●右耳の上の頭痛。
私がアメリカにいた最後の年、
霊能者の所に一組の夫婦が相談に来た。
奥さんが原因不明の頭痛に悩まされていて、
特に右耳の上を中心に頭痛があるという。
特に夜になると激しくなる事が多く、
寝られない時も多いという。
もう3ヵ所の医者にかかったが、はっきりした原因は分からないらしい。
霊視後に分かった事なのだが、
読者の方に分かりやすい様に、
この夫婦の出会いから話をしたいと思います。
二人の出会いは、今から6年前頃の事だったという。
まだ大学生だった彼女は、学費を稼ぐ為にバーでアルバイトしていた。
その時に知り合ったのが、今の彼で、
5歳年上の彼は、レンタカーの会社を経営していて、
お客の中でも大人の男性に見えたと言う。
最初は食事に誘われ、その後ドライブや乗馬などに誘われ、
二人はお付き合いする様になった。
交際を始めて1年が経とうとしていた時、
彼が突然、彼女に告白した。
「実は俺、結婚してるんだ。」
結婚も考えていた彼女にとっては、衝撃的だった。
しかし、1年も好きで付き合った彼と別れる判断は出来なかったという。
かと言って、彼に離婚して。とも言えなかった。
そのままズルズルと彼の求めに応じて、会ってしまい交際は続いた。
そんなある時、
突然彼が、自宅に来る? と自宅に招待してくれたのである。
聞くと、奥さんは今、病院に入院していて寂しいという。
奥さんの病名を聞くと、卵巣癌で子供が産まれない体に。
子供好きだった彼の事を考えてか、彼女は、
「私が貴方の子供を産んであげる。」と言った。
やがて、本当に彼女が妊娠すると、
彼は本気で離婚を考える様になった。
そうなると、子供が産まれる前に結婚式を挙げた方が体裁が良いと考え、
妊娠8カ月を迎えた所で、奥さんを捨てて離婚成立。
その2ヶ月後に彼女と結婚した。
その後無事可愛い女の子が生まれ、
彼の豪邸で3人で暮らす幸せを手に入れた彼女。
いわゆる略奪婚の成立である。
しかし、彼女の幸せは長くは続かなかった。
子供が1歳の誕生日を迎える日だったという。
彼女がキッチンで誕生日ケーキを作っていた時だった。
突然、彼女を激しい頭痛が襲って来た。
右耳の上辺りを中心に、耐えられない頭痛だったという。
すぐに病院で検査を受けたのだが、はっきりした原因は分からないまま、
今も特に夜になると激しい痛みが、襲って来ると言う。
これでは満足な子育ても出来ないと、
オレゴン州からわざわざ車を飛ばして相談に来たのだった。
さっそく霊視が始まった。
しばらくして霊能者の方が話し始めたのだが、
普段よりも険しい表情である。
こういう時は、決まって、相談者たちにとって、
良く無い事だったりするのが常だ。
予想通り、霊能者の方が口にしたのは、
衝撃的な内容だった。
「奥さん、
右耳の上辺りを中心に、耐えられない頭痛がするんですよね。」
「はい。」
「それ、離婚された奥さんの怨念なんですよ。」と霊能者。
「ま、まさか。そんな事は・・」
と奥さんも旦那さんも信じられない様子。
すると、霊能者の方が更に、こんな事を口にした。
「実は、離婚された奥さん、
自殺しているはずよ。
それも右のコメカミを拳銃で撃って。」
すぐに旦那さんが知り合いに電話で聞いてみると、
確かに前の奥さんは拳銃自殺していたのである。
それを聞いても、頭痛と自殺が関係あるとは、
信じがたいと思っている感じの二人に、
霊能者の方は、決定的な事を口にしたのである。
「おくさん、
頭痛はお子さんの誕生日の日から起き始めたと言ったわね。」
「はい。」
「実はね。
離婚された奥さんが自殺したのが、
その日なの。」
霊能者の方は、愕然としている2人に、
下の様なアドバイスをしていました。
①■まず2人で前妻の墓参りに行きなさい。
そこで二人で心から謝って、豪華に花を生けてあげなさい。
毎年命日に行く事。
②■家の一ヵ所を決めてそこに前妻の写真を飾り、十字架を置き、
毎朝、お水をささげ、2人で成仏を祈ってあげなさい。
そうすれば、段々と頭痛も収まっていくと思いますよ。
最後に、
略奪婚が、絶対霊障に襲われるとは限らない例を。
皆さんも良く知っている歌手の沢田研二さんと
女優の田中裕子さんは1989年に結婚しました。
現在も離婚することなく円満な家庭を築いています。
実は、この2人。
略奪婚によって結ばれました。
沢田研二さんは、田中裕子さんと結婚する前、
7歳年上のザ・ピーナッツの伊藤エミさんと結婚していました。
当時、「可愛い花」「情熱の花」などの大ヒット曲を歌っていた
ザ・ピーナッツを引退させてまでも結婚した沢田さんでしたが、
田中裕子さんとの不倫が発覚。離婚へとなったのです。
ではなぜ、
略奪婚した二人を上の例の様に霊障に襲われなかったのでしょうか。
それには、2つの理由があったと思います。
①■沢田研二さんは、伊藤エミさんに、
当時のお金で、慰謝料18億1800万円を支払ったと報じられました。
つまり、別れた後も十分に暮らせるだけの環境を渡したと言えるでしょう。
そして、もう1つは、
私が思うに、①■以上の理由だと思いますが、それは、
②■伊藤エミさんは心から、沢田研二さんを愛していたのではないでしょうか。
伊藤エミさんは、沢田研二さんを心から愛しているからこそ、
何の恨み言1つ言わずに離婚届に判をついたのです。
愛する沢田研二さんの望むように自由にしてあげたい。
純粋に、好きな人に幸せになって欲しい。
そんな感じに私は思えます。
伊藤エミさんは、離婚された後も、
澤田性を名乗って暮らしました。
愛する沢田研二さんの息子と一緒に。