流血ピアニストは歌う!! -37ページ目

流血ピアニストは歌う!!

オールアバウトミュージックな暴露話



no music no life

朝の9時から(とはいえ、実際音だし10時)から16時まで(実際音だし終了15:30)リハでした。

それだけやったほどの疲れはなかったけど。数えて見ると、結構長かったなあ。セッティングも結構時間掛かったしね。ライブ本番くらいのセッティング時間でした。

しかし、ライブすると、あっという間に終わっちゃうんだよなあ。。。


さびしいもんだ。


しかし、まだまだ、チェック事項があるので、気を許せないですが。


全員で出来たのは、今日のうちの4時間程度なので、すべての曲に気合がはいりました。

このバンドいいですわ、とても。

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(まじめな顔してますが、、個性的です。。。)

とても個性的なミュージシャン達で、しかも、その個性が殺しあわずに、かみ合っているというか、音を出せば出すほど、どんどんなじんでいってます。

そして、どんどん実験していってます。

楽曲構成自身が、かなり複雑なのですが、それは、私の頭の中で、なっている音を形にしようとするとそうなるわけです。ですが、それを演奏するミュージシャンが、咀嚼して、一つの形にしていこうとしなければ、机上の空想となってしまうわけで。

このバンドのメンバー。ひょろひょろしているようですが、かっこいい音出してきます。。
とってもこだわっているようで、でも、相手を受け入れていく。

ああ、これって、私の理想の形の空気。。。

ってか、今の私の理想の形なのでしょうけれど、、

しかも、男女比もばっちりじゃあないですか!


ま、ともかく、ぜひ、我こそは、大人だと思う方、27日の夜は、大人な、でも、ぐぐっと熱い音楽を一緒に楽しみませんか?

JAZZだけでもなく、
LATINだけでもなく、
Japanese popsのような
Rockのような
クラッシックみたいな

ようは、人生色々経験してきたのと同じように、私たちの経験してきた音楽をぜーんぶ詰め込んじゃったような世界です。

人生いっぱい経験した人ほど、楽しめるんじゃないかって思うほど。
酸いも甘いも経験したけど、でも、
まだ心ン中に、
体ン中に、
熱いものがある!っていうあなた。

類は友を呼びます!

ぜひぜひ、まじで!



Hiroyo Watanabe Trio
~ジャズとワールドミュージックの融合~

Hiroyo Watanabe(Vo&pf)
飼沼 丞二(b)
佐竹 尚史(d)
真崎 佳代子(marimba)

6/27 (sat) 18 :00 open 19:00 start ※入替無し 2ステージ
¥2800 (+order)
Casa Classica
03-3505-8577
東京都港区赤坂3丁目19-9
ご予約、お問い合わせは、こちらまで
http://casa-classica.jp/

そんな忙しいわけではないので、やっておかなきゃいけないことやっていたら、結構、時間とられちゃって、ブログかけてません!

明日は、バンドの全体リハです。しかも、9時からスタジオ入り。朝は、歌えないのよねえ。とほほ。でも、アンサンブルチェックということで!

ということで、明日またゆっくりかきま~す。

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一部では、メンタルブロックとも言われていると思いますが。。

歌を歌うのは、もちろん、肉体的なトレーニングはかかせませんが、最終的に、すべては、脳からの指令によってコントロールされているわけです。


脳 = メンタル

といっていいと思います。


先日のレッスン中、ある決定的なことに気づいたのです。

彼女は
「出だしの低めのところで、ぷるぷる声が震えているような気がして、うまく歌えない。」

私は、聞いていて、まったく問題ないと思っていたので、その疑問に立ち止まりました。

どういうことだろう?
実際、声は震えていない。
音程も安定しているし、声も綺麗。
でも、彼女は、上手く歌えていないと実感している。

彼女は、どちらかというと、高い音の方が得意で、上手く歌えるというタイプ。

そういうタイプの人は、低いAやGになると、声が出にくい、かすれた声になることは往々にしてある。
かすれていないにしても、彼女は歌いにくいのだろう、でも、一聴、彼女は歌えている。。。
なぜそう感じるのだろう。。。。

そういえば、別の生徒で、負荷が掛かっていないと歌っている気がしないといっていた人がいる。でも、そのために、高い声がたくさん出てくるような曲を歌っていると、喉が痛くなってしまうということがあった。

本来高い声で歌い続けて、喉が痛くなるのは、あまりよろしくない。しかし、疲れるということが、一種のストレス解消で、歌うということはそういうことだと感じている人は少なくない。

特に、一聴、うまく歌えている人に多く見られる。

私は、高い声がでなくて、でなくて、悩んだタイプなので、そういった気持ちになったことはないのだけれど。。

で、そんな過去のデータを元に、こんな推測、結論が出た。


低い声で歌うの時も高い声で歌う時も体は、同じ状態ではないのだということを知らなければならない。

そして、それに慣れなければならないということだ。

高い声は、それが得意な人でも、声帯などに負荷がかかる。

低い声は、声帯のゆるめて、負荷少ない形でなければ、安定した声がでない。

要は、声帯は(肉体は)真逆の状態なのに、脳は、同じ状態(負荷の掛かった状態)をキープせよと、低い声の時も指令をだしているのではないか?

