●絶対苦しい死に方をしない人。
今日は何を書こうかと、ニュースを見ると、
イギリスのエリザベス女王の国葬が19日、ロンドンで行われる。
天皇皇后両陛下もエリザベス女王の国葬への参列されるという。
私は数日前、このエリザベス女王崩御のニュースを聞いて、
1つ思った事がありました。
それは、亡くなり方が理想の亡くなり方だったからです。
ニュースによると、エリザベス女王は、
亡くなる2日前まで笑顔で公務をなさっていたと言います。
そして、死の数時間前にも、
バルモラルで新たに選出されたリズ・トラス首相を迎えました。
日本にも、こんな言葉がありますよね。
「ピンピンころり」

つまり、亡くなる直前まで元気にピンピンしていて、
亡くなる時は、苦しまずにころりと逝ってしまう。理想の亡くなり方。
以前、私が取り上げた日本の偉人の女性も、そんな理想の亡くなり方でした。
(●心の障害者 https://ameblo.jp/hirosu/entry-12458385529.html )
人は必ず死ぬ訳ですが、
死に方にも色々ありますよね。
病死や事故死、殺人、溺死など。
出来れば、私も彼女らの様に、
死ぬ直前まで元気に仕事しているような人生でありたいですね。
実は、アメリカの霊能者の方から、こんな事を聞いた事があります。
それは、
相思相愛だった夫婦の一方が亡くなり、
死後も相思相愛である時、起きる現象なのだと言います。
例えば、先に夫が亡くなった場合、
先に亡くなった夫の霊は、愛する妻が亡くなる時に、迎えに来てくれるのですが、
その時、愛する妻が苦しまない様に配慮してくれると言うのです。
だから、エリザベス女王の亡くなった時の様子を聞いて、
「ああ、きっとご亡き主人と相思相愛の仲だったのだろうな。」と思いました。
そこで調べて見ると、
エリザベス女王と、将来夫のなるフィリップ王配の馴れ初めは、
1939年の事でした。

彼女は、父親のジョージ6世と母親のエリザベス妃と共に、
ダートマスの王立海軍大学を視察に訪れます。
この時に王女らを護衛し、大学校内を案内した若い将校、

それが
18歳の金髪の海軍士官候補生・フィリップ王配でした。
その時にエリザベス女王が彼に一目惚れしたのです!
当時の年齢は、
フィリップ王配が、18歳
エリザベス女王が、13歳

別れの時、
21発の礼砲が鳴る中、王室一家を乗せたヨットは
海軍大学の波止場から出港するのですが、
甲板に立つエリザベス王女の双眼鏡は、いつまでも、いつまでも、
フィリップ殿下をとらえて離しませんでした。
「王女様は頰を紅潮させ涙を浮かべて、
金髪の海軍将校が遠く見えなくなるまで目で追っていらっしゃいました。」
とエリザベス女王つきの家庭教師は当時を振り返ります。
たった1泊2日の滞在で、13歳の王女は恋に落ちたのでした。
エリザベスはベッドサイドにフィリップの写真を飾るほどに恋したといいます。
2人は間もなく文通をはじめ、王女からラブレターを出したと言われています。
やがて、二人は結婚を意識し始めますが、
二人の結婚は、家族や親族・王室から強く反対されます。
理由は、
①■フィリップ王子には、資産が無かった。貧乏。
②■フィリップ王子が外国生まれであること。外人。
③■フィリップ王子はギリシャから亡命した後、
イギリス人の親戚に引き取られていたイギリス海軍士官に過ぎなかった。
④■フィリップの姉がナチスとの関係を持ったドイツ系貴族と結婚していて、
他の3人の姉も全員ドイツの貴族と結婚し、義兄のうち3人はナチス党員だった。
第二次世界大戦でドイツと戦ったイギリス国民の40%が結婚に反対したといいます。
しかし、王女の結婚の意思は固く、最後は両親が折れました。
1947年、様々な障害を乗り越えて21歳の時に、
フィリップは婚約指輪を用意してエリザベスにプロポーズし結婚しました。

そのすぐ翌年の1948年には、長男チャールズが生まれます。

英国君主として初めてバチカン市国を訪問
そんな夫・フィリップ王配は、
去年2021年4月9日に99歳で亡くなられています。
フィリップ王配は亡くなるまでの約73年間にわたってエリザベス女王のことを支え続けました。
コロナ過だった事も有り、葬式はわずか30人の近親者のみで行われました。
エリザベス女王はフィリップ王配の棺の上に、
手書きの最後のラブレターを置き、
フィリップ王配の死後、
王室の公式インスタグラムアカウントに、1枚の写真がアップされました。
エリザベス女王とフィリップ王配のツーショット写真でした。
それは、
女王たっての希望で公開された写真だといいます。



