泣き止む香水。


昨日は節分でしたね。

最近豆をまく人が減ったそうですが、皆さんはしましたか。




さて、今日はそんな節分の日に生まれたという方を紹介しようかと思います。


1986年、2月3日の節分の日、

東京都中野区に、一人の女の子が生まれました。

とても可愛い子で、両親は余りの可愛さに、

ベビーモデルに応募して雑誌にも載ったという。


父親は寿司職人だったが、貧乏生活だった。

浴室内側のドアノブが外れ、浴室内に閉じ込められるようなボロい家に住んでいた。

スナックで働いていた母を見て育った。

彼女が小学校5年生の時だった。

テレビをつけると、「ボキャブラ天国」をやっていて、

「もうなんて素晴らしい職業なんだろう。」と思った。

自分も絶対お笑い芸人になりたいと思ったという。

そして、学校帰りによく渋谷の109に行っていて、そこで働く店員さんや、

スナックの従業員の仕草を真似する様になったという。

ところが、彼女が19歳の時、母親がすい臓がんで亡くなる。

母に先立たれて以来、寿司職人の父と2人でつつましく暮らしてきた。

彼女は小さい頃から野菜嫌いだったが、父親は野菜を取らないとダメだと、

毎回作ってくれる父のお弁当には、野菜が入っていたという。

お笑いの世界で頑張っている彼女を父親一人で支えてくれた。

撮影現場の弁当は野菜が少ないからって、

ねぎ入りの卵焼きやミニトマトが入ったお弁当を持たせていたそうです。

毎晩夕飯を父親が作るか、週末には行きつけの焼き肉店や居酒屋で食事したが、

そんな時でも、父に毎回、野菜を食べさせられたという。

しかし、彼女を支えて来た父が、2013年3月、

長らく糖尿病を患っており、最期は脳溢血で倒れた。享年61。

彼女は20代で、天涯孤独となって、一人暮らしとなった。

女性自身の記者いわく、

「子煩悩なお父さんでした。

 

『私は娘を叱ったことが一度もないんだ』と言っていましたね。

『芸能界に入りたい』と言ったときも、父だけは反対しなかったという。

病に冒されながらも、娘のことをいたわり続けたという清さん。

彼の胸には、亡き妻の遺言があった。

「お母さんは高齢で可奈子ちゃんを授かりました。

『もう死ぬかと思った。あんなに辛いことはない』

 

というほどの難産だったこともあり、

生まれた娘をとにかく可愛がっていました。

そんなお母さんが亡くなったとき、お父さんは泣きながら

『妻から“娘をよろしく頼みます”という言葉を遺されたんです』と言っていました。

妻の分まで娘を幸せにしたいという思いで最期まで生き抜いた人でした」




父親が亡くなって「さみしくて、さみしくて、」毎日泣いていたという彼女。

そんな時、バーニーズニューヨークで 店員さんが 

泣き止む香りですよ』と、勧めてくれたのが、

フエギアのキロンボという香りのディフューザーだったという。

「泣き止む香り 泣き止む香り」

その言葉はまるで夜毎泣いてる私を見透かしたようでした。



そんな彼女は、ある時、渋谷の109で働く店員さんや、

スナックの従業員の仕草を真似する芸風で注目を集めてブレイクする。


タレントの柳原可奈子さんである。

特徴的な声をしているため、声優・ナレーター業にも仕事の幅を広げ、

若い女性を中心にテレビ出演が増えた。

2019年、フジテレビの社員と結婚して第一子を出産した。

幸せな彼女にご主人は、あの『泣き止む香水

 

フエギアのキロンボを贈ってくれたという。

「泣き止む香り 泣き止む香り」


それと関係があるのかどうかは分からないが、






それまでは、周囲の人に

「バレない様に、 バレない様に」と暮らしていましたが、

もう、泣かないと決めた。




彼女は、柳原は2023年4月にInstagramを開設し、

長女が生まれつきの脳性まひであることを公表する。

 

 

 

 


開設後は育児や仕事、そして

 

長女の生活をサポートする道具やサービスなどについて投稿してくれている。

 

もし、こんな私の苦労した所や工夫した所が・・・

 

誰かのお役にたてたら・・・と。

 

 



それを見た読者が「励まされた」という反響が相次いだ。

柳原さんはこれまでにも、子ども用車いすや初めての訪問歯科など、

障害のある子を育てるときに役立つ情報や、

子どもたちとの暮らしの中での気づきなどを積極的に発信している。

投稿では、長女が誤嚥(ごえん=食物などが誤って喉頭と気管に入ってしまう状態)

