2000年のお話② | 最後かもしれないだろ。だから、全部話しておきたいんだ。

最後かもしれないだろ。だから、全部話しておきたいんだ。

人生をこれでもかと遠回りしている男にみえてくる未来とは‥‥。
というわけでないないづくしのひろたまですが、よろしくお願いします(^^)




(画像と内容は全く関係ありません…)

2000年春のお話。

自分が新卒で入った会社は

広島にある宅配弁当などを

展開している会社です。

この会社はこの年から

新卒採用を始めました。

自分を含め新卒採用は4人でした。

この頃は就職氷河期と言われてて

何故この会社にと聞かれたら

成り行きでということになります。

宅配ということで

その為に必要な原付の免許を

慌ただしく取り研修を終え4月。

新卒4人順々に東京へ行くという話になり

自分は1番手として東京へ行きました。

その頃この会社は

東京で広島風お好み焼きの宅配専門店を

展開し始めた時期でその為でした。

広島を出るのも初めてでしたし

ずっと実家暮らしだったと

いうこともありますが

ちょうど母がガンで

初めて入院していた時期でも

あったので色々と不安でしたが

東京へ向かいました。

初めての東京はまあそれはそれは…

すごいとこですよ(笑)

社長と一緒に東京へ向かい

東京駅からタクシーで店舗のある西新宿へ

あの時に見た西新宿のビル群や都庁の

スケールの大きさには圧倒されたな…

中野にあったマンションで

先輩方との4人暮らし。

店長と二段ベッド。

その当時120kgあった自分はもちろん下へ。

店長見た目怖かったからさ…(笑)

その時は何も喋れなかったな…

翌日からすぐに仕事でした。

まずは芸人をやられてるバイトさん

(広島じゃおらんもんまわりにこういう人は…)

と一緒に宅配に。

自分は原付取りたて

芸人さんはめっちゃ早い…てか早すぎ…

いきなりビル群からの歌舞伎町…

ハードル高いから。

ハードル違う棒高跳びぐらい…

あっという間にはぐれました。

でも芸人さんは優しかったです。

なんやかんや

宅配には向いてないということで

お好み焼きの焼き手にまわりました。

お好み焼きと言っても

宅配用なので一から作るのではなく

半分出来てる状態から作るので

(上手いこと考えられてるのよね…)

行程としてはそんな難しくはないのですが

宅配ということで早さが求められ

1枚3分目安で綺麗に焼き上げること。

と、ビシビシと鍛えられ

4枚まで同時に焼けるようになりました。

(トッピングが大変でしたが…)

そして、いつしか

ゴットハンドと呼ばれるようになり(笑)

(焼き手は向いてたのよね…)

お店にとけ込んでいったわけですが…

つづく

ほいじゃあね( ´ ▽ ` )ノ