新訳百人一首 第二十首 わびぬれば | 真実の探求

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わびぬれば
 
今はた同じ

難波なる

身をつくしても

逢はむとぞ思ふ


元良親王



◯一般的な解釈

元良親王と京極御息所の不義が発覚したときに元良親王が京極御息所にあてた歌と「後撰集」にある。


どうしてよいか行き詰まってしまったのだから
今となってはもう同じ。
難波にある澪標ではないが
身を尽くしても
逢おうと思う。


・わびぬれば

わぶ・・・物事が行き詰まって悩み苦しむ気持ち


・今はた同じ

「はた」は「また」の意。
今となってはもう同じ。


・身をつくしても

「澪標(ミオツクシ)」と「身を尽くし」の掛詞。

「澪標」は船の航行の目印に立てられる杭。
難波潟を印象づける名高い光景。



・逢はむ(アワン)

ムは意思を表す。
逢おうと思う。


◯山口志道の解釈


我が身の程を考えれば
末にはかくもあらんかと思って
覚悟はしているが
今となっては
果たしてそのごとくにて
今さら驚かず。
たとへいかように成るとても
難波にある澪標のように
身を尽くし、命のあらん限りは
逢おうと思う。


・わび

我を恨むこと。


・はた

ハタの元の語はフタタ。
フタは二つ。
タは手。

ハタとは左右の手を意味する。

左右の手を合わせて違わぬということ。

俗にハタシテということなり。


・澪標(ミヲツクシ)

澪標とは水(ミ)終(ヲ)尽(ツク)印(シルシ)。
川の真水が真水でなくなる(終わる)とき、つまり真水が海と交わる場所は真ん中が深くなっていて、その左右は浅い。
その水の浅い深いを船に知らせる印が澪標。



◯一般的な解釈と志道の解釈の違い

「今はた」のところだけ若干違うのかな。

それ以外はだいたい同じようですねニコニコ



◯元良親王890〜943


陽成天皇の皇子。

平安時代一番のプレイボーイウインク




この百人一首シリーズでは江戸時代の国学者、山口志道著「百首正解」を現代人にもわかるようまとめています。

山口志道は言霊や神代学に精通しており、ひふみ神示の岡本天明や合気道開祖の植芝盛平、大本の出口王仁三郎らに多大な影響を与えています。



鷹屋敷洋史



参考図書

・「百首正解」山口志道  


・「原色小倉百人一首」文英堂

     鈴木日出男 山口慎一 依田泰 共著 


・「ちはやと覚える百人一首」講談社

     漫画 末次由紀   あんの秀子


・「千年後の百人一首」リトルモア

     清川あさみ+最果タヒ