剣道を続けていると、いつか訪れる転機があります。
それが、「教える立場になる」ということです。
後輩や子どもに声をかけるようになる。
技術を伝え、姿勢を示し、場を整える側に回る。
最初は戸惑いもありました。
どう教えればいいのか。
何を伝えるべきなのか。
自分自身がまだ未熟なのに、人に教えていいのか。
そんな迷いの中で、少しずつ分かってきたことがあります。
それは、「教えることは、自分を映す鏡である」ということです。
うまく伝えられないとき、
それは自分の理解が曖昧な証拠です。
感情的に叱ってしまうとき、
それは自分の余裕のなさが表れている。
相手の成長を信じられないとき、
それは自分自身を信じきれていない。
指導とは、相手を見ることのようでいて、
実は自分自身と向き合う行為でもあります。
では、指導者として何が大切なのか。
いくつか、私が意識していることがあります。
まず一つ目は、「すべてを教えようとしないこと」です。
教える立場になると、つい多くを伝えたくなります。
あれもこれも、正しく導こうとしてしまう。
けれど、人が本当に吸収できる量は限られています。
だからこそ、その人にとって「今、必要な一つ」を見極める。
一度に一つ。
それを丁寧に伝える。
それだけで、成長の質は大きく変わります。
二つ目は、「言葉よりも姿勢で伝えること」です。
どれだけ正しいことを言っても、
自分の姿勢が伴っていなければ、相手には届きません。
稽古への向き合い方。
礼の仕方。
一つ一つの動き。
それらすべてが、無言のメッセージになります。
むしろ、言葉以上に強く伝わるものです。
三つ目は、「待つこと」です。
すぐに結果を求めない。
すぐにできるようになることを期待しすぎない。
人の成長には、それぞれの時間があります。
焦らず、比べず、見守る。
その“間”を持てるかどうかが、指導者としての器を決めるのだと思います。
これは、社会生活にもそのまま通じます。
部下や後輩に対して、つい結果を急いでしまう。
思うように動いてくれないと、苛立ってしまう。
けれど、本当に大切なのは、
その人が自分で気づき、成長していく過程を支えることです。
指導とは、「変えること」ではなく、「引き出すこと」。
その視点を持てるようになってから、
人との関わり方が少しずつ変わってきました。
そしてもう一つ、忘れてはいけないことがあります。
それは、「自分も学び続ける側である」ということです。
教える立場になった瞬間に、成長が止まる人もいます。
しかし、剣道において終わりはありません。
むしろ、教えることで、自分の未熟さに気づかされる。
新たな課題が見えてくる。
だからこそ、教えながら学ぶ。
学びながら教える。
その循環の中に、自分の剣道があるのだと思います。
指導するということは、責任のある立場です。
けれど同時に、自分を深くする大きな機会でもあります。
誰かに伝えようとすることで、自分の中の曖昧さが浮かび上がる。
誰かの成長を見ることで、自分の歩みを振り返ることができる。
それは、とても豊かな時間です。
剣道は、一人では成り立ちません。
教え、教えられ、支え合いながら続いていくものです。
だからこそ、指導者という立場もまた、
剣道の一部なのだと思います。
次回はいよいよ最終回。
「それでも剣道を続ける理由」について書いていきます。
なぜ、忙しい日々の中で、それでも竹刀を握り続けるのか。
その答えを、自分なりに言葉にしてみたいと思います。