脳が誤解をしているのである。

脳の誤解を解くには、慣れである。
この音域で声を出すには、体はこんな感じないと、上手くいかないだよと体が脳に教えて、脳がそれに慣れていかなければならないのだ。

負荷をかけることが、声をだすことのすべてではないのだから。


そして、今日、また、違う、でも、やはり高い声が得意な女の子のレッスンだった。

高い声は、ちょっとヒントを与えるだけで、安定して歌える。
が、
低い声は、ちょっとでも気が緩むと、音程を外すというように、コントロールが効かなくなる。

そこで、こんな実験をしてみた。

高い声は、背伸びをして、ぐっと姿勢をよくしている自分。
低い声は、ちょっとかがんで、ぐっとこらえている自分。

そう思って、歌ってみて。。。

ところが、出だしの低めのところは、思ったより、低く歌いだしてしまった。

譜面をよくみると、ま、さほど低い音程でもないことに気づき。。


あ、そこまで、かがんじゃうイメージじゃなくて、中腰くらいかな~。

歌ってもらうと、もう、ばっちり!


ううむ。。。

イメージなのよ。。。
イメージ。。。


脳を動かすのは、指令ではなくて、脳にわかりやすいイメージを与えることなのかしら??


あまりに、効果的な実験結果に、また、深みにはまりそうな私。。。







先日のレッスン中、生徒さんとお話をしていて気づいたことがあります。



日本語は、視覚が優先される。

vs

英語は、聴覚が優先される。



どういうことかと言いいますと。

まず、日本語。
漢字を知らないと、音声だけではわからないことが多いと思うのです。要は、漢字を全く頭に描かず、会話は出来ないと言うことです。

ひらがなだけで、書かれた文を見ても意味がわからないことがあります。

あめがふってきた。

まあ、通常、雨が降ってきたのでしょうと想像しますが。

発音してみると、
雨と飴は、音の高さが違うため、どちらか区別ができます。

が、音楽になると、メロディーがあり、音の高低をコントロールしているため、会話における音の高低を優先出来ないことがあります。

そのための

飴が降ってきた

と聞こえてしまうことがあります。いつも歌詞カードを見ながら、歌を聞いていられればいいですが、そうもいかないわけで。

漢字が、日本語には本当に重要な存在です。

一方、英語。

例えば、
Sheとsea はまったく違う音です。

日本語では、どちらも
シー

ですが、英語では

shは、汽車がシュッポシュッポのシュの口をして、シーと発音します。
See は、口を横に引っ張り、下アゴを少し前にずらしつつ、シーと発音します。

発音が違うと、通じない。と言うか、彼らは、理解出来ないと言う方が正しいですね。

もちろん、センテンスには、イントーネイションってものがあるので、音の高低はあるのですが、口の形が正しく動いていれば、メロディーの支配を受けずに意味を伝えることができます。

英語特有のサウンドを作れればよいのです。

歌の話をしているのではなく、英語を学ぼうとしている人が、一番、始めにトレーニングして欲しいことは、発音です。

単語の発音
組み合わせで生まれる、もう一つの発音
です。


英語特有のサウンドは、縦、横、奥行きを意識しなければなりません。

一見難しそうですが、当用漢字を全て覚えるよりは、はるかに簡単です。

文法より、発音だと思うこの頃です。
土曜日は、いつも弾き語りの仕事に行くので、6時に夕ご飯となる。母が家にいるときは、ありがたいことに手料理を食べられる。

味の好みはあるけれど、母の作るメニューに不満を持ったことがない。というか、栄養バランスのよい食事が好きなだけ食べられるだけで、もう感謝だし。

一人暮らしの時は、私も毎日朝と晩はご飯を作ったけど、ほんとうに簡単料理ばかり。

たくさんの野菜とたんぱく質をとるという栄養補給にのみ重点を置いていた。要は、最低限の生命保持のため。時間ないものねえ。

先日、家での仕事をなんとか終えて、さて、そろそろご飯の時間かなあと、キッチンにいくと、餃子を焼くところだった。

「今、お母さん作ったの?」
「そうよ。」

と、フライパンに油をいれつつ、なんでもない顔をして答えた。

さっきまで、新聞を読んだり、ストレッチをしたり、のーんびりしていた母なのに、ちゃかちゃかっと作っていたらしい。


子どものころ、よく餃子作りを手伝わされた。餃子の皮に、具をつめる作業だ。山のように出来上がっていく餃子に、大ご馳走というイメージを持っていた。


今、餃子というと、ラーメン屋で食べる餃子。
まあ、まれに、餃子屋さんで。
家で食べるのは、レトルトの餃子。


餃子の焼き方にこだわっているという話はよく聞くが、だいたいは、レトルトの餃子でもうまく焼ける方法なんて話だ。


ちゃちゃっと、餃子を作ってしまう母に、今回は、いたく感動した。

「すごいねえ。この短時間で、餃子作ったの?」
「あら、簡単よ。この前の餃子も私が作ったのよ」
(いつ食べた餃子か、私は、覚えていない。。。)

「だけど、お母さんって、ほんといい母だし、いい妻だったよねえ。」
「昔は当たり前のことだったわよ。料理を作るなんて。もっと、色々なものを手作りしている人たくさんいるわよ。」


ううむ。たしかにねえ。

でも、季節ごとに出回るフルーツでジャムを作ったり、小豆を煮たり、母は、実にこまめだ。


私の祖母は、とてもお嬢さん育ちで、お三味線、お琴、太鼓と習い事はたくさんしていたが、家事の方はイマイチだった。6年間一緒に暮らしたが、長年主婦をやっていた人としては、あまり家事好きではないんだろうなあとわかった。

反面教師なのか、母は、家庭的だ。。

その反対で、私は、あまり家庭的ではない。。。
きらいではないが、優先順位として、料理や針仕事などは、とても低い。。


食生活は大事だといっても、こんなにこまめにできるようになるとは、私自身は思えない。。残念な気もするけど。


そして、夕べの餃子は、とても美味しかった。。はち切れるほど食べた。

家庭の味だ。
母の愛の味だ。

じっくりかみしめておこう。