●小児がんで亡くなった息子が産まれて来た理由。


この話は、

私がまだアメリカに居る頃、

霊能者の所に来た一人のご婦人の相談でした。





彼女は半年前に、息子さんを小児ガンで亡くされていて、

たった7歳で天国に行った息子が忘れられず、

また、楽しい事など1つも経験する事なく逝った息子が不憫で、

何の為に産まれて来たのか、

 

可哀想でならないと言いました。







霊視を開始すると、すぐに息子さんがやってきたという。




そして、お母さんの「何の為に産まれて来たのか」という疑問に、

霊能者の方は、息子さんの気持ちを、こう伝えた。





「お母さん、

 僕を愛してくれて、本当にありがとう。

 そんなお母さんの僕への無条件の愛情を感じる事が出来たよ。

 それを感じたかったんだ。

 僕はそれを体験し学ぶ為に生まれて来たんだよ。

 母さんは、僕が亡くなる直前まで抱いてくれたよね。

 僕は母さんの愛に守られながら、天国に旅立つ事が出来たんだよ。

 母さん、ありがとう。愛しているよ。」


霊能者の方いわく、

人は、いつくまで生きたかではなく、何を学んだかが大切だという。

幼くして亡くなっても、幸せな人もいる。

息子さんは、母親の無条件の愛情を学ぶ為に生まれて来たのだという。

そして、その学びを全うできて幸せに旅立ったのだと。








こうした小児ガンなどで戦っている子供を無料で、

励ましたり、応援している芸能人がいますが、

本当に頭が下がりますよね。

最後に、そうした例を3つ紹介して終わりにします。



まず、今メジャーリーグで大活躍されている大谷翔平選手。

大谷選手は小児医療への関心も高く、

ほとんど毎年、小児病院慰問を行っているといいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




キングカズと呼ばれている人がいます。

サッカー選手の三浦和良選手です。



ある日、

カズが、ある小児病棟に慰問に行った時の話です。


普段は沈みがちな、病気の子供達、

しかし、そこにカズが来ると分り、

みんな大喜びだ!

カズは、みんなにサーカーのテクニックなどを見せて、

子供達やそこで働く看護婦さん達を喜ばせた。

みんな病気の事などしばし忘れて楽しんでいたという。


ところが、

車椅子の女の子は、楽しそうな みんなの輪には入らず、
 

少し遠くから眺めているのに、カズが気が付いた。



女の子はスキンヘッドだった。

カズは、その女の子に近づいて話しかけようとした。

しかし、
 

女の子は、すぐに車椅子を走らせて自分の病室に去って行ってしまった。

ただ見送るだけのカズに、看護婦さんは言った。

「彼女、ホントは明るくて元気な子なんですよ。
 

 でも、白血病で、抗がん剤を服用して、

 髪の毛や眉毛が、抜け落ちてしまってから、

 恥ずかしくて、自分がとても惨めだと思ってしまい、

 人目につくのが、耐えられなかったんでしょう。」


「ホントは、サッカーが大好きで、
 

 どんなにか、今日を楽しみにしてたか。」


その子は、慌てて車椅子で去って行く時、
 

小さな紙切れを落としていったのを、カズは見逃さなかった。


その紙切れには、
 

試合いつもテレビで見ています。

 

 頑張ってください」と書いてあった。




カズは、心の中でつぶやいた。

いつも見てくれているんだ、ありがとう。」

そして、

カズは、その小児病棟を去る時、

看護婦さんに、その子にと、色紙を書いた。



絶対に何があってもあきらめない!


そして事件が起こる。





次のサッカーの試合で、

カズがグランドに登場すると、




会場からカズに対して、野次が飛んだのだ、


「なんだあいつ!!」



「誰だ!!」




カズの気が狂ったぞ!!」


新聞にもこう書かれたという、

 

 

「キングご乱心!









