こんにちは&こんばんは&おはようございます。

 

 今週前半の春を思わせるような暖かさはやはりフェイクだったのでしょうか。この時期らしい寒さに戻った2月2回目の3連休。天気が回復し今日(24日)は朝から晴天の東京ですが、明日(25日)は天気がぐずつき気温も上がらず関東地方では雪雪だるまが降る所もあると予想されています。急速に暖かくなり、「春だ!!桜だ!!」桜と騒いでいる光景を見て冬が嫉妬しているような、そんな感じの3連休のお天気です。

 

 

24日11時発表 25日の各地の天気予報(気象庁HPより)

 

 さて先日、日経平均株価が史上最高値を更新したとニュースで報じられました。

 その前の最高値がバブル真っ只中の1989年。当時はまだ学生でお金に関しては無頓着に近かったのですが世の中が浮かれていた事だけは何となく覚えていて、就活で今では考えられないような接待を受けたと言う話を学校の先輩から何度も聞かされました。

 そんな日本経済が最高潮だったその時期もやがて終わり、残った不良債権の処理に青息吐息だった1990年代。そして思い出したのが、世の中もサッカー界も激動の年だった1997年。不沈と誰もが思い込んでいた日本の金融システムが崩壊。大手から地方銀行まで次々と経営破綻し世の中を震撼させました。某証券会社社長が記者会見で発した「社員は悪くありませんから」のフレーズは今でも頭に残っています。

 

 その会社が経営破綻した約1週間前、サッカー界でもセンセーショナルが出来事がありました。今となっては出場する事が当たり前となっているサッカーW杯への出場権を初めて獲得した1997年11月16日。フランスW杯アジア第3代表決定戦。

 

「ジョホールバルの歓喜」

 

 今回は、当時を振り返りながら書きたいと思います。

 

◎フランスW杯アジア第3代表決定戦(マレーシア・ジョホールバル)

日 本  3-2    イラン

(得点者)

39分  中山 

46分  アジジ

58分  ダエイ

75分  城

118分 岡野

 

〇最終予選レギュレーションと経過

 この時の最終予選のレギュレーションは、10か国が2つのグループに分かれてのホーム&アウエー方式。それぞれグループ1位が本戦進出。2位同士が一発勝負で代表決定戦を行い勝った方が本戦進出。敗れた方がオセアニア代表と大陸間プレーオフ(ホーム&アウエー)を行う方式でした。ちなみにオーストラリアはまだこの時はオセアニア地区所属でした。

 日本は韓国、UAE、カザフスタン、ウズベキスタンと同じグループB。ホームで迎えた初戦のウズベキスタン戦に勝ち、アウエーのUAE戦で引き分けて迎えた、前半の山場となったホーム韓国戦。先制したものの逆転負けを喫し、続くアウエーのカザフスタン、ウズベキスタン戦で引き分けこの時点でグループ3位。カザフスタン戦後の夜に加茂監督が電撃解任となり、コーチだった岡田氏が監督に昇格しました。

 中央アジアでの2試合の後に行われたホームでのUAE戦は勝たないと自力で2位に上がれない瀬戸際に立たされての一戦でしたが、この試合も引き分け。試合後、一部サポーターがパイプ椅子を投げつける等暴徒化し国立競技場周辺は騒然となりました。(小生もこの時、たまたま仕事の帰りで付近を通っていました。) 

 2位のUAEが残り2試合全勝するとフランス行きの道が絶たれる絶望的な状況で迎えたアウエー韓国戦。既に本戦出場を決めていた相手に勝利を収め踏みとどまると、最終戦のカザフスタン戦で圧勝。残り試合で勝ち点1しか上積み出来なかったUAEを抜いてグループ2位となり、グループA2位のイランと本戦への出場権を懸けて対戦する事となりました。(グループAトップはサウジアラビア)

 

 

〇対イラン戦

   中立地のマレーシアで行われた一戦ですが、日本から大勢のサポーターが駆けつけてスタジアムを埋め尽くしホームの雰囲気で行われた試合でした。

   イランにはブンデスリーガで後に活躍するアジジ、ダエイ、バゲリと言った海外組がおり、特にバゲリ選手の存在が厄介だと言われていましたが日本戦は出場停止でピッチに姿なく、これが幸運だったと言う解説者も当時おりました。またアジジ選手が試合前に笑いながら車椅子に乗って怪我を装っていましたが、実際には何食わぬ顔でスタメンに名を連ねて得点を上げる等、激しい心理戦も行われていました。

 試合は一進一退の攻防で、延長までもつれ込みましたが岡田監督の強気の采配がことごとく当たり激闘を制しました。三浦選手(カズ)→城選手の交代、岡野選手の投入。そして全得点に絡んだ中田英寿選手。中央アジアで味わった絶望の淵から見事に這い上がり、回り道しましたがW杯のキップを手にしたのであります。

 当時はアパートに住んでいて、ビールを飲みながら一人でイラン戦を見ていましたが、夜遅かったにも関わらず日本が得点したりピンチを逃れるタイミングで隣三軒から歓喜と絶叫の声が聞こえて来たのを覚えています。

 あれからもうすぐ40年経ちます。選手が次々と海外に進出し、本戦でサッカー強国のドイツやスペインを破るなどレベルアップしました。

 その一方で、2026年W杯ではアジアの代表枠が増える事もありサポーターも関係者も「初出場」を渇望し、絶望と歓喜が同時に味えるような予選はもしかしたら体感出来ないのかも知れませんね。

 

 

〇イラン戦の「その後」

 初のW杯出場を決め歓喜に沸いた日本ですが、客観的に見るとそれよりドラマチックな展開が大陸間プレーオフで繰り広げられました。日本が金融機関の破綻に揺れ動く11月末に行われた「オーストラリア×イラン」の第2戦。

 日本同様、初の本戦出場を目指すオーストラリアは今シーズンから横浜Fマリノスで指揮を執るキューエル氏が若手のホープとして出場しており、多くの選手がヨーロッパのクラブに所属していました。

 一方、代表決定戦で日本に敗れ後が無くなったイランはホームでの第1戦1-1の引き分けに終わり、いよいよ窮地に立たされた中で第2戦の会場となるメルボルンへ乗り込む事となります。

 クリケットの競技場で行われた第2戦。第1戦に続きキューエル選手が先制点を上げ、その後も得点を重ねたオーストラリアが試合を優位に進めましたが、終盤になってイランが立て続けに得点を奪い2-2のドロー。アウエーゴール方式によりイランが出場権最後のキップを手にしました。

 

 ちなみに日本戦の前に車椅子に乗ってニコニコしながら報道陣の前に現れたアジジ選手は第1戦、第2戦とも得点を上げ日本戦含め3試合連続得点。あの騒動は一体何だったのかと思うような活躍ぶりでした。

 

 そんな変遷を辿り上に書いた通り世界と対等に渡り合えるまでにレベルアップした日本のサッカー。そして、昨日J1リーグが開幕。J2、J3も始まり、2026年W杯のアジア地区2次予選も行われます。果たしてどんなドラマが展開されるのでしょうか。

 

 

今日の一枚

 芝の生育問題が取り沙汰されているナショナルスタジアム。維持費確保の為に稼働率を上げようとしているのでしょうけれど、果たして全面改築は正しかったのか考えてしまいます。

 

 

 

 

 

 

 

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