21年
当時中学3年と一つ下の弟は同じ部屋で寝ていた
思春期真っ只中で親にそろそろ部屋を分けて欲しいと言っていたが、なかなか叶わず
でも今思えばだから大きな怪我をせずに済んだのかも知れない
前の日の夜は実に気味の悪い夜で、月が真っ赤で、そこら中で犬が遠吠えをしていた
弟に「むっちゃキモいなぁ」と、言ったが返ってきた答えは
「そうか?」
の一言。
モヤモヤしながら床についたがやはり気味が悪く、明け方5時過ぎに目が覚めた
しばらく布団の上でゴロゴロしていた頃、向こうの方から地鳴り音が聞こえてきた
微かに揺れを感じる
大型のトラックがこんな民家の近くを猛進している、そんな印象だった
でも、その不自然な音は違う方向から聞こえてきている
おかしい、、下からや、、
と、思うが先か後か、
ドーン!真下から大きく突き上げられ、僕の体は布団ごと宙に舞った
現状など把握する余裕はない
とにかくしがみつくしかない
僕はそのまま隣の弟の上に覆い被さった
守らなあかん
それしかなかった
長い揺れが一旦収まる、暗がりで分かったことは僕と弟が丸まっていたところ以外にタンスやらテレビが散乱している
僕らのところだけポッカリ残していた
弟の無傷を確認した後向かいの部屋に入り、母親の無事を確認し、一階に降りた
一階では妹と祖母が寝ている
祖母に声を掛けたら
「浩之、助けて」
祖母がタンスの下敷きになっている
力任せにタンスをずらし祖母を助けたが、腰を強く打ち動けないという
まだ暗くて電気も点かない、このままではどうすることもできない
一階に集まった家族に取り敢えず動くなと言い、僕は家から川を挟んで向かいにある駐車場の車に向かった
懐中電灯があったはずや
橋を渡ろうとした時、あっ!と、何かに躓き大きく僕は転倒した
地震で橋の高さが変わり道との境目に段差ができていたのだ
転んで上を見上げた時に気付いた
西の空が赤い
火の手があちらこちらから上がっている
周りの家は倒壊し、中から呻き声や泣き声が聞こえてくる
車から懐中電灯を持ち家に入る
心配そうに待っていた母に
「地獄や」
やっと出た言葉だった
その時、家の前に車の止まる音がし父が帰ってきた
家から離れたところで製麺業を営んでいた父の朝は早く当時2:00頃から仕事をしていた
「おいっ!大丈夫か?」
「大丈夫や。おとん、工場どないや?」
「従業員はみんな無事やわ、それよりこれはあかんわ、どないもならん、街がぐちゃぐちゃや」
そして、父と近所の叔母の家に向かった
家は活断層により真っ二つに引き裂かれ、お互いが寄り添うように何とか倒壊を免れていた
東日本大震災からのこの5年間、自分に出来ることを常に考えてきた
本当に本当に大きな事が出来なくて歯痒いけれど、忘れない事、伝える事、が大事なんだと思う
これから起こるかも知れない防ぎようのない事に少しでも役立てる様に
そして些細ではあるけれど、まだ大変な生活を強いられている方々の笑顔につながる様に
阪神大震災と東日本大震災の被害者の方のご冥福を心よりお祈り申し上げます