なぜなら、

そこには、




髪の毛を短くした


スキンヘッドの状態でピッチに立つ



カズの姿があったからだ。
 














 

今も語り継がれている、
 
亡くなったX Japanのメンバー、
 
hideさんの実話です。



 

 


子供の頃、hideは辛い日々を送っていた。
 
肥満児だった彼は、毎日の様に「デブ!!」と言われ、
 
横須賀での小学生時代、デブの子供だけ昼休みに校庭に呼び出されて、
 
みんなの前でランニングをさせられて、笑われたという。
 
そんな事もあり、彼は自分の殻に閉じこもってしまい、
 
引きこもりがちな性格になったという。
 
普通なら、そんな時、周りを憎んだりするものだが、彼は違った。
 

むしろその逆で、
 
弱い者は助けてあげなければいけない。
 
という優しい気持ちが、この頃から芽生えていた。
 




 hideがX Japanで活躍していた1995年の年末。

和歌山県の中学3年生の貴志真由子さんは、
 
成功率30%以下という危険な手術を目前にしていた。

彼女の病気は、先天性代謝異常の難病の
 
「GM1ガングリオシドーシス・タイプ3」といって、
 
世界でも真由子さんを入れて23例しか報告されていないものだった。



彼女がまだ15歳の時、
 
もう来年はないだろう。」と医者から見放されていた。

そんな彼女の辛い闘病生活を支えていたのが、X JAPANの曲でした。
 

特にギタリストのhideが大好きで、
 
それが真由子さんのたった1つの楽しみだったといいます。
 
やがて、障害が進み、手足も不自由になり、

段々と言葉さえもうまく発せられない様に・・・
 
そんな段々と弱って行く娘を見ていて、
 
母親の和子さんは、居たたまれない気持ちだったといいます。

そんな時、メイクアウィッシュという支援団体の存在を知ります。
 
この団体は、
 
「難病に苦しむ子供達の夢を叶えたい」という思いから生まれた支援団体でした。
 
母・和子さんは、さっそくこの支援団体に電話しました。
 

「私の娘が、hideさんの大ファンで、
 
 たった一度だけでいいんです。

 

 一瞬でいいんです。
 

 一目でいいから、
 
 死ぬ前に、娘をhideに会わせてあげる事は出来ないでしょうか。

 

 


支援団体は、お母さんの願いを汲み、
 
さっそくhideの事務所に電話して、会えるかどうか打診しました。


 


しかし、残念ながら、
 
電話をうけた事務所のスタッフの対応はつれないものだった。


 

 

 

はあぁ~?
 

 

 病気の娘さんを、hideに会わせたいって!?
 
 この忙しい中、無理無理、
 


 そんな時間とれませんよ。
 


 じゃ、そういう事で、お大事に!!」

 


無情にも、電話は一方的に切られたという。  (takuyaさんのブログより)

 
ところが、ここで最初の奇跡が起きる。

 

 

 

 


普段は、滅多に事務所に居ないhideが、
 
この日に限って、事務所に居たのである。

 しかも、会話の一部を耳にしていたのだ。

 


何? 病気がどうしたって?

 

 

 


 「えっ!!  
 
  ああ・・・hideさん!

  なんか・・・
 
  世界で23例しかいない難病になった子がいるらしんですよ。
 
  その子がhideさんの大ファンで会ってくれないかって・・・



 

  でも、大丈夫っスよ!
 
  ちゃんと断っときましたから!
 

 

  あんまりしつこいんで、思わず怒鳴っちゃいましたよ。






 

 

 

その言葉を聞くと、hideは、
 

スタッフの胸ぐらを掴んだまま激しい怒りに震えたという。


 

 


お前 何様のつもりだよ。
 

母親がどんな気持ちで電話を掛けてきたと思うんだ!



