今、訳あって、

息子と新幹線に乗っているのですが、

息子は車内でやると持ち込んだ単語帳はなかなか進まずで、


何やっているかというと、

車窓の外を見てるんですよね。


手元のスマホのGoogleマップを見ながら、

「そろそろ空港が見えてくるはず」

とか、

「テキストで見た棚田って初めて本物見た」

とか言ってるんですね。


昔から、息子は鉄ちゃんで、

電車や地理が好きなんですよね。

勉強とは関係なく。



私が同じくらいのときは、新幹線に乗っても、

一切景色とか興味なく単語帳に向き合ってるような子だったと思います。


結果、単語帳を覚え続けた私の英語は、

後に東大模試で偏差値70を超えるくらいに伸びたわけです。


そして、そこから30年。

私は、相変わらず、

景色とか、地理とか全く興味がない。

あれもこれも興味なし。


30年の間に何を積み上げたかと言われれば、

まあ人並みに社会人経験は積んだものの、


人間的な厚みが増したかと言えば、

そうは思えないような

40代を過ごしております。


まあ、自虐的に言えば、

私は、勉強に逃げたわけです。


勉強すれば、幸か不幸か、

褒められこそすれど、

誰も文句をいいませんでした。

20歳くらいまでは無双できます。


そして、そこで、

私は学ぶことをやめています。


最終学歴よりも、最終学習歴を。

という言葉が耳に痛い今日この頃です。


私は、お子さんたちに勉強を教える活動を、

本業とは別にしています。


これは、

自分が教えるのが、まあ好きであることと、

どうやら割と得意であるらしい、ということと、

それを求めてくれる方がそれなりにいらっしゃる、ということでやっているのですが、


あとは、何より

「社会貢献」の意味合いが強いのです。


勉強しかしてこなかった自分が、

社会の役に立つのは「勉強」しかない。


というと、

めちゃくちゃ卑下しているように見えるかもしれませんが、

必ずしもそうでもない。


野球選手が「俺は野球でしか社会に貢献できないから」っていうと、

なんか格好よく聞こえませんか?


それと同じだと思っているので、

別に卑下もしてません。

あくまで一つの事実として、受け止めています。


そして、なんであれ、

人から求められるというのは、

素晴らしいことです。


今年も春になり、

新しくご縁があったご家庭もあります。


未来の可能性を秘めたお子さんを、

そしてご家庭を応援できるオッサンでありたいと

思います。


となりで、

車窓の景色を、

Googleマップ片手に眺めてる息子は、

一向に単語を覚える作業は進んでないように見えますが、


君は一体、

何で社会に貢献する人間になっていくのかね。

まあ応援しているよ。