先々週は、関東ブロック協議会(1都10県の司法書士会で構成する東京法務局管内の司法書士会の集まりで、私たちは「関ブロ」といいます。)主催の市民公開講座のイベント「エンディングノート、遺言書を書いてみませんか?」が山梨でありました。
ゲストが梅沢冨美男、そしてUTYテレビ山梨で放送されている平日の帯情報番組「スゴろく」の総合MCを務めているケンキ(54歳で司法書士試験に合格した芸人)さんということもあり、その市民公開講座に関係者として参加するため甲府市内の会場へ行きました。
土曜午後1時から開催だったのですが、午前中の渋滞をさけるため、前日の夜に甲府市内のホテルへ移動しました。
そして、その開催日である土曜朝から「昇仙峡」へロープウェイを使わずに山登りをしました。少し曇っていたため、景色は今一つでしたが、気分よく歩くことができました。
三島由紀夫事件のあった市ヶ谷記念館
さて、タイトルの件です。
コロナ禍において市ヶ谷にある防衛省で、「大本営地下壕跡」が公開されるようになりました。
そこで、11月にソウル南部法務士会をお迎えするにあたり、下見を兼ねて、視察に行って来ました。
公開されているのは一部ですが、当時の閣僚が隠れて生活をしていた場所であり、ポツダム宣言を受け入れた場所も、この地下壕とのことです。地下壕を隠すため、地上は庭園を装っており、散策ができるようです。
さらに興味深いのは、それ以前から見学ができた市ヶ谷記念館(陸軍士官学校)です。
もともとは、檜町地区(港区)にあったのですが、防衛省が市ヶ谷へ移転するに伴い東京裁判も行われた法廷が、当時のまま移設されて見事に復元されています。
そして、その2階の陸軍大臣室で、あの三島由紀夫事件は起きました。
1970年11月25日、三島由紀夫は、この部屋のバルコニーに出て、「・・・自衛隊が立ち上がらなきゃ、憲法改正ってものはないんだよ。諸君は永久にね、ただアメリカの軍隊になってしまうんだぞ。」
などと10分ほど、鉢巻を巻いてクーデターを呼び掛ける演説をしましたが、集まった自衛隊員らにヤジでかき消されたといわれています。
その後、その部屋で割腹自殺をして、あっけなく幕を閉じました。
東京裁判のあった法廷
赤軍派が乗っ取ったのでは?思うほどの映像でしたが、まさか作家の三島由紀夫が演説をしていたとは、かなりの衝撃が走った事件です。
当時の私は、三島由紀夫が作家だとも知らず、何を叫んでいるのかもよくわからずTVでの映像をみていた記憶がありますが、その後、三島由紀夫の小説を読みながら、この事件のことを何度も思い起こしていました。
今回は貴重な歴史の舞台を見学することができました。
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