いまではニューヨークの地下鉄も安全になったようですが、当時は
「22時以降には地下鉄には乗るな…」
というのが暗黙のルールでした。
ある朝、ラッシュアワー時に地下鉄の電車がホームに入ってきて、
「やけにガラガラに空いているな…」
と思ったら、
ホームレスらしき人が座席に寝ていて異臭がするからその車両だけは誰も乗らない。
こんな事件もありました。
日本人の知人が22時過ぎに酒に酔って、地下鉄に乗車。
「カネを出せ」と脅されて、
酔った勢いで抵抗したところ、
拳銃で頭を殴られ負傷。
「そりゃ、撃たれなくて不幸中の幸いだったね」
と言われたものでした。
そういうときに備え、
ポケットに20ドル札をいつも入れておいて、そういう場面に遭遇したら、
黙って差し出す。
車を運転していて赤信号停車中に
フロントガラス(英語ではwindshield)を拭いてくれる親切な(^^)人がどこからか現れます。
そういうときは、黙って1ドル札をチップとして渡す、そのためにいつでも出せるように用意しておく。
幸い私はアメリカ滞在中にそういう場面には遭遇しませんでした。
研修期間の半年間は、
為替のディーリングルームで勤務しました。
日本人と現地人スタッフの比率は1:10くらいでした。
日本語で話せるのはアフター5で日本人同士で飲みに行くときくらいでした。
研修生活の始めのひと月間は、毎朝英会話の時間が2時間くらい用意されていました。
先生は30代の政府系機関勤務のバリバリのキャリアレディでした。
O'Connellという名前でアイルランド系の方でした。
英語もビジネス感覚も国際感覚も超一流の方でした。
毎朝の宿題は当日のニューヨーク・タイムズの朝刊の記事から自分が一番関心のある記事の概要と感想を英語で発表することでした。
続く