 

 

 

hideは、直ぐに今電話をくれて人に連絡させ、
 

自分に会いたい!と望む母親の願いを快諾したのだった。

 


hideは1995年12月31日、
 
Xの東京ドームライブに少女を招待し、
 
そのライブの打ち上げにも招待して、みんなに少女を友達だと紹介した。

 


その時少女は、不自由な手で
 
2ヶ月かけて編んだマフラーを、hideにプレゼントした。

 hideは、その黒い毛糸で作られたマフラーを貰うとすぐに首にかけ

その後hideはどこへ行くときも、
 
このマフラーを宝物の様に持ち歩いたという。
 
お返しとしてhideからは、愛用するギターにサインをしてプレゼントした。
 
年越しの打ち上げパーティーに招待した会場まで、
 
真由子さんと手をつないで歩いた。それがどれほど彼女を力付けただろうか。
 
彼女は成功率30%以下という危険な手術を受ける決心をした。



1996年3月28日。真由子さんは骨髄移植手術を受ける。

ところが、その4日後、
 
拒絶反応のため心臓に水が溜まり危篤状態になる。
 
その時、医者からは、
 
「あと1日、2日が限界・・・」とほぼ見放された。

容態はどんどん悪化して、生死の境をさ迷っていた。
 
医者によると、それは本当に危ない状態で、
 
あともう少し血圧が下がったら、死ぬ状況だったといいます。

血圧を上げる薬も効かず、もはや打つ手がない状態。



お母さんは、そんな真由子さんを見かねて、
 
最後に、hideさんの声だけでも聴かせてあげてたいと、
 
病室に電話してもらえないかと、hideに連絡をいれたのです。
 

 

 

電話を受けた時、hideの予定は満杯だった。


 

 


しかし、

hideはその全てをキャンセル

 

そくざに病院へ駆けつけたのです。

 


集中治療室の横の無菌室から、
 
何度も、何度も、瀕死の真由子を励まし続けていたといいます。


 


「どうした、真由子!?
 
 病気を治して、またライブに来るんだろ!!
 
 がんばれ!」

すると、ここで奇跡が起きます。

下がり続けていた血圧が、hideが来た途端に下がらなくなったのです。
 
その後!!真由子の病状は奇跡的に回復していき、
 

危篤状態を抜け出したのです。

hideは、危篤状態の真由子ちゃんを

 

2時間も声を掛け続け見守ったそうです。


 

のちに、真由子ちゃんはその時の事を、こう振り返っています。

死の淵を、さ迷っている時、
 
hideさんの声が聞こえたんです。

 

そしてhideさんに励まされているんだと・・・

母親は感激して、号泣したという。

まさか来て頂けるなんて・・・
 
 お仕事も、あるのに・・・
 
 申し訳ございません。
 
 あの子の為に、本当にありがとう。」と、


 


すると、hideは、
 
深々と、頭を下げ、恐縮してしているお母さんに向かって、

「大丈夫、
 

 仕事なんかよりマブダチの方が、ずっと大事ですから。」

 
そう言うと、左手に、はめていた指輪を母親に手渡して
 
真由子のお守りにしてください。と言い残し、静かに病室を去って行った。



その後、hideは「出来る事をするだけ」といい、骨髄バンクに登録をした。
 
彼はファンに対してこんな言葉を残している。
 


死ぬ気でやれよ! 死なねえから。

 

hideさんは何故、
 
そんなにも貴志真由子ちゃんの事を助けようとしたのでしょうか。

今となっては、
 
彼に聞く事も出来ないので、本当の事は分かりません。

 
ただ、
 
彼がまだ小学生の頃、

小学校の卒業文集の、彼の将来の夢として、

 

こんな事を書いていたといいます。

 
将来の夢、

 

「医者になって、見放された患者さんを助けてあげたい。」

 医者に見放された患者。

それはまさに、













目の前に現われた、貴志真由子ちゃんだったのかもしれません。

 

END

 

 

参考:写真は女性自身より https://jisin.jp/sport/2014099/3/