不逞朝鮮人の犯罪の第一歩は、ハルビンで朝鮮独立運動家の安重根によって初代内閣総理大臣伊藤博文の殺害から始まる
昭和7年には、朝鮮人テロリストの李奉昌が、爆弾を昭和天皇へめがけて投げつけ、暗殺未遂を起こした桜田門事件が発生
昭和天皇の暗殺は幸いなことに失敗したが、警備をしていた人達に重傷を負わせた
この事件によって、当時の日本國民はとても大きな不安を覚えた
しかし、昭和天皇はこれを李奉昌個人の犯罪とし、朝鮮の人民にその責任を負わせることをしなかった
このことは、セルビア人青年がオーストリア皇太子を殺害したことによって発生した第一次世界大戦を考えれば、とても寛大な処置といえる
なぜなら、もし、これが西洋や支那で起こった事件なら、おそらくいま朝鮮人はこの世にひとりも存在していない
また、同じ年の4月29日の天皇誕生日に、また朝鮮人テロリストが爆弾殺傷事件を起こした
天皇誕生日の記念祝典に参加していた日本人を狙って、尹奉吉が爆弾を使用し、多くの日本人を殺傷した
このテロでは、白川義則上海派遣軍司令官と河端貞次居留民団長が殺害され、重光葵、植田謙吉、野村吉三郎らが重傷を負った
ちなみに爆弾が投下されたときは、会場で全員が起立して、國旗に向かい、國歌斉唱を行なっているときで、
重光葵氏は、爆弾によって片足を失う大怪我を負いながら、朗々と君が代を最後まで歌い続けた
國旗に向かい、國歌斉唱をしている瞬間というのは、天皇陛下に向かって起立しているときと同じこと
こうして不逞朝鮮人による犯罪が度重なる事によって、日本人の心の中には多くの不安が蓄積していく
全ての在日朝鮮人がこのような悪質な犯罪をしているわけではないが、韓國も北朝鮮も、在日半島人の誰もがこれらの犯罪へ対して謝罪の意を表していない事は事実
それどころか、全ての朝鮮人が教科書等で、テロリストの犯罪者を「英雄」として賞賛している
こんな馬鹿げた異常はない
戦争が終わると、朝鮮人達は「準戦勝國民」という地位を連合國から与えらた
昭和21(1946)年の「首相官邸暴動事件」です。約2000人の不逞在日朝鮮人が「戦勝國民」の権利を謳って首相官邸に乱入し、警官隊や米軍憲兵隊と戦闘を行う
昭和23(1948)年には同じく「戦勝國民」の地位に酔った朝鮮人3万人が一斉蜂起し、様々な破壊行動を行い、米軍憲兵隊の指揮下で鎮圧され、約1000人の逮捕者が出た
大阪と神戸では府県庁を襲撃して知事や役人に暴力を行った上で監禁した
この事件でGHQは緊急事態命令を発し、累計2000名におよぶ朝鮮人を逮捕している
昭和26(1951)年、滋賀県では「日野事件」が勃発した
朝鮮戦争の戦禍から逃亡してきた朝鮮人50名が武装集団となり、警察署を襲撃した
昭和27(1952)年の「吹田事件」では、朝鮮戦争の開戦をお祝いしていた「在日朝鮮統一戦線」の学生達およそ1100名が「革命思想」をもとに興奮し、警察や街の工場施設を襲撃した上で拳銃を奪って逃走した、この事件では113名が逮捕されている
昭和29(1954)年に起きた第二の神戸事件では、900名の在日朝鮮人が区役所や税務署を襲撃して破壊し、警官隊と戦闘を繰り広げ、188名の逮捕者が出た
数々の犯罪を繰り返し、米國の占領中に発生した朝鮮人犯罪を米軍が統計したところ、1947年から50年までの間の朝鮮人による犯罪での朝鮮人の検挙数は
殺人・強盗 4656件
レイプ 224件
放火 57件
傷害 17,552件
窃盗 44,494件
この他、集団での蜂起ではない朝鮮人個人の犯罪は、ここに表れた数字の3000倍あったとも言われている
鉄道公安という制度が、戦後復活したのも、あまりにも不逞朝鮮人による電車内での痴漢、強姦、暴行、傷害、強盗事件が頻発したことで、GHQが直接指揮して復活させたもの
