具体的には、
横糸はメロディー
縦糸は一瞬のハーモニー
今度の27日のライブで、1曲、マリンバとピアノのduo曲がある。
Meu nome e...(私の名前は・・・)
私は、通常、ピアノで作曲をしていくが、弾き始めたメロディーがとんでもないところへ飛んでいって、シャープが5つもつく曲になってしまうことがある。
歌ものの場合は、自分の声にあったキーに移調することもあるけれど、インストもの、要するに、楽器のみでの演奏曲の場合は、そのままのキーで落ち着くことも多い。
このduo曲。曲の収まりからいって、そのシャープが5つもつくキーの様なのだが、1から2小節単位で転調をしていく。コードを見ていても、一体その瞬間で、実際どの音をチョイスしてハーモナイズ、ボイシングすれば、ベストなのかがイマイチ作者の私でもわからない。
もはや、コードネームは、ルート(根音)だけを示している様な気さえする。
まあ、とりあえず、コードネーム通りの音を弾いていれば、とりあえず、頭の中でなっている音はするので、それでなんとなく満足していた。
ところが、マリンバと共演するにあたって、音楽的に、音楽理論的に、情景描写のことを説明しなければならなくなった。
なぜなら、その曲は、トーナリティ(キー)が変化し続ける曲だったからである。
演奏された曲を聴くと、そんな面倒な曲には聞こえない。しかし、自分でも手に余ると感じていた曲を、共演する相手に理解してもらうためには、それ位しないといけないものだった。
彼女は、マリンバの響きを最大限引き出すマリンバアレンジを完璧にしてきた。
それを聴きながら、私はピアノの響きに向き合わざるを得なくなった。
そして、その曲の美しさを引き出さねばならなくなった。そして、すべての音を音符化し譜面にした。これで、誰もがその曲を演奏することができる。
反物が着物になろうとしているのだろうか?
自分の曲でありながら、曲は一人歩きをしている。
もっともっと上手いピアニストが弾く時、着物を身につけた女性が歩いているのを見ると言う心境になるのだろうか。


