●病気になって死ぬ人。死なない人。
1950年、4月3日。
東京の足立区に、一人の女の子が生まれました。
彼女に転機が起きたのは、16歳。高校1年生の時でした。
自分は、いずれOLになると思っていた彼女でしたが、
友人が彼女に黙って、映画の一般応募に写真を送ってしまったのです。
その映画は、戦争映画でセーラー服とモンペが似合う少女を探していました。
すると、なんと300人の応募者の中から、彼女が決まったのです。
しかし、芸能界にはまったく興味が無かった彼女は、乗り気になりませんでした。
でも断り切れず、「この映画だけ」という条件で出演する事に。
すると映画は好評となり、68年度キネマ旬報ベスト・テン第2位になります。

さて、ここで、この女優さんの名前を言える方は、100点です。
彼女は誰でしょうか?
少し考えてみてから、先をお読みください。
芸能界というのは、面白いもので、
芸能界志望じゃない。これが最後。
という事が逆に注目を集めてしまいます。
今度は、あの天下のNHKが彼女を口説きにかかります。
彼女は断り切れず、
NHK朝の連続テレビ小説「信子とおばあちゃん」
のヒロインに抜擢されます。
こうして瞬く間に、彼女は人気女優の仲間入りを果たしたのでした。
ここで、この女優さんの名前を言える方は、90点です。
彼女は誰でしょうか?
少し考えてみてから、先をお読みください。
その後も、彼女へのオファーは途絶える事なく、
演技力も高く評価され、
1980年には、日本アカデミー賞の優秀主演女優賞を始め、
芸術選奨文部大臣新人賞など数々の賞を受賞するのです。
ところが、2007年。
彼女は、背中が痛いと病院で検査を受けます。
すると、検査の結果、圧迫骨折と判明。
芸能活動を休止します。
離婚した上に、仕事が出来なくなったことから収入が無くなり、
貯金を切り崩しながらの生活に陥ります。
子供達は既に成人していたため、一人で静かに暮らす生活。
しかし、圧迫骨折した所が余りに痛いので、その後更に病理検査をすると、
悪性リンパ腫である事が発覚。
大きくなった腫瘍によって、内蔵が圧迫され潰れたような状態でした。
もうほぼ手遅れのステージ4の状態だったといいます。
普通のガンと違い、外科手術が出来ない悪性リンパ腫。
家族には「余命3ヵ月」が告げられます。
ここで、この女優さんの名前を言える方は、80点です。
彼女は誰でしょうか?
少し考えてみてから、先をお読みください。
彼女の状況は最悪でした。
離婚して、圧迫骨折。
芸能活動休止。そして悪性リンパ腫。
最後は、医者から「余命3ヵ月」の宣告。
しかも、余命治療中に、詐欺被害に遭います。
当時習っていた「写経」の講師に騙されて400万円を失ってしまったのです。
普通の人だったら、絶望してあきらめてしまうかもしれません。
しかし、彼女はここから頑張ります。
どうせ抗ガン剤で髪は抜けるんだから、と、
治療前に丸坊主にすると、悪性リンパ腫に立ち向かう決心をします。
辛い抗がん剤治療に耐え、体重は33キロまでになってしまいましたが、
彼女は見事医師が診断した余命3ヵ月宣言を乗り越えて、
悪性リンパ腫を完治させたのでした。
そこには、普通ならマイナスに考える所をプラスに考えられた事です。
離婚してて良かった。誰の心配もせずにゆっくり保養できる。
圧迫骨折して良かった。おかげで悪性リンパ腫が発見出来た。
詐欺で400万円取られて良かった。
おかげで、彼女は弁護士にも頼めないので、独学で勉強し詐欺裁判を起こし、
なんと全額を裁判で取り戻したのです。
悪性リンパ腫になって結果良かった。余命宣告を乗り越えた事で強くなり、
激やせした事も女優復帰への手伝いとなり、
彼女は奇跡的にまた女優に復活したのである。
復帰作は、東日本大震災を背景にした作品「希望の国」でした。

余命宣告から4年の歳月が過ぎての奇跡の復活でした。
彼女は、出演に当たって、こんな言葉を述べています。
「自信がなくて、降板したくなることもありましたが、懸命に演じました。
もう、女優として忘れられたと思っていたけど、
また必要とされたことが、嬉しかったです。」
ここで、この女優さんの名前を言える方は、70点です。
彼女は誰でしょうか?
少し考えてみてから、先をお読みください。
次は答えです。
2013年には、長年の功績が称えられ、
日本映画プロフェッショナル大賞の特別賞を受賞します。
その後も、「ドクターX」や「特捜9」などの作品に出演し、

今も大谷直子さんは、ドラマ出演を続けていらっしゃいます。


最後に、私事ですが、
私も以前、白血病になり、もう死ぬと思った時期があり、
長期ブログを休んだ時期がありました。
半年間病院に入院していたのですが、
私は、病院のベットの上で、なぜか料理の勉強をしようと思い立ち、
ずっと料理の勉強をして過ごしていました。
何かを感じていたのでしょうか?
不思議ですが、その後、母が認知症になり、
現在、朝昼晩と私が料理担当です。
今では白血病になって良かったとさえ思っています。
なぜ、私が入院中、料理の勉強をしたかと言うと、
実は、霊能者の方に、
病気になって死ぬ人。死なない人。がいるのよ。と教えられたのです。
霊能者の方いわく、
最後、病気になって亡くなるのが普通ですが、
病気になっても死なない人は、病気の後の人生を考えると言います。
つまり、きっと病気になったのも、何か意味がある。
その後の人生にとって意味があるステップの1つだと思い、
入院中にも勉強したり、病気になって良かったと思う事を考える事。
大谷直子さんが、余命を宣告されながらも、弁護士無しで、
詐欺師と戦って一人で勉強して裁判で取り返すという行為は、
人生をあきらめた人には到底出来ない行為です。
その時点で、病気の後の人生を考えていたと言えましょう。
つまり、病気になっても死なない人だったのです。
もし、貴方も大病をして入院しても、
こう考えてみてください。
この病気も何か意味があるのだと。
その後の人生にとって意味があるステップの1つだと。
きっと貴方の病気も良くなるはずですよ。
頑張って!。
END
参考: 写真は映画「肉弾」「希望の国」ドラマ「ドクターX]「黒革の手帖」より