名にしおはば
相坂山の
さねかづら
人にしられて
くるもよしがな
三條右大臣
逢って寝るという逢坂山のさねかずら、
その名のとおりならば
さねかずらをたぐり寄せるように
人に知られずにあなたを引き寄せたいなあ。
・名にしおはば
〜という名を持っているならば
「名におふ」で「〜という名を持つの」意。
「し」は強調。
「ば」は仮定。
・相坂山
相坂山は現代では逢坂山と書かれている場合が多い。
フリガナはアフサカヤマ。
読みはオオサカヤマ。
山城国(京都)と近江(滋賀県)の国境にある山。
・さねかづら
つる性の低木である「さねかずら」と「さ寝」の掛詞。
「逢う」との連語。
・人にしられて
現代では「しられで」と表記されることが多い。
他人に知られないでの意。
・くるよしもがな
「くる」は「来る」と「繰る」の掛詞。
「来る」は男が女に逢いに来るの意。
「繰る」は相手をこちらへ手繰り寄せるの意。
「よし」は方法、手段。
「もがな」は願望。
◯山口志道の解釈
逢うという名を持っている相坂山であるならば
その山の細根根葛(サネカヅラ)のように
あなたと少しだけ一緒に寝たい(少根)と思う
親はすでに納得しているので
私の元に来る義(理由?)はちゃんとあります。
だから蔓草を手繰るように来てくれたらありがたいな。
・さねかづら
さねは細根(サネ)と少寝(サネ)の掛詞。
かづらはつる草のことなり。
・人にしられて
親にも知られて、親も得心しての意。
「て」には濁点はつかない。
男女の仲をはばかるのは親なり。
世間の人が何を言おうとも親が許せば何も憚ることはない。
なのでここでの人とは親のことを指す。
・くるよしもがな
よしは義。
手がかり、媒(ナカダチ)の意。
がなは願望。
◯一般的な解釈と志道の解釈の違い
なんだか全く違う解釈になってますね
百人一首のカルタには
「人にしられて」と書いてあるのを世間の人は「て」に濁点をつけて「人にしられで」としてしまっているために、本来の意味とは違う解釈をしてしまっているようです?
逢坂山の名に有るように、堂々と私の元へ来て
これが志道の解釈。
あなたはどう思いましたか
◯三條右大臣 873〜932
藤原定方。
924年右大臣となり、邸宅が三條にあったことから三條右大臣と呼ばれた。
醍醐天皇時代の歌壇の中心人物。
この百人一首シリーズでは江戸時代の国学者、山口志道著「百首正解」を現代人にもわかるようまとめています。
山口志道は言霊や神代学に精通しており、ひふみ神示の岡本天明や合気道開祖の植芝盛平、大本の出口王仁三郎らに多大な影響を与えています。
鷹屋敷洋史
参考図書
・「百首正解」山口志道
・「原色小倉百人一首」文英堂
鈴木日出男 山口慎一 依田泰 共著
・「ちはやと覚える百人一首」講談社
漫画 末次由紀 著 あんの秀子
・「千年後の百人一首」リトルモア
清川あさみ+最果タヒ


