●臨死体験。


臨死体験とは、

「臨」という字は、臨む(のぞむ)と使いますね。


臨む(のぞむ)死の体験。

そう、つまり、ちょっとだけ死んだ時の事をのぞいた体験の事です。

それは交通事故や事故・手術中に起きる事が多いとされます。

母も何度か肺炎で危なくなった時があり、生還しているので、

臨死体験したと思います。


大体ですが、心停止した人の10人に一人は、

臨死体験を経験するそうです。









1973年7月4日、

沖縄の糸満市に一人の男の子が生まれます。

名前をさとる。

父親はトランペット奏者でしたが、とても厳格な父親で、

食事中は、いっさいの私語は厳禁でした。

家では常にクラシック音楽が流れていたといいます。

さとるは、体が弱く、幼稚園も休みがちでした。

後に父親とは離婚して母親と暮らすのですが、

そんなまだ子供のさとるに悲劇が訪れます。

小学校2年生の時(7歳)

沖縄の海で遊んでいると、

突然、水の中でもがいてももがいても足が地面に付かなくなったのです。

しかも、どんどん水中に引っ張られ沈んでいきました。

パニックでもがく中、とにかく息がしたいと海水を飲むだけ飲んでしまいました。

息を吸おうとしても、塩辛い水が口に入ってくるだけでした。

さとるの中から音が消えました。

 

さとるは溺れてしまったのです。

そして何かに抱かれているようなすごく優しくてあたたかい感覚と、

これまで感じたことのない安堵感を感じました。

そして次の瞬間、

頭の中で急に走馬灯が回り始めました。

生まれた時からこれまでの記憶が順番通りに事細かに見えるのです。

ああ、自分は間違いなく死ぬんだ。と思いました。

怖かった。


しかし、それは恐怖の序章に過ぎませんでした。

さとるが海で溺れてから何とか助かったのですが、

臨死体験を経験してから、目が覚めた後、

今まで全く見えていなかったものが、完全にみえるようになっていた。

さとるは、周りの人には見えないものが見える様になってしまったのです。

つまり、霊が見える様になってしまったのです。


霊は余りにリアルだったので、さとるには、

生きている人と死んでいる人の区別がつけられませんでした。

なので、さとるが幽霊と話しているのを見た周りの人たちは彼を異質扱いしました。

霊が見えると言うと、周りから気味悪がられました。

両親もです。

親ですらも彼の話を信じてくれなかったので、彼は子供心にすごく傷つきました。

さとるが10歳の頃、胃や内臓に突然動けなくなるほどの激痛が走り、倒れました。

発見されていない伝染病かもしれない。と言われ、

それまで霊が見えるとか言っていた事もあり、

さとるは、すぐに隔離・監禁され、鉄格子のついた病棟に入れられました。

そこは子供ばかりがいたのでおそらく小児病棟だったようですが、

その病棟には伝染病など重症の子が多くいました。

悪く言えば、鉄格子のついた精神病院の隔離病棟です。

そんな中で、さとるは、そこの子たちと関わる中で、こう感じたのです。

「この子は明日、死んじゃう。」

その予言通り、多くの子供たちが亡くなっていきました。


せっかく仲良くなっても次々と亡くなっていく友達。

そこは地獄そのものでした。


このままここにいると、

自分も精神が壊れ、死んでしまう。

そう思ったさとるは、退院する方法を模索し始めます。


さとるは考えました。

何とか、医師たちに自分は正常だと思ってもらおう。

そこで、さとるは、

担当医をジッと観察し、担当医の動作や話し方、話の内容まで全てを覚え、

それをコピーしてそっくり真似をして笑わせたり、楽しませたりしました。

そうやって、やっと正常な子という事で鉄格子の病棟から脱出する事が出来たのです



その後、さとるは学校を卒業すると、

水商売やディーラー、スタジオの音響などの仕事の傍らドラムの腕をあげ、

それまでの名前、学(さとる)を「ガク」と読むようにし、

ガクト(GACKT)として、MALICE MIZERへの加入を決め上京。



その後の活躍は、皆さんのよく知るところかと思います。


ガクトさんは、ソロデビューした26歳の頃、

成功する為に、一大決心をします。


「一番好きなことをやめよう。」

それまで大好きだった米を食べるのを止めたのです。

米は死ぬときまでなるべく食べない様にしよう。

「人生最後は、米を食べて死にたい。」


もしかしたら、ガクトさんの成功も、

そんな引き換え条件も大きな力となっているのかもしれません。





臨死体験をされた方は、他にも、

■6チャンの「ひるおび!」にレギュラー出演されている八代英輝さん。

 弁護士であり、元札幌地方裁判所判事補(裁判官)。

八代英輝さんは、心臓カテーテル手術をした時に、

枕元にあった心電図がピーっという音と共に一直線になり、

数分間心臓が停止したことがあるそうです。

心電図が一直線に時に、八代さんは視界が一気に暗くなり、

体外離脱をして、手術室の隅から自分の体を眺めていました。

 

そして、三途の川とお花畑が見えたそうです。

「お花畑の向こうに川があって、その向こうで人が受付していて道案内をしていて、

 戻らなきゃって思った。」って助かったそうです。




■松村邦洋さんは、ビートたけしさんの物まねで有名になりましたが、



2009年3月に東京マラソンに出場した時に、途中で倒れて心肺停止となりました。

倒れている時に、三途の川を渡りかけたという臨死体験をしました。

三途の川を目の前にした時、

2008年に急逝した亡くなった大親友のウガンダさんが夢の中に出てきて、

「こっちの川じゃなくて、そっちを通れよ」
と言われて、

その通りにしたら、三途の川が神田川につながっていて、目が覚めて助かったそうです。


■加山雄三さんは、

19歳の時にスキー場で風邪をひきましたが、大会に出なくてはいけないため、

抗生物質の注射を打って、早く風邪を治そうとしました。

しかし、抗生物質のアレルギーがあったようで、

注射を打ってすぐに心肺停止となってしまいました。

 

この時、加山雄三さんは自分が暗闇にいて、

小さな光が見えていたとのことです。

そして、その光が大きくなって、お花畑にいるように感じたそうです。
 

母親は数珠を思い出し、加山雄三さんの首に数珠を首をかけたら、

体が温かくなって、息を吹き返し蘇生することができたといいます。
 
「体が温かくなって、ボーッとして人が見えてきて、

 

 みんなが『心臓動いた!』って騒いで。

お袋ワンワン泣きながらわめいているのもよくわかった」と、

蘇生直後の様子も鮮明に覚えていると明かしていました。





END


参考:GACKT 著書『自白』~幼少期(子供時代)の臨死体験と隔離病棟生活~