●障害者。


今日で、東京パラリンピックも終了しましたね。

そこで、今日は「障害」について少しお話いたしましょうね。



パラリンピックという名前は、元々の2つの言葉、

 Paraplegia (下半身マヒ) とOlimipic (オリンピック) を 合成して作られた言葉です。



しかし後に、Paraには、「もう1つ」という意味があるじゃないか!という事に気がつき、


1960年、パラリンピックとは、

もう1つのオリンピック」という定義に変更されました。

そして、1960年のローマ大会こそが、第一回パラリンピックとなりました。


いつか、「障害」とか「ハンディキャップ」という言葉も、

何か良い言葉に変更できるといいですね。


私達はどうしても外見で判断しがちですが、

霊能者の方いわく、

私達健常者も障害を持っている方も、みんな同じ健全な魂で、

ただ、乗っている肉体という車が違うだけだといいます。

つまり、私だって来世では、

違う肉体という車を授かり、障害者として生まれるかもしれませんし、

今世では、障害者であっても、

来世では大谷翔平選手の様な人になっているかもしれないのです。

だから、霊能者の方いわく、

今、障害を持っているを助けている人は、将来、

逆の立場になった時、きっと貴方を助けてくれる人が現れます。

「理由は分からないが、貴方を心から助けなければならないと、感じるんです。」と。

東京パラリンピックで、ボランティアで参加された方々の中にも、

きっと前世では障害者で、逆に助けられたという人がいると思いますよ。




ある時、大きな障害を持った赤ちゃんが、

生まれてから僅か1ヶ月で天国に行ってしまいました。

ご両親は、何年も不妊治療の末、ほぼ絶望的を言われながら、

やっと念願の赤ちゃんを授かったのに、こんな結果になり、

両親は悲しみました。


しかし、霊能者は、ご夫婦にこう言ったのです。

その子を可哀想に思う必要は無いですよ。

その子いわく、

「僕は過去世で、何度も幸せな人生を送ったんだ。

 だから、今世では、1ヶ月だけ、

 愛を伝える為に、二人の子供として産まれて来たんだよ。」



時に、障害を持つ者は、

人々に愛と勇気を与える為に生まて来る事があると言います。




最後に、

今回のパラリンピックでも、

両腕の肘から先がないエジプトのイブラヒム・ハマト選手が、

口でラケットを咥えて出場するという試合がありました。

結果は、韓国の選手に3-0で一方的に負けて敗退してしまったのですが、

誰もバカにして笑う観客はいませんでした。

むしろ感動した人が多かったと言います。


彼は、10歳の時に電車のドアからの落下事故で両腕を失いました。

13歳の時に村のスポーツ施設で友人たちの卓球の試合の審判をしていると、

判定内容に不満をもった友人から、

卓球が出来ない体くせに口出しするな!!

 

と言われて、とても悲しくなりました。

 



それから、彼は血がにじむような練習を積み、

とうとう口でラケットくえて、裸足の足で球を投げ上げる技を習得したのでした。

 

 


彼は試合後、こう語った。

 

 


 


「がんばりさえすれば、不可能なことは何もない。

 それを皆さんにお見せしたいと思い、参加させてもらいました。」

 

 

 

END