西米良村は凄かった

西米良村内に入り何キロか河川沿いの国道を進んで到着した役場が立地する中心集落もクルマで進めば2〜3分で通過する程度の範囲で、観光客が立ち寄るような直売所や道の駅といったものが視界に入って来なかったこともあったので、さらに先に進んでいくと、河川を挟んだ対岸側に周囲とミスマッチなほど随分と立派な構造物というか木造建築物が見えてきてよくよく調べると、そこが村内のおそらく主要観光施設であろう温泉館のものでした。
 
 見るからに景観の良さそうな露天風呂を構え、付帯施設には農産物などを販売する直売所、食堂などもあるようでした。通常ならここに寄らなければ西米良に来て何したの、ということにもなりかねないのですが、心配だったのは知人に教えてもらったもう一つの観光施設に行くにも国道から分岐して山道を往復する必要があること、村内のそこかしこの道路が災害復旧工事のため通行止めの時間規制があり、ゆっくりしているといつ村を脱出できるか不透明なことが心配でまだ午前10時前にも関わらず、温泉利用を諦めることにしました。
 しかも、午前中に関わらず気温は30℃に達していて、露天で長湯を楽しむような気候ではないことも、見切りをつける材料だったことは間違いありませんでした。
 
国道を程なく進むと今度はこれまで見たことにないような形状をしたトラス橋梁が見えてきました。
橋の袂に駐車場とお土産売り場のような施設があり、そこに駐車して橋のところまでいくと説明書が掲示してあり、名称は「かりこ坊主大橋」という、他所者にとっては由来のイメージが浮かばないものの、どこか愉快な印象が残る名前で、確かに見ようによってはいがぐり頭の男の子を連想するような形状でもありました。
 
 最初は鉄筋を木目風に塗装したものかと思っていたら、杉の木を橋梁材に実際使用しているという説明で、これには正直意表をつかれました。木材でここまでの建築物、しかも大型ダンプも通るような通常規格の道路橋として専用されていることに驚愕するしかありません。
 竣工して20年以上経過して、さほど劣化をしていないように見受けられるし、この橋を立案、設計、建設した関係者はさぞ誇らしいのではないかと思え、きっと100年後には立派な産業遺産になるのではないかと感じます。
 
(かりこ坊主大橋)
 
この橋を名所に観光小屋があり、土産やお弁当などが販売されているようですが、まだ昼食時間でないこともあり、たべ物の供給がまだのようで、食堂も開店しておらず、仕方なくという表現しか思い浮かばないけれど、レジ横にあった無骨な感じの山菜いなり寿司のパックが置かれていたものを購入。3個で300円だからコスパも良いし、このままお昼も山村で調達できなければ飢餓ロードになってしまうとの判断だったけれども、これが思った以上に美味で、むしろ西米良に入って以降で1番のインパクトを生んでくれました。
 ご飯も山菜もおいなりの生地もしっかりしていて、椎茸も抜群に美味かった。
素朴だけど美味しいものに出会える経験があるから、鄙びた田舎に足が向いてしまうのですよね。
田舎の直売所に行って、実は市街地の弁当工場で製造されたものがただ入荷してあるだけというものが結構見受けられ、そのような直売所はトイレ利用などを除き、そこを再び利用しようなどという気が失せてしまいます。
 しっかり地元に根を下ろした直販体制を敷いてくれてこそ価値が生まれることを理解してほしいところです。ただ野菜やお漬物、お饅頭を売っていれば大丈夫という話ではありませんから。
(西米良を貫く一ツ瀬川)
 
 
 西米良村をネットで調べると全人口は1000人未満で、都市部の小学校の学生にも満たない数値で、おそらく役場の職員さんなどは全村民のことを熟知してるのではないかと思える規模感です。
 平家の落武者伝説もあるほどの秘境で長らく大名菊池氏が統治していたとの案内なので、地域としては熊本側、球磨との繋がりが強かったのかもしれませんが、今やどこの行政区に入っていようとおそらく住んでいる人々の営みは大きな変化はなかったのではないでしょうか。近代に入り生活の利便性が向上したくらいでしょうか。
 
 大橋を出発して、すぐに国道からの分岐箇所に到達すると、通行規制箇所の案内板と誘導員が立っており、チラシを見せながら、規制時間を丁寧に教えてくれた。
 何せ一見さんで、昼過ぎには西米良を出たいと考えていたので、効率よく回る必要がありました。
 ここから分岐した県道を小川という集落に向けて昇っていくと少し開けたところに、作小屋という施設が現れてきて、そこで散策や食事もできるようになっており、ここが知人が紹介したところなのだと、ようやく行くべきところに着いたのだとゴールしたような気持ちになりました。(次回に続く)