幕末ロマン『壬生義士伝』
~原作 浅田次郎「壬生義士伝」(文春文庫刊)~
脚本・演出/石田 昌也
令和元年7月28日 東京宝塚劇場 午前11時公演 2階12列センターやや上手側B席
6月22日と23日に、ムラで2回観劇しています。1か月以上ぶりで3回目の観劇となりました。
<少しネタバレがあります>
○ もう少し...
前の記事に書いた通り、二回目の観劇で、
「語られなかった部分」
についても、少し推察できた気がしました...けど、やっぱり
「腑に落ちない点」
もありますね。例えば、国元に残された
「貫一郎の家族たちと次郎右衛門とのかかわり方」
とか...。あと、あの斎藤一に
「新撰組の○○」
と言わしめるまでの人物描写となっていたかについても、この作品の
「大きな主題」
だけに、やや「?」があります...
...以上は、ムラでの観劇の時の書きかけで、放り出した「駄文」の一部です。その時には
「東京でみれば、この謎も解けるかな?」
と思っていたのですが...
○ 3回目の観劇
すでに2回見ていて、ストーリーは、ほぼ完全に覚えていました...が、3回目の観劇では
「さらに、○腺が崩壊」
した気がします。演出は変わっていないはずですが...やはり、全体的に、
「芝居の作り込み」
がムラよりも、「より深く、より濃く」なっていたからでしょう。ただし、この○って、何というか
「苦い○」
というか、単に「悲しい○」というよりも
「あまりに哀しく、あまりに切ない○」
でした。
○ あの作品と比べて...
「○腺を直撃」される和物ということでは、あの
『星逢一夜』
が思い出されますが...この作品と比べると、『星逢』には、色々と「救い (?)」があった気がします。それは、多分、「主役コンビが○なない」といったことよりも、ストーリーの中に
「一揆の首謀者と藩主の一騎打ち」
を筆頭とする、現実にはありえない一種の
「ファンタジー的要素」
が多く含まれていたためかもしれません。
この『壬生義士伝』には、
「辻褄が少し合わないかな?」
的なところはある気もしますが、そういった「ファンタジー的要素」は全く含まれておらず、それ故に「悲劇がより生々しく」強い
「現実感」
をもって、迫ってくる感じがする...。
「たくさん○ける」
のだから、○い作品の訳はなく、
「しっかりとした原作あり」
感のある、「十分に優れた作品」だと思うのですが、反面、その作品世界のあまりの「切なさ」に、ある意味
「リピート」
が辛くなるような舞台であるような気もします。
○ 何か...
もう一つでも、「救い」があれば、ずっと、その辛さは和らぐと思うのですが...そういった意味でも、↑に書いた疑問の一つでもある
「どうして、もう少し、次郎右衛門は、吉村一家を...」
って考えてしまう...。この理由も、原作を読めば分かるのでしょうが...この舞台だけからではよく分からない...。最後に貫一郎が
「ただ一人戦わなくてはいけない」
理由も、今一つ分からなくて、それ故の「切なさ」も大きいのですけど、最後の展開は
「こうでなければならないか...」
と感じさせる部分も多い...。でも、せめて、故郷の家族は...
見終った後に
「どこかで、一人だけでも...」
っていう想いが重くのしかかってくるような気がしてなりません...。勿論、ラストシーンは「定番の展開」なのですが、それでも、そういった想いが拭いきれない...。でも、それこそが
「原作の力」
なのかもしれませんね。
● 観劇お薦め度 ☆☆☆☆
まあ、とにかく、是非一度は見るべき作品だと思います。
「しっかりとした原作あり」
をはっきり感じさせられる作品の仕上がりぶり。主役コンビは勿論、その他の様々な登場人物の
「役作りも、とてもハイレベル」
で、「今の雪組」を感じさせる、非常に
「充実した舞台」
です。
ただし、あまりに
「救いのない物語」
なので...
「何度も楽しめるか」
は、人による気がします...。まあ、その
「極限の切なさ (?)」
みたいなものが、この作品の「最大の価値」とも言えるでしょうが...。私の場合は、見終ると、とにもかくにも
「ショーが待ち遠しく」
なります!(笑)

(今回は、ショーも暗くなってからの幕開きですので、舞台を写せるのは、この時だけでした。とにかく、早く30分経って欲しくなります (笑))
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