●骨箱の中身。
8月15日は終戦記念日でしたので、3日過ぎた今日になっても、
テレビでは、結構戦争の話が取り上げられていました。
戦争は忘れてはいけない。という事ですね。
終戦記念日とは、第二次世界大戦が終わった日ですね。
個人的に私は思うのですが、
お盆は8月16日に終わったのですが、
お盆の時期は、多くの先祖霊が降りて来る日だと言われています。
戦争が終わった日が、お盆の真っただ中だったのは、
はたして偶然だったのでしょうか?
私は大きな力が働いたのでは。と思えてなりません。
今日はそんな戦争記念日に合わせて、
私が印象に残った戦争のお話をいたしましょう。
これはある相談者の方(田淵さん仮名)の実体験です。
彼女は戦時が始まった時、
両親と5歳年上のお兄さんとの4人暮らしだったそうです。
やがて戦争が始まると、父親が戦争に出兵します。
日本が戦争を始めた頃は、日本はとても順調に勝利していました。
しかし、連合艦隊司令長官の山本五十六だけは、
山本五十六
日本が戦争に負ける事知っていました。
実は日本人でほぼ唯一、戦争が始める直前に2回も
アメリカに駐在していて、アメリカの巨大な自動車工場がある事や、
大きな油田が沢山あるの目撃していて、
アメリカが本気を出したら、石油がまったくない日本は、
長期戦になれば、必ず負けると思い、
アメリカとの開戦に猛反対したのでした。
しかし、それを信じない自信過剰な軍部に押し切られて、
日独伊三国同盟が成立してしまい日本の戦争は避けられないものになります。
では、そんな山本五十六がなぜ、連合艦隊司令長官になったのでしょうか?
ハワイ真珠湾奇襲攻撃を立案、実行したのも彼でした。
実は、当時、日本のゼロ戦闘機は世界一の性能でした。
そこで、この航空力の優位性で最初に圧倒的な勝利を得て、
あとは早い内に、アメリカと講和をして、
戦争を終わらせるという希望を持っていたのです。
だから、山本五十六は軍部に、
「1年から1年半は存分に暴れてみせる」と述べ、
その間にアメリカとの講和を実現する様に進言していました。
今でこそ、日本は宣戦布告せずにアメリカの真珠湾を攻撃した卑怯者と言われますが、
当時は、宣戦布告した後にハワイを攻撃する予定でした。
ところが、アメリカ駐在のバカな日本大使館員たちが、
手間取っている間に対米宣戦布告が遅れてハワイ攻撃が始まってしまったので、
将来に渡ってだまし討ちの卑怯者と責められる結果となってしまいました。
書類が間に合わなければ、簡単に宣戦布告と書いて、渡しに行けば良かったのです。
しかし、山本五十六の目論見は外れます。
勝った軍部は、これならもっと勝てるもっと勝てると、
アメリカとの講和などもったいない。このまま勝てると過信して、
和平を結ぶなど考えないようになってしまったのです。
山本五十六の言葉通り開戦後1年半くらいまでは、日本は順調でしたが、
やがてアメリカが1年半の間に大量の兵器を作り出し巻き返してきます。
この頃、田淵さんのお父さんは、東南アジアに出兵したといいます。
石油が無かった日本は、東南アジアの石油を確保する必要があったのです。
石油が無ければ、飛行機も飛ばせず、軍艦も動きません。
しかし、それを知っていたアメリカは、
日本本土よりも、まずは石油を日本から断つ為に、
東南アジアの日本基地を攻撃します。
そして、田淵さんのお父さんはフィリピン辺りで亡くなったそうです。
だいぶ経った頃に、家族の元にお父さんの死亡が知らさせ、
骨箱が届いたそうです。

家族3人は、その骨箱を囲んで泣きました。
骨箱はしばらく仏壇に置いてあったそうですが、
ある日、彼女は、骨箱の中に何が入っているのか気になって、
お母さんに黙って、骨箱の中身を調べてしまいました。
すると、
骨箱の中は、ほとんどカラだったと言います。
お父さんの骨か遺品が入っていると予想していた彼女は驚いたと言います。
骨箱の中には、紙が1枚入っていただけで、お父さんの物など一切無かったのです。
これを聞いたお母さんも呆然としていました。
やがて、更に戦況が悪化すると、
まだ学生だったお兄ちゃんも出兵します。
戦争が終わるまで、もうお兄ちゃんとも会えないな。と思っていたのですが、
ある日突然、お兄ちゃんが家に戻って来ました。
「1日だけ休暇をもらった。」と言います。
母さんも私も大喜びでした。
母さんはナケナシのお金を集めて、赤飯を炊きました。
何年振りかで、3人で楽しく笑って赤飯を食べました。
私はまだ幼くバカだったから、単純にお兄ちゃんの帰宅を喜びましたが。
多分お母さんは、知っていたのでしょう。
これがお兄ちゃんとの最後の別れだと。
お兄ちゃんは、その日、髭を剃ったり、散髪したり、爪を切ったりして、
私にある物を手渡してから翌日戦場に戻って行きました。
後から考えると、あれが私達への遺言だったのです。
それから間もなく終戦でしたが、お兄ちゃんは帰って来ませんでした。
やがてお兄ちゃんの死亡の報告と、骨箱が届きました。
その時、初めてお兄ちゃんが最後に私に言った言葉の意味が理解出来たのです。
それは、最後の日、
お兄ちゃんは私にこう言ったのです。
「母さんを悲しませない為に、
お前がこれを入れるんだぞ。」
それは、お兄ちゃんが最後の日に、切った爪と髪の毛でした。

母さんが、また空箱を見て悲しまない様に。
せめて、せめて ボクの爪と髪の毛を入れてあげて欲しい。
お兄ちゃんの最後の親孝行だったのです。
「母さんの事、頼んだぞ。」
END
