物語が終わる時少なからず切り離されるせつなさを感じる。

もうその世界にいる事を許されないと理解させられる。

1つ作品として見た時、簡潔に物語を終えるべきだと思う。

でも物語を終えた後の平凡な日々を見てみたいとも思う。

そんな気持ちを抱きつつまた次の物語に身を委ねる。

こんな事を何度繰り返しただろう。

僕は普段自分が変わっている事を隠している。

まあ変わっているって言ってもそんなに変わっていない。

自意識過剰なだけで結構普通だと思うが、それでも一般常識と乖離した考えを持つ部分は人にあまり語らないようにしている。

でもたまに言われる事がある。

「あなた変わっているね」と。

それを口にする人にどういう意図があるのかはわからない。

興味を示しているのかもしれないし、見下しているのかもしれない。

僕は変わっていると言われるのが嫌いじゃない。

変わっていると認識されるという事は、一般の評価基準から離れる事が出来ると言う事ではないだろうか?

たとえば僕は社交能力が乏しい。

それは僕の欠点なのだが、変わっているとされた時から、人と接するのが苦手ではなく、人と接することを好まない、になる。

本当は仲良くしたいのにその能力がないという事実を敢えてそれが煩わしいから避けている、という設定で包み隠す。

これによって自尊心は守られるのだ。

精神病なんてものは相手にこう思われてないだろうか?という不安の無限ループだ。

そんな僕にとってはこの一般的評価からの脱出はとても心地いい。

この人はこの能力が乏しい、しかしそれは彼が必死にもがいて手にしたい能力ではなく彼が切り捨てた能力なのだ。そう解釈してもらえると自然と心地よくなる。

でも僕にはそれを手にしたいスケベ根性が間違いなくある。

僕は小心者なのだ。

いつもそれを隠そうと必死なのだが、ここまで打ち明けられた相手とは心地よく話ができる。

そう言えば以前どこかの記事でビート武さんの口にした物を読んだ。

立川談志さんはとても小心者。ああいう人が開き直ると切れちゃったする。

開き直れれば面白いのだけど、なかなかそうもいかない。

少なくともここではそういう自分でありたい。

僕は生きていたいだけ。

それは生命活動を維持するという事じゃなくて、思考を巡らせ自我を持ち続けるという事。

死にたいって思う時はある。

でもそれはいつも自我を否定された時。

それを振り払った方が人生軽快だって思った時。

これって僕以外の人にも言えるのではないだろうか?

生きたいけど自分自身を生きられない。

それに苦しんでいる人は多いと思う。

それを自覚できれば対処のしようもあるだろう。

でも気付けなければ人生そのものを否定してしまう。

自分自身を否定してしまう。

自分自身を表現する方法、自分自身を喜ぶ方法。

これを見つければ自殺する必要は減るかもしれない。

別にそれが悪いことだと僕は思わない。

僕も常に持っていたい1つの選択種だから。

でもやり残したことがあるのなら、自分自身を生きる方法を模索するべきだと思う。

今小説を書いています。

長編の小説です。

 

書く事で、頭が整理されて、自分でも気づいていなかった自分や、解けなかった疑問が解けて、とても充実した日々を過ごしています。

その小説の中から少し紹介します。

 

 

恋なんてものは自己顕示欲の満たし合いかもしれない。言い方は悪いかもだけど私はそれを否定しない。それってすごく重要なこと。

軽快に生きていくために演出する自分じゃなく、自分自身のままで、誰かと触れ合い、それを認められる。素敵じゃない?私はこれって生きるという事そのものだと思う。

私のような大衆的でない人間に程必要なの。

 

 

これは僕自身の疑問に対する僕自身の答えです。

僕は人を好きになったことがあると思う。

その辺のカップルになんて負けないぞ!っていうくらい好きになったことがあると思う。

けれどその感情の根幹にあるのってなんか誇れる感情じゃないでわないのだろうか?ってずっと疑問でした。

 