さらに驚くべき事件は、昭和33(1958)年8月20日に起こりました。東京都江戸川区の進学高校である小松川高校に通っていた太田芳江さんが何者かによって強姦され殺害された
犯人は、なんと犯行後に遺体から遺品を盗り、その遺品を遺族に送りつけて遺族の悲しみを煽ることで楽しみ、また警察へ対しては自分の犯行を楽しそうに語る電話をかけた
この様子は、全國的にラジオで報道され、犯人の残虐性に多くの日本人が恐怖した
後に逮捕された犯人である在日朝鮮人の李珍宇は、逮捕後に別の女性も強姦して殺した事を自供しています。通行中であった田中せつ子さん(当時23才)を突き飛ばして怪我をさせ、動けなくして強姦し、その後殺害していた
犯人の李珍宇は死刑判決を受けた
ここまでは、まともな國ならあたりまえのこと
ところが事件は、裁判後も後をひく
犯人の母親が、「息子の行いに対して死刑は重すぎる」と主張し、控訴・上告をした
もちろん、判決は棄却
けれど、在日朝鮮人らは「差別されているのだから強姦や殺人を行っても仕方ないのだ」と公然と主張し、在日朝鮮人による数万人の減刑嘆願署名を集め、また裁判にかかる莫大な費用も在日朝鮮人団体によって賄われていた
いまでも朝鮮総連関係者や、大韓民國民団は、「我々は植民地統治されていたのだから、日本人を拉致したり、日本人を殺害したとしても、それは差別に対する当然の仕打ちである」という
このことで注意すべき点は「一人の異常者が朝鮮人の中に存在した」という事ではなく、朝鮮人が総体として一人の異常者を擁護し、同調している、という事実
この事実をどう受け止めるかは各々によって違いうと思うが、すくなくとも我々日本人からすると、異常と断じざるを得ない
昭和43(1968)年には、同じく在日朝鮮人の金嬉老がライフル銃で日本人男性二人を射殺した上で旅館に立て篭もり、女性一人と九才以下の児童三人を含む九人を人質にとるという事件がある
この時もはやり同様に、金達寿らによって「差別されていたのだから、女性と子供を人質として虐待しても仕方がない。差別されていたのだから男性二人を殺害しても仕方ない」といった主張がされた
韓國では金嬉老は「日本人を殺した英雄」としてメディアは一斉に賞賛
惨劇の延長線上にあるのが、極めつけの拉致事件
やはり、過去と同様多くの在日朝鮮人は「植民地統治の問題があるのに、拉致ばかり言うのはおかしい」といった主張を繰り広げている
まだ拉致被害者が帰國できていないのにもかかわらず、國際空間では「拉致問題は解決済み」という発言をしている
朝鮮人に対して差別をせず、深い理解を示すことはとても大切なことだが、しかし、理解と盲目になる事は別
また、差別することと、不逞な犯罪集団に対してあたりまえの警戒をすることとは、違う
朝鮮人がどのような歴史をもっており、過去から現在に至るまでどのような姿勢をとり続けるのかという事を我々は認識しなければならない
戦争が終わったとき、日本國内に約60万人いた在日台湾人へ対しては何も負の感情がないのに、朝鮮人へ対してだけは何故存在するのか
そのことを深く省みる必要性がある
数々の重大犯罪を積み重ねてきて、都合が悪くなると「差別された」と開き直り、普通の人間ならあたりまえにする「警戒」を「差別」だとすり替えて、様々な反社会的行動を正当化するためのレトリックに利用する
こうしたことは、けっして許されることではない
朝鮮人(韓國人、北朝鮮人)全部が、異常者であるなどと決めつけるつもりはないが、ただ、世界に通じる一般常識として、犯罪者を賞賛し、褒め、称え、なおかつその罪を罪とは思わず、教科書にまで載せて「誇り」にしているという歪んだ思考を、國是としたり、助けて貰ったのに、被害を受けたと強弁して事実をねじ曲げ、それをネタに他の人々に迷惑をかけるというのは、許すことができない