだけにしているのですが...。この日は、通路側に目を向けると、すぐに、両手を掲げて、こちらに近づいてくれる方がいて...久しぶりに
“High five!”
することになりました。その後、私のお隣の女性とも“High five”をして、その際に、私の脚にちょっとぶつかったのですが、すると「ごめんなさい」という風に口を動かし、ぶつかったところに手をそっと触れてくれます.........。やはり、こういったことで、急に
「好感度が↑↑↑」
してしまうものですね(笑)。そういえば、その「逆パターン」の方もいる気がするし...。少し前の記事で
「舞台上が全て」
とか書いたばかりなんですけど(爆)。ちなみに、そのジェンヌさんは
① 星南 のぞみ(せいな のぞみ 98期 「りさ」) 革命女
「りさちゃん」でした。
○ らしいとこ?
さて、この作品については
「あまりに切ない...」
って、何度も書いてしましました。そして、ムラでの初観劇の時は
第五場 口減らし
での、あまりにも
「生々しいやり取り」
に、(聞こえてきたセリフの内容が信じられない的な) 「プチショック状態 (?)」となったことも覚えています。ムラで2回、東京では、新公も入れると3回みているのですが、ここは、いまでも「耳を塞ぎたい」気持ちになるところがありますね。それと
第十三場 雫石・残された家族
で「村人二人」が見せつける
「人間の醜さ」
というものもまた、未だ、受け入れがたい気分にさせられます。でも、こういった
「普段の宝塚の舞台」
ではあまり現れることがない (景子先生の舞台なら決して現れない?) ものを、ポンと何度も出してくるあたりが
「ダーイシ先生」
らしさとも言えるのでしょう。
○ どうして...
そして、(原作を読めばわかるのかもしれませんが) いくつか
「腑に落ちない」
ところもありますね。例えば、
① 「いなくなられて心細い」ならば、どうして、もう少し援助してやらなかったのか?
とか、もしもそうはいかない立場だったのなら、
② せめて、もう少し、残された「しづ」たち家族をサポートできなかったのか?
とか...。そもそも、吉村は
③ 脱藩した身で、どうなったら故郷に帰るつもりだったのかな?
とかも考えるましたっけ...或いは
④ 家族を京都に呼び寄せたら...
とかも考えましたが、小さな子もいて、それは難しいでしょうね。そして、結局「しづとの再会の約束はかなわない...」
観劇を重ねるにつれて
第八場 脱藩・雪の別れ
でこみ上げるものが大きくなっています。
そして、もう一か所
第二十三場 天下の孤児~淀川決戦
第二十四場A 大阪・南部藩蔵屋敷
を見る時、いつも、
⑤ どうして、吉村はあんな行動をとったのか?
と思ってしまいます。
○ 吉村貫一郎の生き様?
冒頭近く、吉村は
「南部の武士として、忠義に生きよう」
と歌い上げますが、
第五場 口減らし
での「母の餓死」と「しづの自殺未遂」という衝撃的出来事を経て
「お前のために、俺は死なない、生きて帰る」
と歌い上げ、「南部藩への忠義」は捨て、家族を守るために
「脱藩し、新撰組に入隊」
するという「新たな選択」をしたはずです。さらに
第十場 不意討ち御免
でも、斎藤に対し、
「死なないために、人を斬る、家族のために生きる」
と言っている。少なくとも、この舞台での、その後の吉村の行動もまた「家族への仕送り」のために
「無実の小川を斬り」「斎藤から賂を巻き上げる」
といった類のものです。そして
第二十一場 八木邸・見合い
第二十二場 七夕の幻想
では、その
「守銭奴」
と言われても仕方のない行動の奥には「しづへの深い想い」があることも明らかとなっている。ですから、脱藩後の吉村は、「忠義」ではなく
「家族への愛」
のために生きていたはずです。
ところが
第二十三場 天下の孤児~淀川決戦
では、一転して
「義」
を高らかに唱え出し、明らかな
「死地」
へと単騎突撃していく。「家族のために生きて」きて、そして、愛するしづとの「生きて帰る」という約束をもなかったかのように...。多分、ここでの転回が、あまりに
「唐突」
過ぎるために、何か観ていて「モヤモヤ」したものを感じるのでしょう。それでも
② 望海 風斗(89期・2番 「だいもん」「ふうと」「のぞ」) 吉村貫一郎 芝居 ☆☆☆☆ / 歌唱 ☆☆☆☆☆
「だいもん」の「濃い系」の芝居をみると、
「これが本当の吉村なのか...」
とか思わされて、この辺の「?」も、それなりに納得 (?) していたように思います。そう、この場面の吉村は、正に、娘の「みつ」の言った通りの
「新撰組の英雄」
だった...。実際、初観劇の時は、ここで戦死したものとばかり思いました...。
しかし
第二十四場A 大阪・南部藩蔵屋敷
吉村は、ここでは果てず...何と、親友である大野の差配する
「南部藩蔵屋敷に逃げ込む」
という、ある意味、「英雄にはあるまじき振る舞い」をする。大野じゃなくても
「勝手に脱藩した挙句、負けた途端に帰藩とは...」
と呆れ果てたくもなるし、そもそも、そんな様なら、あれほど斎藤に引きとめられ、「南部に帰れ」とまで言われてもなお、何故突撃してしまったのか?
「なぜ、大阪に行かなかった?」
と問いたくなります。ここで、再び、前の場面の「英雄/吉村」との
「落差のあまりの大きさ」
に「モヤモヤ」が、さらに募ってしまいます...。どこか「あそこで討ち死に」した方がスッキリ...って思ってしまうというか...。でも
③ 彩海 せら(あやみ せら 102期・7番 「あみ」 吉村貫一郎 芝居 ☆☆☆☆ / 歌唱 ☆☆☆☆
新人公演での「あみ君」のお芝居を見ていて、やはり
「こちらが、本当の吉村なのかな...」
って思いました。
「竹馬の友の誼を持って...」「いっそ百姓なら切腹しなくても...」「これはかいちろうの...これはみつの...これはしづ...これは、抱くことも出来なかった童の...」
とかぶつぶつと言い続ける、
「英雄とは程遠い」
けれども、ある意味、とても
「人間らしい姿」
こそが、本当の
「吉村の生き様」 (であって、「第二十三場」では、惨めな敗走の中「錦の御旗」を見て、何か「変なスイッチ (?)」が入ってしまっただけ? (笑))
なのだと...。
ただ、吉村にも、斎藤たちと同じように、大阪に引き、その後、会津新撰組として戦い、捕虜となり...恩赦があり、家族と再会するという人生の可能性があったことも、つい考えてしまいますね。
● 作品評 ☆☆☆
多くの主要登場人物は、
「ささやかな幸せ」
さえも十分につかめないままに鬼籍に入り...そして、どこか「モヤモヤ」感が付きまとう...飛び切りの
「哀切さ」
こそが、この舞台の真価なのでしょう...。原作ありらしい
「クオリティー」
もはっきりと感じます...でも、やはり、何度もリピートするのはキツイかな...。
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