●3回忌。坊さんがぶっちゃけてくれた意外な話。


さて、今日は何を書こうかとニュースをみてみると、

昭和の大スターの一人だった宍戸錠さんが、

 

昨年の2020年1月18日に亡くなられて1周忌だといいます。

虚血性心疾患で享年86歳。

ただ、昭和の大スターも老後は悲惨だったようで、

世田谷区の豪邸が2013年に全焼したニュースもあり、

その後は家賃12万円のアパートで独り暮らしでした。

 

以前は遠くまで足を延ばしていた彼も、足が不自由になってからは、

近くの特定のコンビニだけに出かける程度だったといいます。

貯金はほとんど無く、三食全部コンビニ弁当暮らしで、

その時のワイドショーのインタビューでは、宍戸さんは、

俺の体はさ、ここの弁当でできているんだよ。」と語っています。



本来息子2人と娘と沢山の孫に囲まれていてもいいはずの老後なのですが、

彼の死後も、死体が発見されたのは3日後、

時々訪れている娘さんが発見したといいます。

本来大々的にお別れ会とかがあってもいいのですが、

このコロナ過の時代では、それも叶わなかった様です。


息子さん2人とは、絶縁状態だそうで、

長男の宍戸開さんが2010年に子持ちの素人の女性と結婚した時、

父親の宍戸錠さんには、相談どころか、結婚式にも呼ばず、結婚した事も話さなかったので、

宍戸錠さんが、長男が結婚したのを知ったのは

 

ワイドショーのテレビを見た時だったそうです。

自宅が全焼した時も、開さんの一言は「僕には関係ないことだから…」だったそうです。

ちなみに、なぜ長男の名前が宍戸開かと言うと、

宍戸錠さんの「」はカギだから、それを開けるという意味で「」とつけたそうです。



なぜ、あんな大スターが寂しい老後になってしまったのでしょうか?


理由は色々あるのでしょうが、

自業自得だったのかな。とも思います。


2012年の日活創立100周年記念の時、

宍戸錠さんは、こんな事を語って周りを驚かせました。

これまで1,331人の女性と寝てきたんだ。

 これは世界第3位なんだ。


 どれも売春行為なんかじゃなく、みんな自分で口説いた女性だけだったよ。

 その中には女優もいたけれど、大スターはいなかったね。

 それをやると、いちばんやばかったからね。」


生前、家庭を顧みなかった宍戸錠さんでしたから、

子育ては2010年に亡くなった奥さんが担っていました。

家では夫婦ゲンカをして錠さんが奥さんに手をあげる事もあり、

そんな状況をみて育った子供たちが絶縁状態になったのも必然だったのかもしれません。



さて、そんな宍戸錠さんの記事をみていて、ちょっと気になったのは、一周忌というところ。

一周忌とは、故人が亡くなってから1年後に行われる法要の事ですよね。

時々聞かれる事があるのですが、

2年後の法要は、二回忌ではなく、三回忌と言います。

なんでだと思いますか?


少し考えてみてから、先をお読みください。























なぜ、2年後の法要は、二回忌ではなく、三回忌と言うのかというと、

まず、人が亡くなった時に行われるのが、本来の1回忌法要です。

そして、亡くなって1年後に行われるのが2回忌法要なのですが、

一般に、2回忌法要とは言わず、一周忌法要と言われるので、

 

2回忌という言葉は聞かれなくなってしまいました。

つまり、一周忌=2回忌なのですね。

そして、2年目が三回忌となるわけです。

■お葬式(亡くなった時。厳密には、これが一回忌)
■一周忌(1年後。二回忌の事)
三回忌(2年後)
■七回忌
■十三回忌
■十七回忌
■二十三回忌
■二十七回忌
■三十三回忌

というように三回忌以降は、三と七がつく年忌をつとめ、

あとは五十回忌毎に法事をおこないます。




では、なぜ三回忌の後、

4回忌とか5回忌が無くいきなり7回忌なのでしょうか?



分かりますか?


少し考えてみてから、先をお読みください。





















三回忌の後、

4回忌とか5回忌が無くいきなり7回忌なのは、

三回忌の後、一定の年に法事をするのは、

むかし、聖徳太子が定められたと伝えられています。

その時に、三か、七の数がつく回忌に法要をする
。というのが定説です。







と、まぁ、ここまでが常識でしょうか。






ここからは、私独自の解釈です。

 



実は、坊さんの友人がおりまして、この回忌について色々話した事があります。

すると、彼はこんな話をぶっちゃけてくれました。

そして、私もその話には同感です。


実は昔は、3回忌までしかありませんでした。

つまり、昔は7回忌も無ければ、13回忌も無く、3回忌で終わりでした。

ところが、頭の良い坊さんがいまして、

3回忌で終わったのでは、儲からん。

葬式や法要は儲かるので、金持ちからもっとお金を取れる方法はないものか?

そこで考えたのが、3回忌以降も、法要を行うという案。

毎年だと、さすが嫌がられるので、ここで聖徳太子の話を持ち出して、

3と7がつく回忌に法要を行うという案を編み出して、金持ちの家に勧めたのです。


私はそのぶっちゃけ話を聞いて、信用しました。

なぜ信用したかというと、調べてみると、

確かに昔は、十王の阿弥陀如来の3回忌までしか無かったようです。
(十王 - Wikipedia)

 

その後なぜ三十三回忌まで行う様になったか、確かな理由がないのです。

 

聖徳太子が3と7が好きだから決めたって、かなりいい加減ですしね。

また、三回忌までは、参列者を招いての法要なのに、

それ以降の回忌は、遺族だけで取り行うのも、なにか違っていますよね。

つまり、7回忌以降は、基本遺族以外の人は行かなくてもいいという事。

勿論、故人に恩義があるは毎年法要を行うのは、自由です。




実は、霊能者の方から聞いた事でも、

三回忌が大きな区切りとなっています。

よく仏壇に、個人が好きだった物を供えると良いです。と言う時がありますが、

霊能者いわく、それも三回忌まででいい
そうです。

つまり三回忌の法要を終えたら、個人が好きだった物を供えなくてもよいとの事。

ただし、たまたま個人の好きだったものを作ったとか、買ったという場合は、

それを仏壇などに供える程度でよいそうです。


END