日曜日のイベントで久しぶりにかぶったパナマ帽。

SNSに「いいハットですね。」のコメントを見つけ「自分史」が鮮やかに蘇った。

 

勤めていた会社倒産で、生きる為に1984年11月から1人っきりでアメ村ど真ん中のおんぼろアパートの1室で始めた手作り英会話学校PUMPKIN。

 

先生は僕1人。

週1回1時間のグループ授業で月謝は1人5000円。

集まってくれた生徒は100人で教室家賃を払っても家族を養うことは出来た。

 

1985年からラジオ・テレビの仕事が少しずつ入り出し1989年FM802開局と共に802が僕のホームグラウンドになった。

 

ただ、喰えなかった時に救ってくれた「英語」に不義理は禁物。

802開局後も10年続け、おんぼろアパートから1993年に完成したビッグステップにステップアップし、結果15年間英会話学校を継続した。

 

そんなおんぼろアパート時代の生徒にSallyが居た。

京大生の彼と2人、同じクラスで毎週楽しそうに僕の授業を受けていた。

 

彼女はアパレル会社勤務。

マスコミの仕事が入り出したと同時にボランティアで僕のスタイリストになってくれた。

 

このパナマ帽も彼女が見立ててくれた物のひとつ。

キリンさんと象さんの木製ブローチも添えてかわいいハットに仕上がった。

(缶バッジは802の朝帯をしていた時リスナーさんが作ってくれたもの。)

 

おんぼろアパート時代から35年以上の歴史を持つハット。

初夏から夏の屋外イベントではずっとお供し続けてくれる僕の宝物。

 

おんぼろアパートからビッグステップに移る時に教室を去ったSally。

京大生の彼と結ばれ産まれたばかりのベビちゃんを2人で見せに来てくれたのがつい昨日のように思える。

 

その後のSalllyのことは詳らかにせずにおく。

実にこんなパナマ帽ひとつにも様々な人生が交錯し時は進んでいく。

 

そんな宝物ひとつひとつを大切に、生きていこうと改めて歴史を噛みしめた。