■2月3日朝 浅野

最後の朝が始まりました。

息子は「ああ、1日午前Y62校の合格がわかっていればなぁ。もう浅野はパスできるのに」などと言っています。


それだよそれ。

もうここまできちゃったから

もはやどうこう言わないけど、

君のその性格だよ。

何かに「挑戦したい」という欲の薄さ。


だから、

悪いけど、やっぱり1日午前Y62校の合格は、まだ言えない。(本人には、「3日午前、浅野試験中に結果が出る」と言ってあります)


そして、

やる気が起きない理由に「どうせ無理でしょ」と思っている部分も大きそう。


まあ受験の朝に言うことでもないのですが、

「いやいや、可能性は5割以上はある。なぜなら、浅野の50%ラインはY60-61。今の君は、推定Y62くらいある。つまり、五分以上の可能性はある」

という話をして、

ようやく「まあ、じゃあやるか」という感じ。


まあ、結果論ですが、その姿勢では、

「格上」相手には勝てませんね。


さておき、どうにか、

恒例の、学校最寄りの駅で仮眠を取って、

最後の出陣。


まあ、その時は人数多いなー、

くらいの感想でしたが、


1日トップ校のリベンジ組、2日聖光栄光組が、

モリモリいらっしゃったことでしょう。 


無事送り届けて、

妻はホテルに戻って試験終了を待ちます。私は、先に自宅へ。



■2月3日 13時頃

とにもかくにも、すべての試験終了。

息子にようやく告知のときがきました。

試験終わったばかりの息子にTEL。


「おつかれ。1日午前Y62校、、、、合格です、おめでとう。これにより、二次試験は回避。よって、今の、浅野終了を以て、中学入試終了となります。おつかれ」


本人は、「ほーん」と一言だけ。


まあ、なんだろう、

その一言に感じられた感情を一言で言うと、

「安堵」ですかね、やはり。


■2月3日夜

家の近くの人気ラーメン屋で、

取り急ぎお疲れ会。


本人曰く「浅野は手応えがなくはない。でも、もし、仮に両方受かっても、1日午前Y62校を選ぶかも」と。


なんで?浅野にギリギリで受かっても苦労しそうだから?


「いや。なんか雰囲気が、1日Y62校の方がよかった」


へー、君もそんなこと感じることあるんだ。



■2月4日 朝

もう何年ぶりだろうか。

久々に、気楽な朝。


昨日あいつはちゃんと勉強したのか振り返らなくていい。

今日の勉強カリキュラムを考えなくていい。

今日ちゃんとテスト受けに行くか気を揉まなくていい。


浅野の最後の結果は、

最後にして初めて、

3人で、見ました。

サクッと。


たまたま1枚だけ見つけた宝くじの当選確認をするかのごとく、アッサリと。


、、、

残念ながら不合格となりました。


ですよねー。


そんなこんなで、最後まで、

ガッツポーズも歓声も涙もなく、

我が家の中学入試は、全日程を終えました。


1日午前のY 62校で確定です。



■まとめ

【偏差値推移】

6年生の合不合全6回

・最高偏差値・・65(9月)

・最低偏差値・・54(11月)

・平均偏差値・・62



【受験結果】

1月9日 佐久長聖(Y49)○  ※A特待

1月10日 栄東(Y58)○  ※試験時間勘違いして「東大コース」逃す。


2月1日午前 進学予定校(Y62)○

2月1日午後 都市大等々力(Y51)○  ※「S特選」(Y57)逃す。理科で寝てたこと判明。←NEW


2月2日午前 神大附属(Y54)○

2月3日午前 浅野(Y64) ×



偏差値通りの結果でしたね。 



【被害状況】

・父が家の壁を殴ってあけた穴・・・2箇所

・Switchをぶん投げて壊した回数・・・3回(うち2回は妻)

・ここではとても書けない暴言の数々・・・countless


こうした犠牲の上に、

今回の入試をどうにかこうにか終えられました。



【父の称号】

家庭学習で、

偏差値70(首都模試表記)の中学校の

問題を的中させて ←NEW!

合格させた父


浅野だったら偏差値74(首都模試表記)と

言えたんですけども。



【今後】

次回からは、

・この一年をもう少し長いスパンで振り返り(渦中にいるときは書く余裕がなかった)

・幼少期からの家庭学習(本人がやる気ならY67くらいの学校までは対応可能だと思います。Y70超は、、知りません)


などを書いてみようかなと思っています。


まずは、ここまでお付き合いいただき、

ありがとうございました。