●美輪明宏さん逝く。

 

今日は、何を書こうかとニュースを見てみると、

 

2026年6月20日に、美輪明宏さんが91歳で逝去されたという。

 

 

歌手、俳優、演出家などとして幅広く活躍した方でした。

 

スピリチュアルに興味がある方なら、誰もが知っている方かと思います。

 

最後は「ありがとう」と一言感謝の言葉を伝え、静かに目を閉じたという。

 

お別れの会や偲ぶ会の開催予定はなく、香典や供花についても辞退するとしています

 

 

 

個人的に私が印象に残っているのは、

 

江原啓之さんと共演してた「オーラの泉」と、

映画もののけ姫に出ていたオオカミ?の「モロの君」の声をやっていた事でしょうか。

 

 

 

 

三輪さんは、1935年5月15日、

 

長崎県長崎市本石灰町で父・寺田作市と母・ムメとの間に、5人兄弟の次男として誕生しました。

 

しかし、三輪がまだ2歳の時に、母親が32歳で他界します。

 

そして、三輪が10歳の時、世紀の大悲劇が三輪を襲うのです。

 

長崎原爆投下です。

美輪は窓際で夏休みの宿題に御伽草子の「万寿姫」の絵を描いていた。

絵の仕上がりを確認するため、二、三歩後方に下がった時でした。

何千ものマグネシウムを焚いたような白い光が町を襲いました。

 

その直後に、激しい爆発音が聞こえ、

家がぐらぐら揺れて傾きました。

 

原子爆弾の爆風です!

美輪の自宅は原爆投下地点から直線距離たった約3.6kmの場所にあり、

強烈な閃光と爆風に襲われました。

 

 

 

のちに美輪さんは、こう語っています。

 

「部屋の中でほんの少し身をかがめていたことで、生き延びました。

 

その後の美輪が見た光景は、まさにこの世の地獄だったという。

 

焼けただれた人々。

水を求めてさまよう人々。

 

この体験が、

のちに80年以上にわたって若い世代に平和を伝え続けた美輪の原点である。

 

 

 

終戦後、歌が上手かった15歳の美輪は、

国立音楽高等学校(現在の国立音楽大学附属高等学校)に進学するため上京する。

 

しかし、久々に実家に帰った時だった。

 

父親が生活が苦しくなった親戚を無情にも見捨てるような態度をとったことに

美輪は激怒し、父親と大喧嘩して東京に戻ったのですが、

父からは絶縁を言い渡され、当然ながら父親からの仕送りは停止。

 

美輪はは東京で自活するために国立音高を高校中退

生活費を稼ぐために進駐軍のキャンプ廻りをして歌を披露しました。

 

まだ15歳。新宿駅で寝泊りしながら進駐軍のキャンプのドサ廻りでジャズを歌いギャラを頂いたことがプロとしての始まりとなった。

 

そんなやっと歌手としての道を歩み出した時だった。

 

突然、美輪に絶縁を言い渡し仕送りを停止した父がやって来た。

金の無心をしてきたのだ。

 

かつての、父が親戚にした無情な仕打ちと同じことを美輪が父に出来るはずもなく、

 

かといって父を許せない気持ちが消えてはいなかったが、父の元には兄弟がいる。

 

美輪は仕方なく兄弟の生活を守る為に、歌手活動とは別に、

 

ゲイバーやバーテンダーなどのアルバイトにも従事して日当をしました。

 

吐血等の原爆症に悩まされながらも、アルバイトでキャバレー回りや進駐軍キャンプで歌って父に金を渡したのだった。

 

この頃、ある店で頼まれてシャンソンを歌ったところ、

店に居合わせた戦前からの宝塚スターの橘薫と知り合い、銀座7丁目にあるシャンソン喫茶「銀巴里」で美少年(ボーイ)兼歌手募集の張り紙広告を見て応募します。

 

 

次第に人気を博し、

当時の日本を代表する文化人が集まっていた店で歌った事もあり、

 

流行歌ではなく、フランスのシャンソンを歌っていた美輪に注目が集まります。

 

 

「天才が現れた」口コミで一気に名前が広がったのです。

 

三島由紀夫、野坂昭如、大江健三郎、遠藤周作、江戸川乱歩、川端康成、なかにし礼といった文化人の支持を得て、歌手としての道を歩み始めます。

 

特に、あの三島由紀夫が認めた人として、評価が高まりました。

原爆症に悩まされながらも成功したのでした。

 

 

 

 

 

 

 

最後に、

 

美輪さんは、若い人たちに、こんな言葉を残しています。

 

 

 

恋とは自分本位なもの。愛とは相手本位なもの。

 

「会いたい」は恋。

「幸せになってほしい」は愛。

 

 

「好きだから付き合いたい」

ではなく、

「相手が幸せなら自分もうれしい」

これが本当の愛だという。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、なかなか幸せになれないという女性に、

 

 

 

「大丈夫。

 今日から、

 不幸の数を数えるよりも、幸せの数を数えてみましょうね。

 

 きっとあなたも、幸せになれるから。」

 

END