防ぐために食事面で工夫していることを共有したり、

「水分がむせやすかったり、酸素が下がってしまったり、嚥下してから口に運び、

取り込んで咀嚼して飲みこむまでのこと)や

呼吸のことで少し勉強が必要だなぁと思っているところです」と述べ、

「とろみ」をつける方法を実践していると報告。

「とろみ剤は冷たい飲み物でもサッと溶けるから麦茶やジュースに混ぜてとろとろに

 

してスプーンであげてるよ」水分を嫌がる長女のために、

 

スムージーや野菜のポタージュで水分量を増やしているという。

また、「酸素は家でもパルスオキシメーターで測るようにしてるけど、

動いたりして難しいな」

「痰がうまく出せなかったりすると、ここのところすぐ入院になってしまって、

心配で心配で仕方ないです」と、娘の体調面の不安も明かした。

続けて、柳原さんは「まだ長女が赤ちゃんの頃、

 

何をしてあげれば良いのか、私に何ができるのか、

この子を抱え どこにいく”そんな思いでいっぱいでした」と振り返っている。

その上で、「いま、同じように心配することはあっても確かに感じることは、

この子は ここにいる”」と、思いの変化を記した。

 

 

 



周りと比べてしまうこともある」と柳原可奈子さん、

 

 座位保持が難しい長女にとって、毎日の生活になくてはならない座位保持装置、

ヘアカットをしてくれる訪問美容、

 長女が2歳の頃には

 

「近くの保育園の月2回のリフレッシュ目的の一時保育を利用していました」

という柳原。

「初めてその保育園の一時保育の登録に行った際、

長女の麻痺のことてんかんの重積発作があることをお伝えしました。

ですが、こちらの園では前例が無かったようで、

園長先生はどうしたら園側も私たち親も互いに安心して過ごせるか 

本当に真剣に考えてくださいました。 

すぐには首を縦に振れない園長先生のお気持ちが伝わりました。


 そして「張り詰めた逡巡の時間が流れる中、お一人の保育士さんが

『園長先生、この子のお世話がしたいです。』

とぽろぽろ涙をこぼしてくださいました。 

わたしも涙が止まりませんでした。



 柳原は「本人に気付かれないように

 

こっそり窓から覗かせてもらったことがあったの 

長女は先生に支えてもらいながらバランスボールに乗って

 

周りのお友達をみてすごく楽しそうに笑ってたの 


それをみて私、立ったまま静かに泣いたわ。

と、長女の姿に涙も。

 

「ああ良かった。この子にはこの子の世界が広がってる

って、嬉しくってね。

 

 私の世界も広げなきゃって。長女を頼もしくながめたの。



2023年11月2日


七五三。

七五三とは、一般的に子供が3歳、5歳、7歳になったらお祝いをします。

一説によると、寿命が短かった時代が発祥であり、

この歳まで生きることができた」という喜びをかみしめ、

長寿を願っていたといいます。


運動機能に障がいが生じることが多い、脳性麻痺。重症度にもよりますが、

余命が短いケースもあるといわれています。



長女が無事に初めての七五三を迎えられた喜びをかみしめ、

柳原さんはこのように想いを明かしました。




この日を無事に迎えられたこと、本当に嬉しかった♥

ここまで来られた!という大きな自信と安心感

長女を応援してくれる周りのみなさんへの感謝

胸いっぱいの特別な節目となりました

七五三おめでとう‼️これからも元気に育ってね♥


柳原さんによると、長女の着物は脇腹の部分のマジックテープで着脱する仕様なのだとか。

これならば、長女が横になっていても簡単に着つけることができたのだそうです。



ネットでは、

柳原可奈子さんの事を、

消えた芸能人とか、仕事が減った芸能人と揶揄する人もいますが、



彼女は頑張っています。  とっても頑張っています。

同じ境遇の人の為にと、役に立つ情報を日々公開してくれています。


応援してあげましょうね。

END



参考:HUFFPOST   
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_647fe5a4e4b0756ff85a0528?utm_source=smartnews&utm_campaign=hpjtop
参考:スポニチ
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2023/08/21/kiji/20230821s00041000248000c.html
参考:grape entertainment
https://grapee.jp/1485951
参考:女性自身
https://jisin.jp/entertainment/entertainment-news/1609042/