●春になると、
春になると、
庭に草が生えてきます。
そして、冬眠していた虫が出てきます。
そうなると、
庭の草むしりをしたり、雑草用の除草剤をまいたり、
ハエを殺したり、ゴキブリホイホイを設置したりするでしょう。
それらは、生活する上で、仕方の無い事なのかもしれません。
皆さんは、
本多忠勝(ただかつ)という戦国武将をご存知でしょうか?

徳川家康がいた時代、徳川家康の側近として仕え、
徳川三傑と呼ばれた本多忠勝・榊原康政・井伊直政の3人の武将の1人です。
実は本多忠勝の居城だった、大多喜城は、

私の家からそう遠くない所にあるのです。
なので、私も行って天守閣まで登った事があります。
天守閣には甲冑や刀などが飾ってあるのと、大きな周辺のジオラマがありました。
では、なぜ、本多忠勝という武将が有名かと言うと、
よく戦国マニアの方は、こういう議論をする事があります。
「戦国時代で、だれが一番強かったか?」
そんな時、必ず名前が上がるのが、本多忠勝なんですね。
なぜなら、
彼は13歳で、桶狭間の戦いの前哨戦に参加した時から、隠居するまで、
なんと57回もの戦さに参加しました。
しかし、かすり傷1つ負わなかったのです。
なので、当時の織田信長は、
彼の並はずれた武勇を武田征伐後、「花も実も兼ね備えた武将である」と言い、
豊臣秀吉は、本多忠勝の事を「日本第一、古今独歩の勇士」と称しました。
では、彼はなんで、そんなに強かったのでしょうか?
なんで、57回も戦さをして、死ぬこと無く、かすり傷1つ負わなかったのでしょうか?
ここで、問題です。
下の本多忠勝の肖像を見て、何か気になる事はありませんか?
普通の武将の甲冑姿とは、違う所が2カ所あるのですが、分かりますか?

少し考えてみてから、先をお読みください。
普通の武将の甲冑姿とは、違う所が2カ所。
①■それは、まず頭にかぶる兜が鹿の角である。
②■首に大数珠を下げている。
鹿は神の使いとされて大切にされていました。
有名な武将、真田幸村も鹿の兜でしたね。

では、最後の問題です。
本多忠勝は、なぜ首に大数珠を下げていたのでしょうか?
少し考えてみてから、先をお読みください。
本多忠勝が、なぜ首に大数珠を下げていたのか。
その理由は、
例え自分を殺そうと向かってきた敵であっても、憎しみは無く、
自分が倒した敵を弔う為に、数珠を首にかけたと言います。
日本のことわざに、
「一寸の虫にも五分の魂」というものがあります。
意味は、
どんな弱小なものに対しても、それ相応の意地・魂や考えがあって、
バカにしてはいけないという事。
これは、本多忠勝の数珠にも言えるかと思います。
自分を殺そうと向かってきた敵であっても、
戦いが終われば、1つの魂として尊敬し死者の霊を慰めてあげる。

もしかしたら、それが、
彼が57回も戦さをしても、死ななかった理由かもしれません。
最後に、
私が今日言いたかったのは、
例え、邪魔な雑草でも、
邪魔な虫でも、
殺してしまったら、
一言、
「ごめんね。」「ごめんなさいね。」
と言ってあげる。
そんな言葉をかけてあげられる貴方は、素敵だし、
きっと、
どんな困難な状況でも生きていける人生をおくれるでしょう。
本多忠勝の様に。
END
参考:真田幸村の写真は刀剣ワールドより https://www.touken-world.jp/tips/8106/