僕が相手を好きになるのは自己顕示欲を満たしてくれるから。これが根幹にあるんじゃないかなって。とてもそれが嫌でした。

でもそれって素晴らしい事なのかもしれない。

たぶんみんな社会の中で、自分自身じゃな自分を生きている。

それを自覚している人もいれば、していない人もいる。

そんな作られた自分ではなく、子供のような自分でいられる場所。そうあっても誰にも文句を言われない場所。そうあっても大好きと称賛してもらえる場所。

そんな場所って僕には恋人の前しかきっとない。

世の中には常識という物があって。みんなそれを理解している。

社会に出るという事は多少なりとも事常識を理解し、そう振る舞わなくてはいけない。

つまり社会にすり寄っていく必要がある。

恋人との関係にそんな常識はいらない。

2人でルールを作っていくんだ。

誰かが作ったルールを破って。

そんな風に考えたら、僕の「好き」がどれほどエゴなものだとしても、それを否定する気持ちにはなれなくなりました。

 

悪いものではないって納得できたところで早速。

恋がしたい。笑

 

 

ちなみに小説は現在20×20の原稿用紙で80枚程度の段階で、中盤です。

200枚くらいになるのではないかなって思います。

せっかく書いたのだから誰かに読んでほしい。

でもどうすればいいのだろう?

ブログに乗せるには大量すぎるしw

ふと思い出したので書きます。

昔付き合っていた彼女との話です。

読みずらい文章だと思いますが、よかったら最後までお付き合いお願いします。

 

 

当時付きあっていた彼女がインフルエンザにかかってしまい、学校を何日か休み療養してた。

実家に住んで彼女の両親とも仲良くさせてもらっている僕は、ケーキを片手に見舞いに行くことにした。

彼女は会えるのはうれしいが、病気が移ると嫌がったので、

「マスクをしながら横にいれば大丈夫だよ」と彼女を説得し、彼女もそれを了承した。

インフルエンザは辛いけど、僕自身もかかったことがあり、死なない事は知っていた。

今考えると、彼女をいたわる気持ちより彼女に会いに行くといういい口述ができたぐらいの感覚だったのかもしれない。

勿論心配していた。けれど彼女に会えるとわかると、心配という気持ちより楽しみの方が先行していたと思う。

それほど彼女が好きだった。

彼女の最寄りの駅前でケーキを買い、彼女の家に着くと、彼女のママがにっこり顔をだした。

ケーキを手渡し彼女の部屋に入ると

「ありがとう」

彼女は微笑んだ

「移ってもしらないよ?」

「ちゃんと途中でマスク買ってきたから大丈夫だもん。辛い?」

「ずっと寝てたから大丈夫。でもみんなに移っちゃうからしばらく学校行ったらいけないの。」

そんな挨拶をすませると僕らは手を握り合い、他愛もない話しをはじめた。

彼女に無理させまいと、僕が積極的に話し続けていたと思う。

「ねえ、キスしたくなっちゃった。」

「ダメだよ。移るから。」

「でももうここにいる時点で手遅れかも。」

「移したと思うの嫌。それに移ったら、私が治っても遊びに行けなくなっちゃうよ?」

「そうだね。」

そう言いながらも僕はマスクをしたままキスをした。

「マスク越しだから大丈夫だよ」

「もー」

彼女は呆れたような声を出しながらも、笑っていた。

もう一度キスをした。

もう一度キス

もう一度、もう一度。

止まらなかった。

「だから来ちゃだめって言ったんだよ。ひろくん絶対こうなると思った。」

言葉では僕を否定しながらも、彼女の顔はにこやかで、部屋に入った時より心なしか顔色も良くなっている気がする。

「マスク越しじゃ足りないや。」

2人で大きな声を出して笑った。

「フレンチなら大丈夫かな?」

彼女が言った。

黙ってマスクをとり、唇を重ねた。

彼女も歯止めが利かなくなっていた。

何度も何度も唇を重ね合わせた。

でもいつもとは違うキス。唇を重ねるだけのキス。

彼女の唇は固く閉じられていた。

僕は我慢できなくなって、彼女の唇を舌でなぞった。

彼女が唇を閉じたままの声にならない声で、ダメっといい、僕を腕で押しのけようとした。

「もうどうでもいいや。」

僕がそう言うと、彼女の腕から力が抜け、唇がゆっくり開いた。

彼女の口の中はとても温かかった。

何もかも忘れて求めあった。

舌が絡み合い唾液が僕の口に入ってきた。

それを拒む理由がもう僕にはなかった。

長い長いキスが終わる。

「あーあ」

彼女が笑っていた。

 

 

 

この後彼女は元気になって、この日の事が特別にならないくらい楽しい日々を過ごしました。

ちなみに僕に病気が移る事はありませんでした。

絶対移ったと、覚悟はできていたのにw

愛の力ってあるのかもしれない。照