私がニューヨークで研修生活を始めた直後に、「ベルリンの壁崩壊」が起きました。

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その翌朝の英会話の時間。
新聞の感想はこのニュースを取り上げました。

自分なりの感想を発表しましたが、英会話の先生O'Connellさんの考えは私の想像を遥かに超えるものでした。

「冷戦の終結」と日本の「バブル崩壊」の始まりは大いに関係があると感じたものでした。

日本の株価がピークを打ったのは、それから一月半あまりたった1989年12月の大納会のことでした。
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厳寒のニューヨーク生活に備えるためにオーバーコートを買い求めにブルックス・ブラザーズに行ったのもこの頃のことでした。

アパートでは基本、自炊生活をしていました。

近くのスーパーで買い物をしていました。

ステーキ用の肉を買ってきてフライパンで焼いていました。

ブロッコリー、チーズ、ライスの冷凍食品を愛用していました。

ランチはデリバリーランチ。

ディーリングルームの机でランチを食べることが多かったです。

たまにはみんなでピザを注文し分け合って食べていました。

ディーリングルームの印象は、かなり薄暗いものでした。
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日本では蛍光灯の白い明るい照明があたりまえですが、ディーリングルームはオレンジ系の暖色照明でした。

理由は現地の人たちは瞳が青いので、明るい照明を避けているということらしいです。

サングラスを着用するのも同じ理由。
サングラスで眼を守る。

アパートの照明も白熱灯のスタンドでした。
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「郷に入れば郷に従え」でした(^^)

自分の眼の色が黒ではなく茶色と知ったのは1年後、米国での運転免許証を取得したときのことでした。

免許証には身長HGTの他に眼の色EYESが記載されます。
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申請書に眼の色を"black"と書いて提出したら、受付のひとから

あなたの眼の色は"brown"と指摘されました。

続く