右脳を選ぶか 左脳を選ぶか  | 流血ピアニストは歌う!!

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オールアバウトミュージックな暴露話



no music no life

Facebookの友人がリンクを貼っていたので、観たTEDの中の話です。20分弱ありますが、みるべき価値のあるものです。ぜひご覧ください。(下の文字をクリック)

スタートボタンのあたりをクリックすると日本語字幕も表示されます。

TED ジル ボルト タイラー博士の話


これは、もうすでに見た方もたくさんいらっしゃるとは思いますが、ほんとうに感動的な話です。

しかし、なぜ、右脳と左脳が完全にセパレートしているのでしょうか?きっと何かの意味があってでしょう。神のみぞ知るということでしょうか?

彼女は、右脳を選ぶことができるといっています。普通の生活をしている人は、もしかすると、そんなこと。。。と思ってしまうかもしれません。

しかし、音楽というものは、右脳を使わなければ、できないものであるので、音楽をしている人は、右脳を選ぶということについて、少しは理解できるのはないかと思うのです。

音楽をしていることは、まさに、彼女のいうところの、今、この瞬間のみが存在していることを強く知らされるからなのです。一瞬足りとも過去には戻れず、未来もまったく予想できないものなのです。

未来が予想できなければ、曲を終わらせることなどできないではないかというでしょう。そのとき、ほんの少しだけ機能している左脳が、きっと、終わりのタイミングを告げるので、みんないっしょに終わることができるのだと思うのです。

私のことを言うなら、私のユニットでは、誰がメンバーであっても、ほとんどの場合、私が、曲の終わりを終わりを告げ、メンバーを曲の終わりへと誘導します。

しかしながら、それが、うまく出来ないという時があります。それは、私の左脳がうまく機能しなくなり、今、今、今、ああ、なんて幸せなんだろう、心地よいのだろうという感覚にとらわれてしまっているときなのだと思いました。(彼女のおかげでわかったのですけど)

しかし、まあ、そんな演奏を録音して、後から聞くと、かなり意味もなく長く続いていたりして、その幸せ感が音になってないなあなどと思うのが、関の山ですが。

しかし、音楽に心底集中している時は、うまい下手ということよりも、目に見えない、彼女のいうところのエネルギーだけを感じる自分がいて、もっともっとその中にいたいと思うわけです。

エネルギーというと、ちょっとパワフルなイメージですが、時には、もっとひんやりとしたものだったりするのです。

時として、そこにはない温度を感じ、時として、そこにはない風景を見てるのです。しかし、体は運動して、大地からのリズムを感じ、刻み続けているような感覚なのです。(まあ、実際、演奏しているのですから、運動をしているわけですが)

ジルさんが、ここまで美しい言葉で、私たちに右脳と左脳の話をしてくれているのは、まさに、彼女の左脳のなせる業です。右脳は、ただ感じ、ただ行うだけのもののような気がします。順序だてるのではなく、そこに広がる大きな何かをすべて抱擁するようなものなのです。

このビデオを見て、私は、何より私は、大きな勇気をもらったように思います。もう遅いのではないかと思って、ここにとどまっているのは、左脳のささやきです。しかし、右脳の私から見れば、それは、ナンセンスなことなのです。

なぜなら、今というのは、静止し続ける瞬間なのでなく、次から次へと移り変わっていくことなのですから、とどまるということは、まさに、右脳に存在しない考えだからです。

左脳がなければ、文章を書くことはできないでしょう。
でも、もし、どちらかを選ぶとすれば?

。。。。

です。
私は、どんなになっても、音楽が大好きですから。